2015年10月31日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (293) 「ニセイケショマップ川・イトムカ・ルベシナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

ニセイケショマップ川

nisey-kes-oma-p?
断崖・下・そこにある・もの
(? = 典拠未確認、類型多数)
北見市留辺蘂町の西部を流れる無加川の支流の名前です。留辺蘂町厚和を流れる「ケショマップ川」とは別の川なのでお間違えなく。

「ケショマップ川」は nupuri-kes-oma-p で「山・下・そこにある・もの」でしたが、こちらは nisey-kes-oma-p で「断崖・下・そこにある・もの」と解釈できそうです。地形図で見ても、近辺の他の川と比べて(多少ではありますが)等高線の間隔が狭くなっているところが多く、断崖絶壁の下を流れている感が高そうな感じがします。

イトムカ(伊頓武華)

i-tom-{muka}?
それ・輝く・無加川(の支流)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
北見市留辺蘂町西部の、国道 39 号沿いの地名です。かつて水銀鉱山があったことで有名な地名ですね。一応「伊頓武華」という字が当てられたようですが、画数が多くて書きづらいからか、鉱山の名前などはカタカナ表記の「イトムカ」がそのまま使われていたようですね。

そこそこ名のしれた地名である「イトムカ」ですが、山奥だったことも災いしてか、その由来は詳らかではありません。ということで、前置きも程々に、山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみましょう。

イトムカ
 留辺蘂町内。無加川水源の右股の名,地名。わが国最大の水銀鉱山のあった処(今は廃山)。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.203 より引用)
はい。イトムカの水銀鉱山は 1974 年に採掘を終了していますが、跡地は水銀含有廃棄物のリサイクル工場として健在です。かつては水銀を採掘し、現在は水銀製品を回収して再利用しているというのも面白いですよね。

さて、本題に戻りましょうか。

語義は不明。そのまま読めば i-tomka(それ・輝かす)とも,また i-tom-muka「それが・輝く・無加川(支流)」とも聞こえる。i-tom-utka(それが・輝く・早瀬)とも読める。鉱物が光って見えたものか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.203 より引用)
ふむふむ。tom という単語は初めて耳にするような気がするのですが、確かに萱野さんの辞書には「(キラッと)光る,照る,輝く.)」とあります。

また、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には、次のようにあります。

イトムカ
層雲峡に越える大雪国道の途中、水銀鉱のあったところ、古い五万分図にはイトンムカとあり、無加川の左支流の名であるが、
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.290 より引用)
相変わらず「途中、……ところ、……とあり、……であるが、」という句点の無い文章なのは流石ですが、閑話休題。古い地図には「イトンムカ」とあるのですね。山田さんは i-tomkai-tom-mukai-tom-utka の三つの可能性を記していましたが、「イトンムカ」という表記からは i-tom-muka が一番近そうに思えてきます。

あ、まだ続きがありましたね。

イトンの意味不明。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.290 より引用)
……(汗)。まぁ、仮に「イトンムカ」という記録が無かったとしても、i-tom-{muka} が一番あるんじゃないかなぁと思ったのですけどね。ということで「それ・輝く・無加川(の支流)」と考えていいんじゃないかなぁと思います。
無加川

ルベシナイ川

ru-pes-nay
道・それに沿って下る・沢
(典拠あり、類型あり)
国道 39 号の「石北峠」を越えると、「雪見台」とあるあたりからルベシナイ川に沿って西に向かうことになります。地形図を見ると、ルベシナイ川沿いに遡る「けもの道」もあるようで、どうやらこれが石北峠の旧道のようですね。ルベシナイ川は、国道 39 号が武華トンネルに向かうあたりで支流の「ポンルベシナイ川」と合流します。pon は「小さな」という意味ですね。

さて、「ルベシナイ」という地名(川名)は道内のあちこちにありすぎて、逆に典拠を探すのが大変なのですが、「北海道地名誌」に記載が見つかりました。

 ルペシナイ川 石北峠から流れ,ユニイシカリ川と合し石狩川に入る流れ。アイヌ語の道の通る川の意。この川を伝って北見イトムカに山越えをした。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.327 より引用)
はい。ru-pes-nay で「道・それに沿って下る・沢」と考えて良さそうです。ru-pes-pe で「ルベシベ」という地名(川名)も多いですが、ここは pe(もの)が nay(沢)に変わった形ですね。

