2016年1月9日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (305) 「統内・礼作別・農野牛」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

統内(とうない)

to-un-nay
沼・そこに入る・川
(典拠あり、類型あり)
豊頃町北西部、十勝川の西側の地名です。早速ですが、懐かしの「角川──」(略──)を見てみましょう。

 とうない 統内 <豊頃町>
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.929 より引用)
はい。ちょいと中略して……

地名はアイヌ語のトーナイ,又は卜-ウンナイに由来し,沼谷(アイヌ地名考),沼川(北海道蝦夷語地名解),沼から出る川(豊頃町史),沼沢(豊頃町郷土資料集)などを意味するという。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.929 より引用)
「北海道蝦夷語地名解」(永田地名解)の「沼川」という解がどこにあるのだろう……と思ったのですが、「十勝川筋」ではなく「大津川筋」に記載がありました(p.298)。永田地名解は「ト ウン ナイ」(to-un-nay)と記録していますが、明治期の地形図には「トー ナイ」とあります。un は中略される場合も割とあるので、元々は to-un-nay だった可能性が考えられそうですね。

to-un-nay は「沼・そこに入る・川」かな、と思います(豊頃町史の「沼から出る川」とは真逆の解釈になっちゃいますが)。問題はどこにも沼が見当たらないところなのですが、明治期の地形図を見ると現在の幕別町新川の東側あたりに「キムウントー」というかなり大きな沼の存在を見て取れます(kim-un-to で「山・そこにある・沼」即ち「山側の沼」と読めますね)。

そして、「トーナイ」は「キムウントー」の東側にあった「ペカンベクトー」(?)に注いでいたようです。これらの沼が現存しないのは、ほぼ同じ位置に十勝川の新川が開削されたから……だと思います。

戊午日誌 p.232 の注には「ペカンベトウ」とありますね(本文は「ヱイコツトウ」)。

また、現在の統内のあたりには「トーナイ川」は現存せず、代わりに「打内川」(うつない──?)と「平和川」が流れているのですが、明治期の地図を見た感じではペカンベクトーと十勝川をつなぐ川が「ウッナイ」で、ペカンペクトーに注ぐ川が「トーナイ」となっていました。

十勝川自体が新川開削で西側に移動してしまったので、ウッナイ(打内川)が十勝川に注ぐ川の名前として残り、沼に注ぐ川だった「トーナイ」の名前が消滅してしまったように見えます。結果として川の名前が変わってしまったことにはなるのですが、アイヌ語での本来の意味を考えると適切な名称変更にも思えるので面白いですね。

礼作別(れいさくべつ)

re-sak-pet
名前・ない・川
(典拠あり、類型あり)
豊頃町統内から 3 km ほど南のあたりの地名で、同名の川もあります。この地名については旅行記の方で以前にも記事にしたことがあるので、ご記憶の方もいらっしゃるかもしれません。

というわけで、山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみましょう。

礼作別 れいさくべつ
 豊頃町内。茂岩の北隣の川名,地名。レーサクという地名は道内の処々にある。明治の測量時代には,土地のアイヌがその測量の手になり,地名もアイヌから教わって記入した。アイヌ時代はずいぶん小さい川にも名があったが,時には名のないものもあった。和人の測量者がそんな川で名を聞くとレー・サク・ペッ(re-sak-pet 名が・無い・川)とか,レー・サク・ナイ(同)と答えた。和人の方では,それを川名として記入した。それがこの名のもとだという。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.293 より引用)
ということで、なんと re-sak-pet で「名前・ない・川」だったみたいです。まるで「題名のない音楽会」のようですね(なんか違う)。

 地図として印刷されると,もうそれが立派な地名になる。明治29年図ではレーサクペッであったが,それに礼作別と立派な当て字をされて今日に残った。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.293 より引用)
そういうことですね。元々はヒアリング時の誤謬から生じた珍名も、今では立派な地名になってしまったのでした。

松浦武四郎自筆日誌を見ると,処々に「無名の小川」という名が出て来る。彼はアイヌ語を知っていたので,訳した名の方を残したのであった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.293 より引用)
アイヌは元来は漁撈の民で、川伝いに山に入っていった、なんて話もあるくらいですから、川については凄く小さな流れにも名前をつけていたと言われます。礼作別川はそれなりに大きな川ですが、名前が無かったということは、このあたりを生活圏とするアイヌがいなかったか、あるいはインフォーマントの選択を誤ったのか、そういった事情があったのでしょうね。今は十勝川も整備されたこともあり、礼作別のあたりも普通に農地が広がっていますが、かつては色々と住みづらい土地だったのかもしれません。

農野牛(のやうし)

noya-us-i
よもぎ・多くある・ところ(川)
(典拠あり、類型あり)
豊頃町西部の地名で、同名の川も流れています。では、今回も山田秀三さんの「北海道の地名」から。

農野牛 のやうし
 豊頃町内の川名,地名。農野牛川は元来は牛首別とは別の川であったが,牛首別の新川ができて,その北支流の形になった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.292 より引用)
へぇ~と思って 1944 年に撮影された航空写真をチェックしてみたのですが、その時点で既に牛首別の新川が開削されていたみたいですね。現在の牛首別川河口部から見て南側の山向こうに「下牛首別川」という川があるのですが、もともとはこの川が本流だったのかもしれません。だとすると、なかなか大胆な河川付替えをしたものですね。

農野牛の語源ですが、戊午日誌にも次のようにありました。

また巳辰のかた五丁計も行て
     ノヤウシ
右のかた小川、此辺原也。其辺には艾(よもぎ)多きよりして号しもの也。ノヤとは艾の夷言也。ウシは多しと云儀。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 下」北海道出版企画センター p.352 より引用)
「艾」で「よもぎ」と読むんですね……(そこか)。noya-us-i で「よもぎ・多くある・ところ(川)」と考えて良さそうです。

また、山田さんの「北海道の地名」にも次のようにありました。

永田地名解は「ノヤ・ウシ noya-ushi(蓬多き処)」と書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.292 より引用)
解釈には異論がないのですが、手元の永田地名解をささっと見たところでは、農野牛のことを記したと思しき記述を見つけられませんでした(p.305 に「ノヤ ウシ」があるのですが、中川郡・利別川筋とあるので、別のノヤウシの可能性があります)。「農野牛」の解釈には特に違いは無いので、別にどーでもいいと言えばどーでもいいのですけどね(汗)。

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