札幌市豊平区の「月寒」については、北海道のアイヌ語地名 (116) 「輪厚・厚別・月寒」をご覧ください。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
白泉(しろいずみ)
(典拠あり、類型あり)
浦河町幌別の西隣に位置する海沿いの集落の名前です。あまりアイヌ語っぽく無い感じもしますが、果たして……。早速ですが、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」を見てみましょう。
白泉(しろいずみ)
浦河の海岸。アイヌ語のシリ・エンルㇺに当字をしたもの、意味は突出した岬の意。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.86 より引用)
ほほう。sir-enrum で「大地・岬」なんですね。ただ、実際の地形を見た限りでは、「岬」と言うよりも sir-en-rum で「大地・突き出た・頭」と逐語的に解釈したほうがより実体に即しているかもしれません。日高幌別駅のあたりから白泉のほうを見ると、まるで山が後頭部のように見えそうな気がするので。この「白泉」は永田地名解も同じ解釈なのですが、註に面白いことが書いてあったので引用しておきますね。
Shir’enrum,=Shiri enrum シレンルㇺ 岬 「シレンルム」ハ「シリエンルム」ノ急言、俚人「シロイヅミ」ト云ヒ今後鞆(シリトモ)村ト稱ス蝦夷紀行ニ「シベンルム」トアリ並ニ非ナリ「シベンルム」という記録があるけど、それは間違いだよ、と記しています。……いや、それだけなんですけどね、ハイ(汗)。
幌島(ほろしま)
(典拠あり、類型あり)
浦河町白泉の北西に位置する海沿いの集落の名前です。地形図には記載がありますが、住所としては使われていないみたいですね。幌島と、川向の月寒(つきさっぷ)のあたりは、かつて「踏牛村」という村だったそうです。「踏牛」で「ふむにうし」と読ませていたのだとか。ふむふむ(ぉ
ふむにうしむら 踏牛村 <浦河町>
〔近代〕明治初年~明治15年の村名。浦河郡のうち。江戸期のホロシユマ・チキシャブからなったと思われる。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1302 より引用)
かなりネタバレ感がありますが、しれっと続けます。地名は,アイヌ語のフムンウシ(生草が多いところの意)に由来(北海道蝦夷語地名解)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1302 より引用)
ふむふむ(もういい)。{hu-mun}-us-i で「青草・多くある・ところ」なのですね。幌島はアイヌ語でポロシュマ(大岩の意)に由来。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1302 より引用)
はい。ご想像通りの解が出てきました。幌島は poro-suma で「大きな・岩」から来ていたようです。明治15年後鞆(しりへと)村の一部となる。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1302 より引用)
ということで、踏牛村は僅か 15 年で隣村に吸収合併される憂き目にあったのでした。そう言えば永田地名解には「後鞆(シリトモ)」と書いてありましたが、ここでは「後鞆(しりへと)」とありますね。東蝦夷日誌には「シリエトモ」とあったので、案外どっちも不正解というオチだったりして……。月寒(つきさっぷ)
(典拠あり、類型あり)
浦河町幌島の西隣にある地名で、同名の川も流れています。札幌市豊平区にも同じ字の地名がありますが、札幌の月寒は「つきさむ」なのに対し、浦河の月寒は「つきさっぷ」のままのようです(札幌の月寒も、元々は「つきさっぷ」でした)。ということで、今回も山田秀三さんの「北海道の地名」から。
月寒 つきさむ
浦河町内。幌別川川口と浦河市街の中ほどの処の地名,川名。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.344 より引用)
あれ……?札幌の月寒と同じように,前のころは「つきさっぷ」だったが,今は「つきさむ」と呼ぶようになった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.344 より引用)
あれれれ……? 現在でも地形図には「寒」の字の上に「さっぷ」とルビが振られていますし、日本郵便の Web サイトでも「つきさっぷ」とルビが振られています。浦河の方は現在でも「つきさっぷ」だと思われるのですが……。松浦氏東蝦夷日誌はモ・チキシヤプ(小・月寒川。月寒川のそばの小流)の処で「木をあやつりて火を出したる処といふ義。また赤楊皮(あかだも)の義也」と書き,永田地名解は「チキサプ。木片をもみて火を取りし処」と書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.344 より引用)
このあたりの地名の由来は札幌の月寒と全く同じみたいですね。chi-kisa-p で「我ら・こする・もの」だと考えられます。この場合の p は「もの」と解釈しましたが、具体的には chi-kisa-ni(ハルニレ)のことだったでしょうか。ハルニレ(エルム)を意味する chi-kisa-ni という言葉自体が「我ら・こする・木」と分解できるので、えぇと、ややこしいですね(汗)。土地のアイヌ古老浦川タレ媼に聞くと,月寒は昔は赤だもの木の多い処でチキサニ・カルシ(赤だもに生える茸)をとりに行って食べたのだという。チキサニと関係のあった地名なのではなかろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.344 より引用)
なるほど、chikisani-karus で「タモギダケ」という意味があるのですね。chi-kisa-p には chikisani-karus が多かったということは、chi-kisa-ni も多かったということになりそうです(ややこしい)。www.bojan.net
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