国道 39 号はルベシナイ川沿いに下がるのではなく、わざわざ武華トンネルで山を越えて北に向かっていますが、これはルベシナイ川の下流に「大雪湖」があって、橋を架けるか大回りを余儀なくされることも影響しているのでしょうね(大雪湖が無かったとしても、武華トンネル経由のほうが若干距離が短くなります)。

大雪ダムが無かった頃は、ルベシナイ川に沿って下るのが一番自然なルートだったと思われます。「ルベシナイ」の名前の所以ですね。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2015年10月30日金曜日

日本最長路線バスの旅 (16) 「さらば、昴よ」

八木新宮線の路線バスは、十津川バスセンターでの 10 分休憩を終えて、新宮駅に向かって走り始めました! さぁ、終点の新宮駅までは……
まだ「約 2 時間」という、ざっくりとした表示でした(汗)。まだまだ先は長いですねぇ……。

出発は U ターンで

さて。バスは休憩に入る際に、わざわざ東南東に向きを変えて停車しました。これから新宮に向かうには、後ろに見えるトラス橋を渡らないといけません。
ということで、再びくるっと(ほぼ)180 度ターンします。右手にはダム湖が見えていましたが……
気がつけば、ついさっきまで停まっていたバスターミナルが右側に見えます。

目を閉じて何も見えず(当然です)

十津川バスセンターからは、そのまま新宮に向かうのではなく、この日 3 回目の「寄り道」をします。災害復旧のために「大塔支所」と「今戸」でも寄り道をしていますから、それを含めるとこの日 5 回目ということになりますね。

国道 168 号線を離れて、600 m ほど西にある「ホテル昴」に向かいます。
ホテル昴にやってきました。何名か降車客があったと記憶しています。わざわざ寄り道した甲斐がありましたね。

ちなみに、この先の区間が土砂災害で通行止めになることがちょくちょくあるのですが、十津川温泉と町境(県境か)までの道路には代替ルートが存在しないということで、その場合は、この「ホテル昴」で運転が打ち切られます。ちょうど広い駐車場もあるので、転回が容易なのもポイントでしょうか。

もっとも、転回だけであれば十津川バスセンターでもできる(というか、無理やり転回を強いられる)ので、ホテル昴まで行くのは転回のためだけでは無いのですけどね。
扉が閉まり、ホテル昴を後にします。これがホンマの「さらば、昴y(ry

世界遺産・熊野古道をゆく

国道 425 号線を逆戻りして国道 168 号線との交点まで戻ってきました。そう言えばこの辺も世界遺産の「小辺路」なんですねぇ。
「ホテル昴」の次のバス停が「櫟砂古」です。これで「いちざこ」と読むそうで。
奈良県には「櫟本」と書いて「いちのもと」と読ませる地名があるので、ある程度は読める人がいるかもしれませんが、これって結構難読ですよね?

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2015年10月29日木曜日

日本最長路線バスの旅 (15) 「十津川バスセンター」

八木新宮線の路線バスは、十津川村の「十津川バスセンター」で 10 分間の休憩に入りました。このアングルで見ると、どう見てもスイッチバック構造ですよね。

地方における公共交通のあり方

ちなみに、バス停の名前は「十津川温泉」です。
そして、バス停であるからには時刻表もあります。
八木駅方面には 6:03、7:00、8:01、10:01、12:14 そして 15:50 の 6 便があるようですが、6:03 と 7:00 そして 15:50 が五條バスセンター止まりです(2014 年 6 月現在)。朝 6:03 の便は「広域通院ライン」という名前で、県立五條病院玄関口経由なのだとか。地方における公共交通のあり方が良くわかりますね。

広い広い十津川村

そして、バス停の後ろには堂々と鎮座する「ようこそ十津川温泉へ」のオブジェが。
日本一広い村(北方領土を除く)として知られる十津川村を、北から南に向かっていますが、ようやくここまでやってきたようです。
この先は南に向かって田辺市本宮町を経由して、その後は熊野川沿いを南東に進んで新宮駅に向かいます。

