2016年1月11日月曜日

「日本奥地紀行」を読む (53) 日光 (1878/6/23)

今日からは、1878/6/23 付けの「第十信(完)」(本来は「第十三信(完)」となる)を見ていきましょう。

商店と買い物

イザベラの「奥地紀行」は、前段として日光の入町村に移動して、その後は現在の「いろは坂」経由で中禅寺湖から湯元までリハーサルを兼ねた小旅行に出ましたが、再び入町村に戻って現在に至ります。本格的な「奥地紀行」に出発するにあたって、最後の買い物をしているところです。

旅行の準備のため鉢石(日光)で少しばかり買い物をしなければならなかった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.133 より引用)
買い物の仕方について記す前に、まずは日本風の「店」の形状の説明からです。

ご承知のように店先はすべて開いており、地面から約ニフィートの床と同じ高さに、光沢のある木の広い縁側が出ており、その上に客は腰を下ろす。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.133 より引用)
今でも観光地の「土産物屋」なんかに、似たような構造のものがありそうですね。続いて、赤ん坊を肩車しながらイザベラを「静かに眺めている」女店員について触れます。

これが女店員である。しかし彼女は、客がはっきりと買い物をする意志があると考えるまでは、じっと無頓着な様子をしている。それと分かれば、彼女は前に出てきて頭をすりつける。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.133 より引用)
このあたりの接客スタイルは現代に通じるものがありそうですね。もちろん頭を前にすりつけることはありませんけどね。この様子からは客、あるいはイザベラという外国人を畏敬しているようにも見えるのですが、必ずしも 100% そういう訳でも無いことが次のやり取りでわかります。

それから私か伊藤が品物の値段をきき、彼女はそれに答える。たぶん六ペンスで売るべきものを四シリングにもふっかけてくるだろう。三シリングでどうだ、と言うと、彼女は笑って、三シリング六ペンスだ、と言う。ニシリングでどうだ、と言うと、彼女はまた笑って、三シリングだ、と言う。そして煙草盆を出す。結局は彼女に一シリング払って、この問題は妥協してけりとなる。それに対して彼女は大いに喜んでいるように見える。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.133 より引用)
なかなかどうして、彼女も商売人だったのでした。イザベラの文章通りのやり取りがあったのであれば、その交渉術は必ずしも卓越したものではない……というか、むしろ稚拙なものであるように感じられるのですが、客から少しでも利益をむしり取ってやろうとする姿勢はなかなか逞しいですね。そして、そんな商売人の女性と丁々発止?の戦いを終えたイザベラは……

お互いに頭を何度もさげ、サヨーナラを言う。そして勤勉な女性に、彼女が考えている値段の二倍も払ったこと、自分の考えている値段よりも安かったことに満足を覚えながら、そこを去るのである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.134 より引用)
こちらはちゃっかりと予算内に収めたことに満足しているのですから、狐と狸の化かし合いとでも言うべきか……よく出来ていますよね。お互いが満足できたのは貨幣価値の違いによるものなのでしょうけど。

会計

続いては、普及版でカットされた内容についてです。店員の女性が「そろばん」を使うことについて、イザベラ流の見解が記されています。

あなた方が買値の提案を繰り返す間に、売る側の女性は大いにそろばんを使う。そろばんは日本のすべての取引に使われますが、枠で囲んだいくつかの太い針金の上の玉の列を動かすのです。それをあらゆる商取引に使うのですが、その習慣のために、日本人はそれなしでは2たす2もできないのです。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.55 より引用)
「そろばん」を使う習慣のために、「日本人はそろばんなしでは 2 + 2 もできない」というのは……本当だったのでしょうか(汗)。たとえ暗算できたとしても、ルールとして「そろばん」を使う、というのはあったんじゃないかなぁ、と思ったりもします。そう言えば、今でも子供向けの「そろばん教室」ってあるのでしょうか。

通訳の伊藤少年は、日本人と外国人の商慣行の違いについて、次のようにイザベラに語ったようです。

伊藤は、彼らは日本人に彼らが売ってもよい金額を訊ねるのにたいして、外国人は「脅して」それを負けさせ、日本人より安く手に入れるといいます。──日本人は同じやり方をするには礼儀正しすぎるのです。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.55-56 より引用)
伊藤少年の言葉が本当なのだとしたら、お店の女性は「外国人相手の交渉術」を巧みに繰り出していた可能性も出てきますね。やはり、交渉で多少なりとも値引かせるというのは「プロの技」だったということでしょうか。日本人の旅人の多くはシャイだったと言えるのかも……しれません。

それにしても、これはこれで中々面白い話題だと思うのですが、何故にこのセンテンスをカットしてしまったのでしょう……?

