国道に戻って、「請川」「下地橋」「高津橋」「大津荷」とバス停を通り過ぎ、「二ツ石トンネル」と「東敷屋トンネル」というちょっと長めのトンネルを通ります。手前の二ツ石トンネルの通過中に新宮市熊野川町に入ったことになります。ついに新宮ですね……。
川沿いの長い覆道を抜けると
トンネルを抜けると、前方にこれまた長そうな覆道が見えてきました。スノーシェッドと言うよりは、落石防止が主目的でしょうか。覆道は熊野川の流れに沿って作られています。本宮から新宮へは東南に向かうことになりますが、この覆道は南から北に向かっているので、いずれはトンネルが掘削され、この覆道もお役御免になるのでしょうね。
覆道を抜けた先の熊野川の対岸には、電源開発の「十津川第二発電所」がありました。「戸塚話題に発電所」ではありません(汗)。
整理券番号、ついに三桁に
国道 168 号から国道 169 号と国道 311 号(重複区間)が分岐する「宮井大橋」の次が「志古」バス停です。大和八木駅を出発してから 4 時間 50 分、運賃は 4550 円となりました。この「志古」は、単なるバス停……ではなくて、瀞峡ウォータージェット船のターミナルがあるところなんですね。瀞峡は熊野川の支流の北山川にあって、ここから船で遡れるみたいですね。
そして、既にお気づきの方もいらっしゃるかも知れませんが……整理券の番号がついに 100 を超えました!(笑) 直前の宮井大橋からは 200 円、大和八木からは 4550 円ですね。
薩摩守生誕の地
志古と、次の「日足」(ひたり)の間のあたりには、こんな看板が立っています。「平忠度 生誕の地」そして右側に少し小さい字で「薩摩守」とあります。バイクレーサーの人では無くて平家一門の人ですね。と言っても清盛の子ではなく、清盛の父親の忠盛の子なので(清盛の異母弟)、平家不遇の時代の生まれでしょうか。
「薩摩守」と言えば「無賃乗車」の隠語としても知られますが、何でもかなり歴史の古い隠語だそうで、
狂言『薩摩守』では渡し舟に乗り、「平家の公達、薩摩守忠度」と言って舟賃を踏み倒そうとする僧が登場しており、かなり古くから知られた語呂合わせであったと見られる。
(Wikipedia 日本語版「平忠度」より引用)
……なんともお気の毒としか。熊野交通のエリアですが
八木新宮線の路線バスは、奈良県と和歌山県にまたがったエリアを走ります。奈良県内(大和八木駅~十津川村まで)は事実上奈良交通の独占エリアですが、和歌山県に入ってからは熊野交通のエリアを走ります。そんなわけで、すれ違うバスも殆どが他社のものですが、やはり狭い道を分け合う仲だけあってか、仲間意識は強いようですね。
上流のダム放水を警告する電源開発の警告板がありました。連署で「新宮警察署」とあるのを見ると、ああ、新宮にやってきたんだなぁ、と思ってしまいますね。
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