小型バスあれこれ

「十津川バスセンター」という名前だけあって、バス駐車場には様々なサイズのバスの姿も見られます。やはり小型のバスが目立ちますね。

十津川バスセンター

そういや「十津川バスセンター」の建物内に入っていませんでした。
中には自販機と「バス待合所」があります。もちろんトイレもあるので、今のうちに済ませておきたいですね(八木新宮線のバス車内にはトイレはありません)。
バスが停車しているところから中に入ると、乗車券うりばが見えます。奈良交通と十津川村営バスのどちらも取り扱っているようです。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2015年10月28日水曜日

日本最長路線バスの旅 (14) 「スイッチバック!?」

八木新宮線の路線バスは、災害のため(なのだそうです)高滝口バス停経由の旧道ではなく、今戸トンネルを経由して十津川村折立にやってきました。だがしかし!

バスは、折立のバイパス終点から新宮に向かうのではく、なんと逆に北に向かい始めました。実は、わざわざ旧道沿いの今戸バス停に立ち寄るルートになっていたらしいのですね。

このルートがどう不自然なのか、もはや文章だけでは説明できない気がしてきたので、Google マップをつけておきますね。発電所の近くで国道 168 号バイパスに入って、折立(「平谷小」とあるあたり)から南に向かえばいいものを、わざわざ一旦北に戻って、旧道沿いの今戸バス停に向かっていたのでした。


わざわざ引き返す前提で向かう「今戸」というバス停は、どんなバス停なのだろうか……と思ったのですが、
まぁ、案の定と言いますから、ごくごくふつーのバス停でした。これは新宮方面に向かうバス停なのですが、バスはちょっと広くなっている路側に車体を寄せて、
ちゃちゃっと切り返して、バスの向きが変わりました。お見事!
ちょうど、ついさっき走ってきたバイパスが見えています。こうやって見ると川沿いの凄いところに建設されていることが良くわかりますね。

地産地消?

「込之上」(こみのうえ)というバス停でお客さんが乗ってきました。左側には、二津野(ふたつの)ダムの貯水池がある筈なのですが、ほとんど見えないですね。
ちなみにこの込之上バス停、北行きのバス停にはなかなか風情のある待合室がありました。この色合はもしかしたらヒノキ材でしょうかね?

三度目の休憩

大和八木駅を 9:15 に出発してからおよそ 4 時間と 10 分が経過しました。次の「十津川温泉」バス停でこの日最後の休憩に入ります。待ってました!
13:30 に、八木新宮線のバスは定刻通り(たぶん)に「十津川バスセンター」に到着しました。ここで約 10 分の休憩です。

スイッチバック!?

さて、左側に 4 トントラックが見えていますが、このトラックは北に向かって走行しています。つまり、バスはわざわざ進行方向とは逆に向きを変えて、バスセンターの乗り場に横付けしていることになります。
これって、まるで鉄道のスイッチバック駅ですよね……。それにしても、これだけリバースギアを多用する路線バスというのも珍しいような気がします。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2015年10月27日火曜日

日本最長路線バスの旅 (13) 「旧道をゆく!」

十津川村役場を出発した八木新宮線の路線バスは、国道 168 号線の旧道をゆきます。途中で小型のバスとすれ違いましたが、これが村営バスなんでしょうか? 行き先に「瀞八丁」と出ていたのですが、http://www.vill.totsukawa.lg.jp/www/contents/1395651344549/ によると、なんと十津川村役場から瀞八丁まで一日 2 往復バスが走っているのだそうです。

十津川村小原

ここは「大津呂」という集落ですが、バス停の名前は「十津川村小原」です。橋の向こうの小原集落の方が栄えているからなんでしょうね。

旧道をゆく!

次のバス停は「滝」というところだそうですが……
うわわわわっ……。これは随分と狭い道ですね……。この道をフルボディの路線バスが走るというのは驚きです。
うわー、本当に走っちゃってますよ(汗)。もちろん対向車が来たらアウトですが、信号機らしきものがあったかどうかは……。バイパスができたので、それだけ交通量が少なくなっているということなんでしょうか。

