2016年3月30日水曜日

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札沼線各駅停車の旅 (1) 「札沼線の数奇な歴史」

 

札沼線は、札幌(厳密にはお隣の桑園が起点ですが)から新十津川までを結ぶ JR 北海道の鉄道路線です。最近は「学園都市線」という名前が全面的に使われているため、「札沼線」という名前は忘れ去られつつありますが、もともとは「幌」と「石狩田」の間を結んでいたため「札沼線」という名前がつけられたのでした。

建設は石狩沼田から

札沼線の歴史はなかなか数奇なもので、実は最初に開通したのが(既に廃止されている)石狩沼田-新十津川(当時は「中徳富」)間でした(1931 年)。その後 1934 年に新十津川(中徳富)-浦臼間が開通し、その翌月に桑園-石狩当別間が開通しています。桑園-石狩沼田間が全通したのが翌年の 1935 年のことでした。

不要不急線

しかしながら、全線開通から僅か 8 年後の 1943 年には、石狩月形から石狩追分間が「不要不急線」として休止の憂き目に遭います。更に翌 1944 年には石狩当別から石狩月形と石狩追分から石狩沼田も休止されてしまいます。

遅すぎた復活

戦争が終わり、もっとも開通が遅かった石狩当別-浦臼間が 1946 年に復活後、遅れること 7 年で浦臼から雨竜の間が復活、残された雨竜と石狩沼田の間が復活するのは 1956 年まで待たされることになりました。13 年間の休止は鉄道を利用する習慣を奪うには十分だったようで、復活後の利用は伸び悩み、1968 年には「赤字83線」に指定されてしまいます。

赤字83線

「赤字83線」は、赤字ローカル線の切り捨ての嚆矢となった取り組みでしたが、地元自治体などの反発が強く、実際に廃止された路線・区間は 12 路線 13 区間に留まりました。ただ残念なことに、札沼線の新十津川-石狩沼田間は「赤字83線」で実際に整理対象となってしまった数少ない例のひとつとなってしまいました(1972 年に廃止)。

札沼線各駅停車

現在の札沼線は、石狩当別から新十津川の間が閑散とする一方で、札幌から石狩当別の間は札幌の市街地が膨張を続けているおかげで需要も伸びていて、2012 年にはついに電化も果たしています。では、同一の路線でありながら二面性が際立つ「札沼線」に乗って旅をしてみましょう。

「スーパー北斗 7 号」で札幌駅に到着したのが、定時よりも 4 分ほど遅れた 16:03 でした。札沼線……あ、学園都市線ですね……の普通電車は 15~20 分に 1 本の間隔で発車します。次の電車は……あれ?
ふーむ、16:12 に上野行きのカシオペアが運転されるのですね。これに乗ってしまいたい気もしますが、もちろん切符も持っていませんし、札沼線にも乗れないので却下です。

次の「北海道医療大学行き」は 16:20 とのこと。「北海道医療大学」駅は石狩当別の次の駅で、電化区間の終点です。「あいの里公園」や「石狩当別」までは一時間に数本の列車が出ていますが、北海道医療大学から先は「数時間に一本」になるので注意が必要です。

北海道医療大学へ

「北海道医療大学行き」の電車が入線してきました。これは快速用の電車ですよね。
車内には転換クロスシートが並んでいます。ドアと客室の間にデッキがあるのが北海道っぽいですよね。
北海道医療大学行きの電車は、定時の 16:20 に札幌を出発しました。次は桑園です。

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