2015年11月19日木曜日

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日本最長路線バスの旅(番外編)#3 「市町村に歴史あり」

 

「河口が塞がっている川」阿田和川を渡って 1 km ほど走ると「阿田和駅」(あたわ──)に到着です。
この阿田和駅、阿田和の集落の中心から少し北にずれたところに位置するように見えるのですが、何か歴史的経緯があるのでしょうか。Wikipedia を見るとこんな歴史があるようなのですが……

当駅は開業の数ヶ月前から紀伊半島内陸部にある紀州鉱山のひとつである入鹿鉱山からの鉱石を積み出していた。鉱石は紀和町板屋にあった入鹿鉱山からはるばるこの阿田和まで索道を使って運び出され、当駅から鉄道で運ばれた。
(Wikipedia 日本語版「阿田和駅」より引用)
……ただ、現在の位置が索道と連絡する上で便のいい場所だったかと言うと、必ずしもそうでも無いような気がするので……謎ですね。

駅舎はホームの北側にあります。スロープを下りていって……
構内踏切を越えた先に立派な駅舎があります。残念ながら 1983 年に無人化されてしまったとのことで、駅員さんの姿を見ることはできません。

昭和の大合併

阿田和駅の次が紀伊市木駅で、その次が「神志山駅」(こうしやま──)です。
阿田和・紀伊市木・神志山はいずれも御浜町にある駅です。さぞかし町村合併で一つになったのだろう……と思ったのですが、1958 年に「阿田和町」「神志山村」「市木尾呂志村」が合併して「御浜町」が発足したとのこと。思った以上に歴史の長い町だったみたいです。どの駅も立派な駅舎がありますが、いずれも 1940 年の路線開通の際に設けられた駅なんですね。

神志山駅を出発して、志原川を渡ると熊野市に入ります。地形図で見ると、このあたりが沿岸流によって形成された地形であることが良くわかりますね。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

熊野市有馬の有井駅

熊野市に入ってから 4 km ほど走ったところで、ようやく有井駅に到着です。
駅の所在地は「三重県熊野市有馬町」なのに駅名が「有井」なのは、1889 年に「有馬村」(有井駅の周辺)と「井戸村」(熊野市駅の周辺)が合併して「有井村」ができたことに関係するようです。現在の「熊野市駅」が開業時は「紀伊木本駅」を名乗ったことと、おそらくは国鉄有馬線に「有馬駅」があったことの影響で、「有馬」ではなく「有井駅」になったのでしょうね。

有井駅は熊野市内で二番目のポテンシャルがある駅の筈ですが、2013 年の一日平均乗車人員は 69 人とのこと(2011 年以降は微増が続いているようですが)。ご覧のとおり改札口などは存在しない無人駅です。

熊野市駅

かつての「有馬村」と「井戸村」の間には山があり、紀勢本線は海寄りにカーブしつつ 2 本の短いトンネルで山の端をくぐり抜けます。井戸川を渡ると程なく「熊野市駅」に到着です。
さすがは「市」の中心駅だけあって、ホームには多くの高校生が列車を待っていました。ちょうど 16:30 頃なので、これから家に帰るところなのでしょうね。
新宮行きの普通列車とすれ違います。キハ 48 の 2 両編成でしょうか。国鉄時代からの生え抜きの車両ですね。
「熊野市駅」は、前述のとおり当初は「紀伊木本駅」(きいきのもと──)という名前でした。1954 年に「荒坂村」「新鹿村」「泊村」「有井村」「神川村」「木本町」「五郷村」「飛鳥村」の大合併で「熊野市」が発足し、駅名は 1959 年の紀勢本線全通時に「熊野市」に改称されたのだとか。

国鉄では珍しかった「○○市」という駅名になったのは、「熊野」が三重県と和歌山県の両方にまたがる大地名だったことを憚ってのことだったようです。

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