突然の多重立体交差

「滝」バス停を過ぎると、「このバスは高滝口には参りません」というアナウンスが。そしてバスは国道 168 号(旧道)から離れて国道 425 号に入ります。

国道 425 号のトンネルを抜けると、右手にはなんと川の上に多重立体交差が。ちょうど真上に見えるのが国道 168 号バイパスのようです。
バスは、ちょうど右手に見えていたランプウェイのような道をゆきます。
かなりクネクネしているので地図をつけておきますね。今はちょうど逆 S 字のような道を登っている途中です。ちょうどこの近くに十津川第一発電所があるんですね。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

やむなく?バイパスをゆく

上に国道 168 号(新道)のトンネルが見えます。そして下に見えるのがさっき通った国道 425 号のトンネルですね。
逆 S 字の要領で国道 168 号(新道)に合流しました。右手に見えるトンネルは、直前に見えていたのと反対の、南に向かう「今戸トンネル」です。
なるほど、このトンネルを通るので、旧道沿いの「高滝口」には行かないのですね。ちなみに、この「高滝口」バス停は、現在も

災害による迂回のため、当面の間、宇井・長殿発電所前・高滝口には停車いたしません
(奈良交通 運行状況 Web サイトより)
という扱いなのだそうです。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2015年10月26日月曜日

日本最長路線バスの旅 (12) 「十津川村役場」

八木新宮線の路線バスは、十津川村風屋の「風屋ダム」の近くにやってきました。エメラルドグリーンのダム湖が美しいですね。
郵便局がありました。風屋の集落はダム湖のほとりにあります。ダムが建設された時に集団移転したのでしょうね。南向きの風光明媚なところです。
風屋ダムの横にある「風屋隧道」を抜けた先の下り坂で、大和八木に向かっている八木新宮線の路線バスとすれ違いました。今回もいいタイミングで写真が取れてましたね(珍しい……)。

風屋ダム

風屋ダムのすぐ下流で十津川と支流の「滝川」が合流しています。「風屋大橋」からはちょうど風屋ダムが良く見えますね。
風屋ダムから取水している導水管が見えてきました。どうやら「十津川第一発電所」まで水を送っているようですが、10 km 近い距離をわざわざ流しているんですね。落差を稼ぐにはここまで距離が必要になるんでしょうか……?

いわぶら?

「岩村橋」というバス停にやってきました。随分と立派な橋が見えますが、地図で見た限りではこの集落専用の橋のようです(その先に車が通行できる道は無い)。

ちなみに、このあたりは「岩村」という地名なのですが、地理院地図には「村」の字に「ぶら」とルビが振ってありました。これは「いわぶら」と読む、ということなんでしょうかね。
そして、おなじみの奈良交通のバス停……のように見えますが、よく見ると「奈良交通・十津川村」という文字が。一部の路線を十津川村に移管しているということなのでしょうね。まぁ、「公共交通」ですから自治体が絡むのも特におかしな話では無いと思います。

十津川村役場

「山崎トンネル」「池穴トンネル」「小井トンネル」そして「湯之原トンネル」
を抜けて「小原大橋」を渡ると、十津川村役場が見えてきました。「村の役場」というイメージからは程遠い、とても立派な建物なのが目を惹きますね。
十津川村の財政も決して余裕があるわけで無いのでしょうが、Wikipedia によると「実質公債費比率が奈良県内で最も低い」のだとか。とても堅実な予算の組み方をしているのでしょうね。

日本最長の生活路線

十津川村役場を過ぎると、国道 168 号は 1,617 m の「大津呂トンネル」に入りますが、これだと大津呂の集落(というよりも、むしろ対岸の小原集落)からの利用が厳しくなるので、バスはトンネルに入らず旧道に向かいます。
この辺が「八木新宮線」の面白いところで、「八木新宮特急バス」という名前でありながら、実際にはあえてバイパスを避けて旧道を回ることが多いのですね。そう言った意味では、「日本最長の生活路線」という表現もできるのかな、と思ったりもします。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2015年10月25日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (292) 「ケショマップ川・ケナシベツ川・パオマナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

ケショマップ川

nupuri-kes-oma-p?
山・下・そこにある・もの
(? = 典拠未確認、類型多数)
北見市留辺蘂町滝の湯から少し西に行ったところで無加川に合流している支流の名前です。kes-oma-p であれば「下・そこにある・もの」となるのですが、これだと何の下にあるのか良くわかりませんね。

