2016年1月16日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (307) 「育素多・豊頃・幌岡」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

育素多(いくそだ)

i-uk-us-to
それ・採取する・いつもする・沼
(典拠あり、類型あり)
豊頃町北部の地名です。……豊頃町の中心地は役場のある「茂岩」と駅のある「豊頃」あたりなのですが、町域全体で見るといずれも北寄りなので、豊頃町中央若葉町から 1 km ほどしか離れていない「育素多」を「中部」と評するか「北部」と評するかで少々迷ったりもしました。まぁ、そんなところです(どんなところだ)。「育素多沼」という周囲 1.5 km ほどの沼もあります。

では、今回は更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」から。

ここにイウㇰ・ウㇱ・ト(菱をいつも採る沼)という沼があり、その近くの川原をイウㇰ・ウㇱ・オタ(菱をいつも採る砂浜)といったのがなまって、漢字を当てたもの。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.237 より引用)
ふむふむ。更科説は、永田地名解の次の記述を参考にしたものかもしれません。

Iuk ush ota  イウㇰ ウㇱュ オタ  採菱濱
Iuk ush to   イウㇰ ウㇱュ ト   採菱沼
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.305 より引用)
ota(砂浜)と to(沼)が併記されているあたり、そっくりですよね。

更に遡っていくと、戊午日誌にも次のような記述が見つかりました。

また巳に向ひ七八丁過て
     ユウクシフト
右のかた小川。此上にユウクシトウと云沼有。其名義は菱実が多き故号ると。ユウとは菱実、クシはウシの転じ也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.350-351 より引用)
松浦武四郎さんは「育素多沼」から流出する川、あるいは沼から川への出口のあたりの地名を記録していたと考えられそうです。ただ、ここで重大な問題が一つ見つかりました。調べた限りでは、「イウㇰ」が「菱」を意味するという裏付けが取れないのです

「菱の実」問題

「幾寅」などでお馴染みの yuk という単語がありますが、これは一般的には「シカ」を意味すると考えられるのですね。そして、「菱の実」を意味する単語には pekampe というものがあります。もちろん育素多のあたりでは「菱の実」を「イウㇰ」と呼んでいた、という可能性も考慮しないといけないのですが、明治期の地形図を見てみると、「イウㇰウㇱェトー」(現在の「育素多沼」)の北北西、統内の東側あたりに「ペカンペクトー」という沼が記録されているではありませんか!

つまり、この辺りでも pekampe という語彙がふつーに使われていたと考えられ、また、少し離れたところの沼の名前になっているということは……意味の取り違えがあったのではないかと思われるのです。松浦武四郎がうっかり意味を取り違えてしまったのを永田方正が追認してしまい、それを更科さんが孫引きしてしまったのではないかと思われるのですが、いかがでしょうか。

ちなみに、この「育素多」、「角川──」(略──)には次のように記されていました。

 いくそた 育素多 <豊頃町>
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.107 より引用)
何故か「いくそだ」ではなく「いくそ」になっているのが少々気になりますが……

〔近代〕昭和55年~現在の豊頃町の行政字名。もとは豊頃町大字豊頃村の一部。地名の由来は,アイヌ語のイウㇰウシュオタにより「採菱浜」の意(北海道蝦夷語地名解)とも,ユツクウシオタで「鹿の群がる浜」の意(豊頃町郷土資料集)ともいわれる。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.107 より引用)
権威?に流されなかった「豊頃町郷土資料集」、グッジョブの予感がしてきました。yuk-us-ota で「シカ・多くいる・砂浜」と考えるのが自然だと思われるのですが、いかがでしょうか。

2016/2/21 追記
i-uk-us-to で「それ・採取する・いつもする・沼」と解釈できることに気付きました。となると松浦武四郎の解釈でも間違いないと言えそうです。

豊頃(とよころ)

to-piwka-oro??
沼の・小石原・のところ
to-enkor??
沼・突き出ているところ
(?? = 典拠なし、類型あり)
豊頃町の町名で、同名の駅もあります。改めて考えてみると意味がよくわからない地名ですね。では早速、永田地名解を見てみましょう。

Topyokaoro   トㇷ゚ヨカオロ   ?
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.309 より引用)
ありがとうございました(お約束)。それでは続いて更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」から。

地名の語源はトㇷ゚ヨカオロであるというが、言葉の意味は明らかでない。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.237 より引用)
ふーむ。では続いて、我らが「角川──」(略──)を見てみましょう。

