2015年10月17日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (289) 「訓子府・オロムシ川・シルコマンベツ川」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

訓子府(くんねっぷ)

kunne-p
黒い・もの
(典拠あり、類型あり)
北見市の南西隣に位置する町の名前です。かつては国鉄池北線、そして第三セクターに転換された後は北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線が通っていましたが、鉄道は残念ながら 2006 年に廃止されてしまいました。そのため、現在のところは国道と鉄道の両方が無い、道内でも珍しい自治体のひとつです。

かつて鉄道が通っていた町の地名ですから、ここはやはり「北海道駅名の起源」を見ておきましょうか。

  訓子府(くんねっぶ)
所在地 (北見国)常呂郡訓子府町
開 駅 明治44年9月25日
起 源 アイヌ語の「クンネ・プ」(黒いもの)からとったもので、この付近は湿地が多く小川の水が黒いのでこう名づけたものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.149 より引用)
「で、……ので……である。」という独特の言い回しで、この文章が誰によって書かれたか、なんとなくわかる気がしますよね(さすがに断定はできませんが)。で、実はこの文章には続きがありまして……

黒い化け物がいたので、そういったという伝説もある。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.149 より引用)
ほほう。これは面白いですよね。そう言えば黒くて脂ぎったアレは腐ったタマネギの臭いが好きだったりしたような気がしないでも無いですが、さすがに道東の内陸部に黒いアレは見かけないですよね。

ということで、余談も程々に答え合わせを。やはり kunne-p で「黒い・もの」と考えておけば良さそうです。

オロムシ川

oro-hum-us-i?
その中・雷・多くある・もの
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
訓子府町の南部から北流して、町の東部で常呂川と合流する川の名前です。

明治期の地形図には「オロオムシ」と記載があります。また、永田地名解にも次のように記されています。

Oro omushi   オロ オムシ   ? 「瀬早キ處」ノ意ナリトアイヌハ云ヘドモ疑ワシ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.470 より引用)
ということで、元は「オロオムシ」だったと考えて良さそう……と思ったのですが、戊午日誌には次のように記されていました。

またしばし過て
     ヲロムシ
左りの方小川有なり。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.195-196 より引用)
ふーむ。「ヲロムシ」は「オロムシ」ですから、現在の名前と事実上一致していますよね。地形図に掲載された永田地名解の「成果」が差し戻されているということは、やはり「ヲロムシ」のほうがオリジナルの形に近かったということなのでしょうか。「ヲロムシ」には「居武士」という字が当てられたようで、「居武士小学校」という学校があるようですが、川名は「オロムシ」のままですね。

ちなみに「戊午日誌」の記載には続きがありまして……

其名義、往昔より雷が鳴る時は、必ず此河源の山の辺より雲起り初て鳴出すより此名有りと云り。其訳如何にも不思儀に思えども、惣て土人にては雷の因縁にありしと云けるまヽを志るし置なり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.196 より引用)
どうやら「ヲロムシ」には「雷」に関する伝承があったようですね。松浦武四郎も「其訳如何にも不思儀に思えども」として「よーわからん」としつつも、「そういう話があるらしい」として書き残していたようです。

ただ、「ヲロムシ」あるいは「オロオムシ」をどう訳したものかは、ちょっと妙案が無いのも事実です。服部四郎さんの「アイヌ語方言辞典」を見た限りでは、「かみなり」は全道的に kamúy-hum と認識されていたようですが、kamuyiwor に置き換えると iwor-hum-us-i と読めたりするのかな、と考えてみたりもしました。iwor は「狩場」という意味ですが、知里さんの小辞典によると本来の意味は「神々の住む世界」とのことなので、「神々の住む世界・雷・多くある・ところ」と解釈できたりしないかなぁ、と。

あるいは、もっと素直に oro-hum-us-i だったのかもしれません。これだと「その中・雷・多くある・もの」と読み解くことができますね。

最後に、あと二つほど試案を記しておこうかと思います。ひとつは oro-mu-us-i で「所・塞がる・いつもする・もの」という解釈で、もうひとつは poro-emushi で「大きな・剣」とするものです。

後者については伊藤せいち氏の発見だと思うのですが、オロムシ川を遡って峠を越えた先の津別町内に「ホロエムシ・エネ・ルペシペ」という沢があったことが、知里さんの「網走郡内アイヌ語地名解」に記載されています。

「大きな剣」は、オロムシ川が常呂川と合流するあたりの山容を現したのかな、と思ったりもするのですが、どうでしょうか……?

シルコマンベツ川

surku-oma-pet?
トリカブトの根・そこにある・川
(? = 典拠未確認、類型多数)
オロムシ川の西隣を北流して常呂川に注ぐ支流の名前です。明治期の地形図には「シユルコマペツ」と記載がありますね。戊午日誌や東西蝦夷山川地理取調図には残念ながら記載は無さそうな感じです。

これは……今度こそは surku-oma-pet なのでしょうね。阿寒の「知駒別」とまったく同じ地名なのだと思います。意味は「トリカブトの根・そこにある・川」だと考えられます。

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