ただ、明治期の地図を見ると「ヌプリケシヨマプ」とあるのが見えます。また、ケショマップ川自体の支流の名前を見ると「下ヌプリケショマップ川」「中ヌプリケショマップ川」「上ヌプリケショマップ川」と、まるで浦和駅のような充実のラインナップが見て取れます。この「ケショマップ川」は、先頭の「ヌプリ」が省略されたものと考えて良さそうです。

ということで、まずは nupuri-kes-oma-p で「山・下・そこにある・もの」と考えて良さそうな感じです。

ケナシベツ川

kenas-pet?
川ばたの林・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
北見市留辺蘂町厚和から少し西に行ったところで無加川に合流している支流の名前です。素直に読むと kenas-pet なのでしょうが、何とも意味を掴みづらい地名ですね……(kenas という語自体が結構ざっくりした感じなのです)。

知里さんの「──小辞典」には次のようにあります。

kenas, -i ケなㇱ ①【H 北】川ばたの木原。 ②【シラヌカ】かんぽくの木原。 ③【クッシャロ】湿原; やち気のある野原(川ばたでなくとも,木が生えていなくとも)。④【ナヨロ】ふつうの原野。= nup. ⑤【チカブミ】木原; 木の生えた景色のよい所。 ⑥ 【K (ニイトイ)】ユリやギョージャニンニクなどの生えている多少やち気のある林野。 ⑦ 【K (シラウラ)】川沿いの林野。[<kene-us-i(ハンノキの・群生する・所)?]
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.45-46 より引用)
いやはや、何となく共通項はあると思うのですが、知里さん調べではこのようにブレがあったということなのでしょうね。ちなみに萱野さんの辞書にはこのようになっています。

ケナㇱ【kenas】
 平地,平野,平らなやぶ原,岸(川端の山がひっこんで低くなり林になっている所).
(萱野茂「萱野茂のアイヌ語辞典」三省堂 p.226 より引用)
随分とシンプルになりました(汗)。これを見た感じでは、川と山の間の平らな原野あたりなのかな、と思わせます。

ケナシ(kenash)は,ふつう川ばたの林をいう。
山田秀三北海道の地名」草風館 p.371 より引用)
これはまた、更にシンプルになりましたね(笑)。

ということで、kenas-pet であれば、「川ばたの林・川」となります。ちょっと変な感じもしますが、永田地名解にこんな記載がありました。

Kenash pa ushi  ケナシュ パ ウシ  林端ノ(山) 山ニ名ク
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.473 より引用)
ケナシベツ川のあたりの山を指した地名だ……とありますが、なるほど、kenas-pa-us-i で「川ばたの林・上手(かみて)・ついている・もの」となります。無加川の谷は U 字型なので、川の左右 500 m くらいはほぼ平らになっている(= kenas)のですね。その kenas の外れについているもの……ですから、山ではなくて川だと考えてもしっくり来そうな感じがします。

あるいは、kenas-pa-us-i の川だから kenas-pet なのかも知れませんね。

パオマナイ川

nupuri-pa-oma-nay
山・上手(かみて)・そこにある・川
(典拠あり、類型あり)
北見市留辺蘂町富士見のあたりで無加川に合流している支流の名前です。川の北側に「北見富士」が聳えています。

これも素直に読むと pa-oma-nay で「上手(かみて)・そこにある・川」となります。察しの良い方はお気づきかと思いますが、前に何かが省略されていると考えられます。

ありがたいことに、明治期の地図には「ヌプリパオマナイ」と、フルスペルで記載がありました。どうやら nupuri-pa-oma-nay で「山・上手(かみて)・そこにある・川」だったようです。

nupuri は現在の「北見富士」のことであると考えられそうです。というのも(今更ですが)戊午日誌に次のような記載を見つけました。

此辺左右は皆峨々たる高山のよし也。是より堅雪の時上り行や
     ノボリハヲマフ
右のかた小川有。此川高缶の巓より落来る故号るとかや。ノホリとは岳の事、ハヲマフとは則有りといへる事也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.194 より引用)
「巓」という字は初めて見たのですが、これで「いただき」と読むのだそうです。へぇぇぇ……。

ちなみに、パオマナイ川が無加川に合流する地点から、200m ほど無加川を遡ったところに「生間内橋」という橋があるそうです。これでどうやら「おまない橋」と読むようなのですが、「ヌプリパオマナイ」から「ヌプリ」が消え、そして「パ」も消えたことになります。次は「マナイ」になるのでしょうか(汗)。

