2016年3月26日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (327) 「荻伏・姉茶・野深」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

荻伏(おぎふし)

o-ni-us-i
そこに・木・ある・ところ
o-ni-us-i
川尻に・木・多くある・もの
(典拠あり、類型あり)
日高本線の絵笛駅の西隣の駅の名前です。ということで早速ですが「北海道駅名の起源」を見てみましょう。

  荻 伏(おぎふし)
所在地 (日高国)浦河郡浦河町
開 駅 昭和10年10月24日
起 源 アイヌ語の「オ・ニ・ウシ」(そこに木が多い所)、すなわち(森) から出たものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.93 より引用)
ふむふむ。o-ni-us-i で「そこに・木・多くある・ところ」と読んだのですね。

ちなみに、永田地名解には次のようにありました。

Oni ushi  オニ ウㇱ  境標 昔ヨリ浦河三石兩場所ノ境界ナルヲ以テ標木ヲ立テタルヨリ此名アリ直譯其處ニ木アル處○今荻伏(オギフシ)村ト稱ス
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.269 より引用)
ふーむ。「そこに木があるところ」を「標木」と解釈しましたか。割と珍しい解だと思うのですが、山田秀三さんの「北海道の地名」も見ておきましょうか。

荻伏 おぎふし
 浦河町海岸西端の地名,川名。明治29年図では元浦川の西海岸に東からポロ(大きい)・オニウシとポン(小さい)・オニウシの二川が海に入っている。現在前者が浜荻伏川,後者が無名川の称である。そのポンオニウシ(無名川)が浦河町と三石町の境である。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.348 より引用)
あっ。現在の荻伏集落は元浦川沿いにあるので、てっきり元浦川あたりの新地名かと思ったのですが、もともとは現在の「浜荻伏」集落よりも北西の「浜荻伏川」あたりの地名だったのですね。山田さんが「無名川」とした川は、現在は「伏海川」という名前がつけられているようです。

 上原熊次郎地名考は「オニウシ。木の生ずと訳す。此処ミツイシ,ウラカワの境なりとて,双方夷人其往還の節,境界に流木など建しより地名になすといふ」と書き,永田地名解もこの説を書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.348 より引用)
ふーむ。永田地名解も随分と思い切った説を書いたものだな……と思ったのですが、どうやらオリジナルは上原熊次郎でしたか。場所の境というといかにも近代的ですが、「縄張り」と考えると納得できそうな気もします。

一方で、山田さんは次のようにも記していました。

ただし,一般の土地ではこの形なら「川尻に・木が・生えている・もの(川)」であった。ここも,もともとはその意であったのが,後に今のように解されたのかもしれない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.349 より引用)
そうなんですよね。猿払村の鬼志別なんかは「川尻に──」のほうがしっくり来るのです。一方で道南の森町は「そこに──」の可能性もありそうな感じです。ただ、どちらにしても o-ni-us-i であることは間違い無さそうな感じです。意味は「そこに・木・ある・ところ」あるいは「川尻に・木・多くある・もの」の両論併記としておきましょう。

姉茶(あねちゃ)

ane-sar
細い・葭原
(典拠あり、類型あり)
荻伏駅から元浦川を少し遡ったあたりの地名です。早速ですが更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」を見てみましょうか。

 姉茶(あねちゃ)
 元浦川の上流の部落。アネは細い、チャは枝であるが、これだけでは地名にならない。前後の言葉が消えたのかもしれない。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.85 より引用)
ふむふむ。何か謂われがありそうな雰囲気が漂ってきました。

続いては、山田秀三さんの「北海道の地名」から。

東蝦夷日誌はアネサラと書く。永田地名解は「アネ・サラ。細茅。姉茶(アネサ)村と称す」と書いた。浦川媼は細い萱が生えていた処だという。音だけでいえば「細い・葭原」とも聞こえる。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.346 より引用)
なるほど。もともとは「姉茶」で「アネサ」と読ませていたのが、漢字に引きずられて「あねちゃ」になってしまったということだったのですね。確かに ane-sar であれば「細い・葭原」となります。

戊午日誌「東部宇羅加和誌」には次のようにありました。

上りて
     ア子サラ
西岸、其名義は細長く尖りし蘆荻と云儀なり。本名ア子イシヤリの儀也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.466 より引用)
「本名ア子イシヤリの儀也」とありますが、確かに「東西蝦夷山川地理取調図」にも「ア子イサラ」とあります。ane ではなくて ane-i だったようなのですが、{ane-i}-sar-i だと「{尖らせる}・葦・ところ」と言った感じでしょうか。

野深(のぶか)

nupka
原野
(典拠あり、類型あり)
浦河町姉茶の北側、元浦川の対岸にある集落の名前です。「ケバウ川」が流れていますね。

では、早速ですが更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」から。

野深(のぶか)
元浦川の上流の部落名。アイヌ語のヌプカ(原野)の意味。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.85 より引用)
なるほど。実に単純明快ですね!

ちなみに、戊午日誌には「ヌツホクシナイ」という川名が記録されていて、これは nup-pok-us-nay(野・しも・そこにある・川)ではないかとされています。このことから永田方正は「ヌㇷ゚ カ」を nupka ではなく nup-ka で「野・かみ」である、としていますが、確かに一理あるような気もします。

ちなみに、山田秀三さんは更科源蔵さんと同じく nupka 派のようでした。

 野深の市街地はツケナイ橋を西に上った処でアイヌ系古老浦川タレさんの出身地という。そば屋が一軒あり,土地のそばをゆっくり味わった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.347 より引用)
「ツケナイ橋」もなかなか気になりますが、これはまた明日にでも。そば屋が健在なのかどうかがとても気になりますね(随分と昔の話でしょうから、店を畳んでいても不思議は無いですが)。

あ、そば屋に気を取られて本題をまとめるのを忘れていました(どれだけそば屋が好きなんだ)。nupka で「原野」だと思われますが、あるいは nup-ka で「野・かみ」であるかも知れません。

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