2015年10月25日日曜日

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北海道のアイヌ語地名 (292) 「ケショマップ川・ケナシベツ川・パオマナイ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

ケショマップ川

nupuri-kes-oma-p?
山・下・そこにある・もの
(? = 典拠未確認、類型多数)
北見市留辺蘂町滝の湯から少し西に行ったところで無加川に合流している支流の名前です。kes-oma-p であれば「下・そこにある・もの」となるのですが、これだと何の下にあるのか良くわかりませんね。

ただ、明治期の地図を見ると「ヌプリケシヨマプ」とあるのが見えます。また、ケショマップ川自体の支流の名前を見ると「下ヌプリケショマップ川」「中ヌプリケショマップ川」「上ヌプリケショマップ川」と、まるで浦和駅のような充実のラインナップが見て取れます。この「ケショマップ川」は、先頭の「ヌプリ」が省略されたものと考えて良さそうです。

ということで、まずは nupuri-kes-oma-p で「山・下・そこにある・もの」と考えて良さそうな感じです。

ケナシベツ川

kenas-pet?
川ばたの林・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
北見市留辺蘂町厚和から少し西に行ったところで無加川に合流している支流の名前です。素直に読むと kenas-pet なのでしょうが、何とも意味を掴みづらい地名ですね……(kenas という語自体が結構ざっくりした感じなのです)。

知里さんの「──小辞典」には次のようにあります。

kenas, -i ケなㇱ ①【H 北】川ばたの木原。 ②【シラヌカ】かんぽくの木原。 ③【クッシャロ】湿原; やち気のある野原(川ばたでなくとも,木が生えていなくとも)。④【ナヨロ】ふつうの原野。= nup. ⑤【チカブミ】木原; 木の生えた景色のよい所。 ⑥ 【K (ニイトイ)】ユリやギョージャニンニクなどの生えている多少やち気のある林野。 ⑦ 【K (シラウラ)】川沿いの林野。[<kene-us-i(ハンノキの・群生する・所)?]
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.45-46 より引用)
いやはや、何となく共通項はあると思うのですが、知里さん調べではこのようにブレがあったということなのでしょうね。ちなみに萱野さんの辞書にはこのようになっています。

ケナㇱ【kenas】
 平地,平野,平らなやぶ原,岸(川端の山がひっこんで低くなり林になっている所).
(萱野茂「萱野茂のアイヌ語辞典」三省堂 p.226 より引用)
随分とシンプルになりました(汗)。これを見た感じでは、川と山の間の平らな原野あたりなのかな、と思わせます。

ケナシ(kenash)は,ふつう川ばたの林をいう。
山田秀三北海道の地名」草風館 p.371 より引用)
これはまた、更にシンプルになりましたね(笑)。

ということで、kenas-pet であれば、「川ばたの林・川」となります。ちょっと変な感じもしますが、永田地名解にこんな記載がありました。

Kenash pa ushi  ケナシュ パ ウシ  林端ノ(山) 山ニ名ク
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.473 より引用)
ケナシベツ川のあたりの山を指した地名だ……とありますが、なるほど、kenas-pa-us-i で「川ばたの林・上手(かみて)・ついている・もの」となります。無加川の谷は U 字型なので、川の左右 500 m くらいはほぼ平らになっている(= kenas)のですね。その kenas の外れについているもの……ですから、山ではなくて川だと考えてもしっくり来そうな感じがします。

あるいは、kenas-pa-us-i の川だから kenas-pet なのかも知れませんね。

パオマナイ川

nupuri-pa-oma-nay
山・上手(かみて)・そこにある・川
(典拠あり、類型あり)
北見市留辺蘂町富士見のあたりで無加川に合流している支流の名前です。川の北側に「北見富士」が聳えています。

これも素直に読むと pa-oma-nay で「上手(かみて)・そこにある・川」となります。察しの良い方はお気づきかと思いますが、前に何かが省略されていると考えられます。

ありがたいことに、明治期の地図には「ヌプリパオマナイ」と、フルスペルで記載がありました。どうやら nupuri-pa-oma-nay で「山・上手(かみて)・そこにある・川」だったようです。

nupuri は現在の「北見富士」のことであると考えられそうです。というのも(今更ですが)戊午日誌に次のような記載を見つけました。

此辺左右は皆峨々たる高山のよし也。是より堅雪の時上り行や
     ノボリハヲマフ
右のかた小川有。此川高缶の巓より落来る故号るとかや。ノホリとは岳の事、ハヲマフとは則有りといへる事也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.194 より引用)
「巓」という字は初めて見たのですが、これで「いただき」と読むのだそうです。へぇぇぇ……。

ちなみに、パオマナイ川が無加川に合流する地点から、200m ほど無加川を遡ったところに「生間内橋」という橋があるそうです。これでどうやら「おまない橋」と読むようなのですが、「ヌプリパオマナイ」から「ヌプリ」が消え、そして「パ」も消えたことになります。次は「マナイ」になるのでしょうか(汗)。

北見富士

戊辰戦争終結後に制定された「北見国」の領域は、礼文・利尻、そして現在の稚内市域が西北端で、現在の斜里町域が東端でした。礼文・利尻・稚内を例外とすれば、ほぼ「オホーツク海沿岸およびその内陸部」と捉えて良さそうな感じです。

ということで、端的に言えば「北見国」は相当広いということになるのですが、そのせいもあって、現在「北見富士」という名前の山がエリア内にも複数存在しています。具体的には、北見市留辺蘂町の「北見富士」と、遠軽町・滝上町・紋別市の境界に位置する「北見富士」が存在します。

北見市留辺蘂町の「北見富士」は、古くから秀峰であるとして認識されていたらしく、明治期の地図にも「ユㇰリヤタナシ」という名前で記載されていました。yuk-riya-tanasi で「鹿・越冬する・高い山」だったようです。

「北見富士」は、確かに「北見富士」と呼ぶに相応しい良い形の山なのですが、「ユㇰリヤタナシ」という名前もなかなか風情があって良いですよね。

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