北見富士

戊辰戦争終結後に制定された「北見国」の領域は、礼文・利尻、そして現在の稚内市域が西北端で、現在の斜里町域が東端でした。礼文・利尻・稚内を例外とすれば、ほぼ「オホーツク海沿岸およびその内陸部」と捉えて良さそうな感じです。

ということで、端的に言えば「北見国」は相当広いということになるのですが、そのせいもあって、現在「北見富士」という名前の山がエリア内にも複数存在しています。具体的には、北見市留辺蘂町の「北見富士」と、遠軽町・滝上町・紋別市の境界に位置する「北見富士」が存在します。

北見市留辺蘂町の「北見富士」は、古くから秀峰であるとして認識されていたらしく、明治期の地図にも「ユㇰリヤタナシ」という名前で記載されていました。yuk-riya-tanasi で「鹿・越冬する・高い山」だったようです。

「北見富士」は、確かに「北見富士」と呼ぶに相応しい良い形の山なのですが、「ユㇰリヤタナシ」という名前もなかなか風情があって良いですよね。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2015年10月24日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (291) 「士気連別川・塩別川・枇杷牛沢」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

士気連別川(しけれべつ──?)

sikerpe-un-pet
キハダの実・ある・川
(典拠あり、類型あり)
無加川の支流で、北見市留辺蘂町温根別の西隣に位置する「塩別温泉」の近くを流れています。最初は読み方がわからず「なんじゃあこりゃあ®」状態だったのですが、いざ読めてしまえば簡単な地名でした。

戊午日誌に記載がありましたので、見ておきましょうか。

また並びて
     シケレベンベ
左りの方小川。此川すじ黄蘗多きが故に此名有るなり。シケレベは黄蘗の実の事なり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.193-194 より引用)
はい。おそらく sikerpe-un-pet で「キハダの実・ある・川」だったのでしょうね。ただ、永田地名解によると「シケレベンベ」と「シケレベオペッ」の両者が併記されているので、あるいは sikerpe-o-pet で「キハダの実・多くある・川」だったかもしれません。

sikerpe を冠した地名も道内各地で見られますが、萱野さんの辞書によると、次のような活用法があったようです。

プドウのような実がなりその実を香辛料として用いる.
(萱野茂「萱野茂のアイヌ語辞典」三省堂 p.263 より引用)
そして、実ではなくて木のほうには薬効もあるのだとか。

木の内側の黄色い部分を剥いで乾燥させ粉にしたものを打ち身や挫きをした時水で練って患部に貼ると効き目がある.
(萱野茂「萱野茂のアイヌ語辞典」三省堂 p.263 より引用)
インドメタシンのようなものなんでしょうかねぇ(たぶん違うと思う)。

塩別川(しおべつ──)

so(-un)-pet?1
滝(・ある)・川
wen-pet?2
良くない・川
(?1 = 典拠未確認、類型多数)(?2 = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
北見市留辺蘂町西部の川名で、川のほとりに「塩別温泉」という温泉があります。てっきり「塩別」という地名なのかと思ったのですが、地名は「留辺蘂町滝の湯」でした。

東西蝦夷山川地理取調図を見ると、この辺り(留辺蘂町大和から留辺蘂町滝の湯の辺り)に「ソウ」とだけ書かれています。これは so で「」のことだと思われますが、なんとも唐突な感じを受けます。

ただ、戊午日誌を見てみても……

また十丁計上りて
     ホロソウ
大滝と云る事也。鱒・鯇此処まで来り、是より上えは上らざるなり。巾凡三間高弐丈も有るよし。此辺左右は皆峨々たる高山のよし也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.277 より引用)
とあります。ただ、地形図を見た限りでは、少なくとも無加川には「滝」と呼べそうな地形は無さそうにも思えるんですよね。でも、「鱒・鯇此処まで来り」という表現からは無加川のことを指しているようにも思えるので、一体どうしたことかと……。