床屋

では、本文に戻りましょう。続いては「床屋」の話題です。……いつまで「床屋」という言葉を普通に使えるのか、そっちのほうが心配になったりしますが……。

床屋が何軒かある。彼らにとって夕方は忙しいときらしい。村における私的生活の一般的欠如は理髪にも及び、一段上がった開放された店先で髪が刈られる。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.134 より引用)
イザベラがしきりと口にする「私的生活の一般的欠如」が再び登場です。そう言えば子供のバリカン刈りなんかが軒先で行われていた時代もありましたよね。そこから想像すると、「床屋さん」の情景もある程度想像がつくかもしれません。

そして、当時はまだちょんまげ+月代(さかやき)が現役だったので、カットには剃髪ももれなく含まれていた、と考えられます。もちろんシェービングクリームやジェルなどがある筈も無く、それどころか……

石鹸が用いられないから、剃られるのは苦痛である。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.134 より引用)
うひゃあ。これは「命がけ」とまでは言わないにしても、かなりの苦行だったことでしょうね。まぁ、その分刃物のメンテナンス(砥石がけとか)なんかは現代よりもこまめに行われていたんじゃないか、と思ったりもしますが。

この犠牲者は、着物を腰まで落とし、切った髪の毛を受けとるための漆器の盆を左手にもつ。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.134 より引用)
「犠牲者」って(笑)。カットした髪を後で掃除機で吸い上げる、なんてことはできなかったでしょうから、なるほど、カットされる側の客がお盆を持たされていたのですね。これは……イザベラが「犠牲者」呼ばわりするのも、なんかわかるような気がします。

そんな床屋の軒先で行われる悲喜劇を目にしたイザベラさんですが、最後は綺麗にまとめていました。

すべすべと光るまで顔を剃り、髪を刈り、びんつけ油をぬり、紙撚りで髭を結ぶのは、日光の夕景色の一つである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.134 より引用)
あははは(笑)。これは確かに。

油紙

イザベラさんは、いかにも日本的な美に対する興味も否定しませんでしたが、同時に(たとえば「煙草盆」のような)実用品により多くの興味があることを公言していました。文化人類学的な視点での関心が強かったのでしょうね。

漆器や珍しい木彫りは店頭で大いに人をひきつける品物であるが、日本人が日常生活で使う実用品の方が私にはずっと興味がある。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.134 より引用)
何故に「油紙」なのかな、と思ったのですが、なるほど、ふつーに梱包用だったのですね。当時はダンボールのような便利なものは無かったでしょうから、油紙が最良の選択肢だったということでしょう。

それから荷物をつつむために同じ油紙の大きなものを幾枚か買った。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.135 より引用)

伊藤の虚栄心

続いて、いきなり伊藤少年のファッションについての話題になりました。

私は伊藤を説得して、彼の不愉快な黒い広縁の中折帽をやめさせて、私のかぶっているような鉢形の帽子をかぶらせることに成功した。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.134 より引用)
同行者のファッションにケチをつけるとは、なかなか酷いことをするなぁ……と思ったのですが、イザベラ姐さんの伊藤少年批判は更にエスカレートします。

私は彼を醜い男だと思っているのだが、彼は虚栄心が強く、歯を白くみがいたり、鏡の前で念入りに顔に白粉をぬったり、日に焼けるのをたいそう恐れている。彼は手にも白粉をつける。爪をみがき、手袋なしでは決して外出しない。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.134 より引用)
ふわー……(汗)。いや、面接の時に初めて会った時からイザベラが伊藤少年のことを「油断のならない男」だと見ていたのは知ってましたが、ここまでボロカスに全否定するとは……(汗)。サブタイトルからして「伊藤の虚栄心」ですからねぇ。これは伊藤少年との関係が気の置けないものになってきたことの裏返しなのか、それとも……?

大黒信仰

続いては、本日二度目のカットされた部分についてです。「大黒信仰」と言うと横浜ベイブリッジを崇める新興宗教のような感じもしますが(しません)、現地の人々の「現実主義」「物質主義」的な思想を「大黒信仰」と題したもの、ということのようです。

人々は「朝早くに起きて、辛苦の糧を食べ」ますがみな借金があります。そして入町では、最近大火による被害を受け、自分自身を沈まないようにしているのがやっとです。私は彼らを大変気の毒に思いますが、それは、彼らが貧しいからというだけではなく、迷信的ではあっても、彼らは物質主義者で、身も心も富の神である大黒を崇拝してもいるからです。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.56 より引用)
このリードを受けて、次のような文章が続いていました。

私は彼らがみなキリスト教徒であって、すなわち彼らがわが主キリストに純粋で忠実に、無私に従う者であり、そして、「主は情け深く、あわれみ深く、正しくあられる」という詩篇(112)を祈祷書に翻訳したものの中で神を敬う者の含蓄のある叙述を実現したらいいのに、と思います。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.56 より引用)
つまり、イザベラは「正しい宗教を信仰していないから、入町の人々は救われないのだ」という、いかにもキリスト教的な「独善的な上から目線」で人々を見ていたことが明らかになりました。「日本奥地紀行」の端々にこういった視点で語られる文章が出てくるのですが、さすがに適切ではないと判断したのか、この「大黒信仰」の一節は普及版ではカットされたようです。

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