地名は,アイヌ語のトピオカル,あるいはトプヨカオロに由来し,「人死して住まはざる所」を意味する。これは,アイヌの抗争によってコタンに住人が無くなったという伝説にもとづいている(豊頃町史)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.999 より引用)
これはまた、町史にしては大胆な説を記したものですね。もちろん町史のオリジナルではなく、おそらく元ネタはこちらだと思われるのですが……。

また辰巳に向ひて行、凡三四丁にて
     トヒヨカ
と云、見はらしよき処也。其名義は此処むかしより死人を多く埋し処、段々かさなり居るより号しとかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.351 より引用)
これには流石に気が咎めたのか、次のような頭注も入っていました。

トプヨカオロ
豊 頃
top 伸びて
èyorka 後戻りする
or 所
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.351 より引用)
なんか尤もらしい解ですが、他にあまり例がないようにも思えるので、判断は一旦保留しておこうかと思います。

安田巌城さんの「十勝地名解」(井上寿・編著の「十勝アイヌ語地名解」に所収)には、次のようにありました。

トヨコロ(豊頃)
 「トイ・コロ」にて、土多く砂礫少きところの義なり。
(井上寿・編著「十勝アイヌ語地名解」十勝地方史研究所(帯広) p.68 より引用)
そして脚注には……

 トイ・コロ(土・のところ)すなわち土多くて砂利の少ないところの意味であるが、諸説あって確証ではない。
(井上寿・編著「十勝アイヌ語地名解」十勝地方史研究所(帯広) p.68 より引用)
とあります。

どうにも訳が分からなくなってきたので、山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみます。

北海道駅名の起源22年版は「トエ・コロから採ったもので,多くの蕗の意を有している」と書いたが納得しにくい。同書昭和25年版からは,永田地名解と同様「?」となっている。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.293 より引用)
「トエコロ」説は「地名の由来 | 北海道・豊頃町ホームページ」にも記されていますが、山田さんも記したとおり少々納得しがたいところがあります。

松浦氏十勝日誌にトヒヲカ(左小山)と書かれたものがこれらしい(ここでは左は東岸のことのようである)。語頭のトは場所がら沼のことであろうが,後が読みにくい。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.293 より引用)
うんうん。そうですよねぇ。

むりに言葉を当てる自信ももてない形なので,私も「?」のままにして置きたい。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.293 より引用)
えー……!(汗) そんなぁ……。

「人死して住まはざる所」あるいは「むかしより死人を多く埋し処」については、ちょっと訳しきれないので一旦措いておくとして、「トプヨカオロ」あるいは「トエコロ」という記録から考えてみようと思います。to-piwka-oro で「沼の・小石原・のところ」あるいは to-enkor で「沼・突き出ているところ」とは考えられないでしょうか。あるいは両者折衷で to-piwka-enkor という考え方もできるかもしれない……とか。「ヒヲカ」あるいは「プヨカ」を piwka と考えてみた結果、安田巌城さんの説とは真逆になるのがアレですが……。

幌岡(ほろおか)

para-utka?
広い・浅瀬
poro-piwka?
広い・小石原
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
豊頃町東部の地名です。豊頃駅と新吉野駅の間(ちょっと豊頃寄り)と言ったところでしょうか。「──岡」という地名がアイヌ語由来っぽくないなぁと思って候補からスキップしていたのですが、どうやら見当違いだったようでして……。

ということで、まずは「角川──」(略──)を見てみましょう。

 ほろおか 幌岡 <豊頃町>
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1358 より引用)
「幌岡」という地名は、道内に数か所あるようなので要注意です。

地名はアイヌ語に由来し,「北海道蝦夷語地名解」ではポロピウカ(大なる河跡の意),「豊頃町史」ではポロオカ(大きな川尻の上の意),「豊頃町郷土資料集」ではポロピウカ(大きなから川の意)とある。寛政12年の十勝川筋之図にはホコビヲカと見える。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1358 より引用)
……実は、「豊頃」の解で piwka を持ちだしたのは、この「ポロピウカ」説がヒントになったのですね。というわけで「幌岡」も poro-piwka で良さそうな気もするのですが……。もう少し詳しく見ていきましょうか。

「東西蝦夷山川地理取調図」には「ハラヒウカ」とあります。また、戊午日誌には次のようにあります。

過て凡三四丁にて
     ハラウツカ
此辺川巾凡三百間にも成、中に洲二ツ三ツ有る也。其名義は此処瀬なれども舟に乗よきが故に号るとかや。ワヽウツカと云よし。ワヽは渡ると云事、ウツカは瀬也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.357 より引用)
ということで、戊午日誌では para-utka で「広い・浅瀬」と解釈されていたようです。永田地名解では poro-piwka で「広い・小石原」となっているのですが、どっちも似たようなものなので甲乙つけがたいのが悩ましいです……。

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