(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
ルテンベツ川
(典拠あり、類型あり)
浦河町を流れる日高幌別川の西支流の名前です。ルテンベツ川自体の支流として「ルテンベツ一号川」「ルテンベツ二号川」などがあります。……まるで戦隊モノみたいですね。古代ギリシャの哲学者・ヘラクレイトスは「万物は流転する」としましたが、このルテンベツ川の名前もその例に漏れなかったのでしょうか。山田秀三さんの「北海道の地名」から紐解いてみたいと思います。
ルテンベツ川
幌別川本流(シュㇺペッ川)の西支流。明治の図ではルーチシアンベツであった。ルーチㇱ・アン・ペッ(ruchish-an-pet 峠・ある・川)であったろう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.344 より引用)
あーなるほど。道理で手持ちの資料に記載が無かったわけですね。そう思って永田地名解を見てみるとRuchishi pet ルチシ ペッ 峠ノ川がありましたし、戊午日誌「東部保呂辺津誌」にも
しばし過
ルウチシベツ
左りの方小川。此川すじよりむかしウラカワえ山越をなしたりといへり。依て号るなり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.422 より引用)
とありました。正式?には {ru-chis}-an-pet で、-an を中略して {ru-chis}-pet と呼ばれることもあった、と言った感じでしょうか。{ru-chis}-an-pet であれば「{峠}・ある・川」という意味になりますね。「ルーチㇱペッ」が「ルテンベツ」になったのは、「チㇱ」を「テン」と間違えた……のでしょうね。これで「万物は流転する」という命題も証明されたと言えるのでは無いでしょうか(かなりどうでもいい)。
オバケ川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
日高幌別川がシマン川やメナシュンベツ川と合流した先(下流側)で合流する小支流の名前です。いちぶで有名な珍名河川ですが、ちょいとした問題地名でもあります。そのままアイヌ語で解釈するのも困難ですし、旧記にそれっぽい記載も見当たらないように思われるのですね。まさに読んで字のごとく「お化け地名」のようなのです。「北海道地名誌」には、次のように記されています。
お化け川(おばけがわ) 幌別川中流右支流。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.575 より引用)
マジですか(汗)。東西蝦夷山川地理取調図をちらっと見た感じでは、現在の「オバケ川」のあたりに「ヘケシリ」と記されているように見えます。また「東蝦夷日誌」にも次のような記載があります。
ベケシリ(左川)上にベケレシリという山有、譯て明き山の義なり。此山金銀の氣立故、昔し神が號しと。寛文年間迄は佐州〔佐渡〕より金丁多く入込たりと。奢久者允亂より廢せしと。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.205 より引用)
流石にちょいと読みづらいので、もう少し現代文に近づけておきますね。ベケシリ(左川)上にベケレシリという山があり、訳して明るき山の義なり。この山金銀の気立て故、昔神が名づけしと。寛文年間までは佐州〔佐渡〕よりも金掘り多く入り込みたりと。シャクシャインの乱より廃せしと。
「奢久者允」(シャクシャイン)という当て字が傑作ですよね(笑)。本題に戻りますと、peker-sir(「木のない(明るい)・山」)から流れていた川が「ベケシリ」という名前で記録されていることになります。知里さんの「──小辞典」を見ると、peker-sir が pekes-sir になったと思しきケースもあるようですから、ここも同じだったのかもしれません。
pekes-sir-pet(ペケシㇽペッ)が下略されて「ベケ川」になり、それが更に「バケ川」→「オバケ川」になった、という可能性もゼロでは無いかなぁ……と思ったりします。pekes-sir-pet であれば「木のない・山・川」となりますね。
もう一つ考えられそうなのが、西隣を流れている「ケバウ川」と混同した可能性です。明治期の地図には「ウバケ」と書かれていた可能性があり、誰かがうっかり「ケバウ川とは別に『ウバケ川』が存在する」と勘違いした可能性も棄却できないかなぁ……と。
ケバウ川
(典拠あり、類型あり)
ということでケバウ川です。ケバウ川はオバケ川の西側を流れていますが、オバケ川よりは長い川で、「ピスカリ橋」のあたりで日高幌別川に合流しています。今回は、ささっと山田さんの「北海道の地名」を引用してしまいましょう。
ケバウ
幌別川の川口から 3 キロ半ぐらい上った処に注いでいる西支流の名。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.342 より引用)
はい。ここまでは良いですよね。永田地名解は「ピバウ pibau。沼貝。ゲバウと云ふは訛謬なり」と書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.342 より引用)
ふーむ。確かに pipa-us-i であれば道内のあちこちに見られるのですが、pipa と kepa は結構違うような……?また地名では p が k に訛ることが多いので,特に日高ではケバウとも呼ばれていたことが永田地名解にも現れているのであった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.342-343 より引用)
えっ……と思って少し調べてみたのですが、pipa が kipa あるいは kepa になる、という例を見つけるには至りませんでした。pipa の方言や別名も確認しましたが、それっぽいものは無く……。「サラガイ」のことを kapiw-sey(かもめ・貝)と言うそうなのですが、サラガイは海の貝なので、内陸部の地名としては少々苦しいですし、仮に kapiw そのものだったとすると、貝という伝承?からは外れてしまいます。なんともスッキリしないのですが、永田地名解にある pipa-u の訛りだという説で考えるしか無さそうな気がしてきました。あとは -u をどう解釈するかなのですが、
からす貝の多い川は,ピパ・ウシという地名が一番多いが,ここの場合のように,ピパ・ウ(からす貝・ある)の形で残っているものが案外あったようである。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.342 より引用)
「ある」ですか。これは -o のことですかね。pipa-o であれば「カラス貝・そこにある」ということになりそうです。一般的な形だと pipa-o-i になりそうなものですが、最後の -i が無いか、あるいは -o-i が転訛して -u になったというオチでしょうか。仮に -u の正体が -o だったとすると「ケバオ」になりますから、右から読むと……。
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