で、お題に「塩別」のほうですが、残念ながら手元にはあまり情報がありません。「北海道地名誌」には、こんな風に書かれていました。

塩別はアイヌ語「ウェンペッ」(悪い川)のなまりか。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.473 より引用)
あれ? 「塩別」が「えんべつ」なら wen-pet というのも理解できますが、「しおべつ」らしいですからねぇ。もともと「ウェンペッ」で、それに「塩別」という字を当てたせいで、いつしか「しおべつ」と読むようになったという話なのでしょうか。

ただ、「しおべつ」なら、元は so(-un)-pet だった可能性も考えられます(so は「ソー」とも「ショー」とも発音されたとのこと)。ソー言えば(®知里さん)このあたりの地名は「滝の湯」で、古くは so という地名?だったのですよね。

一応まとめておかないといけないのですが、「塩別」が「しおべつ」でいいのか、あるいは元々は「えんべつ」だったのかによって解が変わってきてしまいます。so(-un)-pet で「滝(・ある)・川」だったのか、あるいは wen-pet で「良くない・川」だったのか、どちらかかなぁ、と思います。

枇杷牛沢(びばうしざわ)

pipa-us-i
カラス貝・多くある・ところ
(典拠あり、類型あり)
無加川流域と常呂川流域を結ぶ道道 88 号線「本別留辺蘂線」沿いを流れる川の名前です。

道道 88 号線「本別留辺蘂線」は、その名前の通り、置戸町の常呂川流域から最終的には本別まで伸びています。未開通区間は無さそうです。

名古屋の近くに「枇杷島」と書いて「びわじま」と読ませる駅がありますが、「枇杷牛」は「びばうし」と読ませるようです。……あ、この時点でネタバレ感が半端じゃないですね。

「枇杷牛沢」ではなくて「枇杷牛山」ですが、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」に記載がありました。

枇杷牛山(びばうしやま)
 留辺蘂町との境の山。枇杷牛川の名がもとで、アイヌ語ピパ・ウシで烏貝の多いの意。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.251 より引用)
はい。ということで、「枇杷牛」は pipa-us-i で「カラス貝・多くある・ところ」だったと考えて良さそうです。更科さんの言う「枇杷牛川」は、地図にある「枇杷牛沢」のことと考えていいのかな、と思います。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


2015年10月23日金曜日

日本最長路線バスの旅 (11) 「ニホンザル!」

八木新宮線の路線バスは、上野地バス停でお昼の 20 分休憩に入っていました。ちょっと早めにバスに戻ったところ……
見事にもぬけの殻、でした。まるで観光バスのような整然とした車内ですが、
路線バスですから、もちろん「とまります」ボタンも用意されています。

ちなみに、運転手さんはこの休憩時間の間にお弁当を食べていました。それと個人的に驚いたことなんですが、八木新宮線の運転はどうやらワンオペだったらしいのです。途中で休憩はあっても乗務員交代は無いとのこと。約 6 時間半ほどの連続乗務(しかも狭隘な道をバスで通り抜ける)、大変ですよねぇ。

上を下への大騒ぎ

12:25 に、予定通りにバスは上野地を出発しました。次は「下上野地」です。下なのか上なのかハッキリしてほしいところですね(やめなさい)。
下上野地を過ぎたところで国道 168 号線に再合流します。合流してから 150 m ほど進んだところで、国道は左にカーブする橋で崖沿いのルートを回避しているのですが、その橋には「くまのがわ」の文字が。
ふむ、この川は一般的には「十津川」と呼ばれていますが、公式には「熊野川」が正しいということなんでしょうかね。

ニホンザル!

月谷口から河津谷の間(だと思う)は、再び未改良区間を通ります。バスは本数が限られていますが、大型トラックが来ないとも限らないので、運転手さんも気が気では無いでしょうね。
そして、比較的最近に開通したと思しき「丸瀬トンネル」の手前では……
あっ! そう、右前方をよーく見るとですね……
なんとニホンザルの姿が。まぁ、これだけの山地ですからね。サルの一匹や二匹くらいで驚くことは無いのかもしれません。

いちぶで有名な「風屋」

風屋ダムの貯水池である「風屋貯水池」(そのまんまやね)が見えてきました。
風屋のバス停が近づいてきました。風屋はダム湖のほとりにある集落で、決して十津川村で一番有名な集落では無い筈なのですが、アメダスの観測所があるせいか、意外と目にすることが多い集落の名前です。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International