2015年9月26日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (285) 「ケミチャップ川・木樋・本岐」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

ケミチャップ川

kene-cha-p??
ハンノキ・刈る・ところ
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
津別町西部の道道 51 号線沿いを流れる川の名前です。なお、チミケップ湖から流れる「チミケップ川」とは別の川ですのでご注意を。

まずは山田秀三さんの「北海道の地名」から。

ケミチャップ川
 チミケップ川の川口から僅か上った処で網走川に注ぐ西支流。相当長い川。永田地名解は「ケミチャㇰㇷ゚。舐る物無き処。昔し童此処に来り食物なく餓死せし処なりと云ふ」と書いた。kem-i-sak-pe(なめる・もの・無い・処)とでもこじつけたらしいが,何だか説話解くさい。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.212 より引用)
ほほう……と思って永田地名解を見てみたところ、確かにこんな風に書いてありました。

Kemi chakp   ケミ チャッㇰㇷ゚   舐ル物無キ處 昔シ夷童此處ニ來リ食物ナク餓死セシ處ナリト云フ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.482 より引用)
解の妥当性よりも、「ャッㇰㇷ゚」という文字の並びに驚いてしまいますね。

網走市史地名解は「kemichap。原義未詳」とだけである。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.212 より引用)
「網走市史地名解」は、知里さんの「網走郡内アイヌ語地名解」のことだと思うのですが、確かに次のようにあります。

(205) ケミチャプ(Kemichap) 原義未詳。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『網走郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.294 より引用)
これではさすがに手も足も出ないので、もう少し他のソースを当たってみましょう。戊午日誌には次のような記載がありました。

南岸を川まゝ赤楊の多き処下ること
     ケ子チヤブ
相応の川有。川巾凡十間転太石也。此両岸槲柏原なり。魚類多きよしに聞。本名ケミチヤプなるよし。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.309 より引用)
「本名ケミチヤプなるよし」とあるものの、「ケ子チヤブ」と記録されています。確かに kene であれば「ハンノキ」なので、意味も解しやすくなるのですが……。

其訳は昔し合戦の有りし時、老人壱人何処よりか逃来りしを追来りしが、爰まで来りしや、空より血が多くこぼれ居たりと。依て号。ケミは血の事、チヤブはこぼれると云儀なり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.309 より引用)
……。確かに kem あるいは kemi には「血」という意味があるようですね。また chari には「撒き散らす」という意味があるようなので、意味は理解できなくもないのですが、地名として妥当であるかどうかは……?

東西蝦夷山川地理取調図を見てみると、チミケップ川とケミチャップ川の間の網走川寄りに「チヤフフト」という文字が見つかりました。「フト」は多くの場合 putu なので、「チヤフ」という川の河口部の地名としてはありそうな形です。

戊午日誌の「ケ子チヤプ」をそのまま読み解くと、kene-cha-p で「ハンノキ・刈る・ところ」となりそうなのですが、いかがでしょうか……?

木樋(きとい)

ki-toy
茅・原
(典拠あり、類型あり)
ケミチャップ川中流部の地名です。意外なことに、これもアイヌ語由来のようでして……。今回は久しぶりに「角川──」(略──)から。

 きとい 木樋 <津別町>
〔近代〕昭和12年~ 現在の行政字名。はじめ津別村,昭和21年からは津別町の行政字名。もとは津別村大字翻木禽(ぽんききん)村の一部, ケミチャップ・ケミチャップ原野・ケミチャプ・ケミチャプ原野・トーコチ・ポンキキンなど。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.467 より引用)
はい。ここまでは良いですよね。

地名はアイヌ語キトイに由来し,キは茅,トイは原の意といい,アイヌがここで矢柄を採取したという(アイヌ語地名解)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.467 より引用)
「アイヌ語地名解」と書いてあったので、更科さんの「アイヌ語地名解」の中に原典を探していたのですが、これも知里さんの「網走郡内アイヌ語地名解」が原典だったのですね。確かに次のようにありました。

(211) キトイ(Ki-toi)(右方) キ(茅),トイ(原)。前項の沢を少し上る
と一畝歩位のオニガヤばかり生えた所があり, 昔はそこで矢柄を取った。ここに小さな沼がある。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『網走郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.294 より引用)
あれっ、toy に「原」なんて意味があったかな……と思ったのですが、知里さんの「──小辞典」を見ると、確かに書いてありました。

toy, -e 【H】/ -he 【K】 とィ ① 土。 ② 食土。(→chi-e-toy)。③ 畑。④ 墓。⑤ 原。uras-toy, -e (笹原)。ki-toy, -e(萱原)。kene-toy, -e(榛原)。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.133 より引用)
ということで、ki-toy で「茅・原」と考えて良さそうな感じですね。

本岐(ほんき)

pon-{kikin}
小さな・木禽川
(典拠あり、類型あり)
網走川とケミチャップ川が合流するところにある集落の名前です。少し上流でポンキキン川と網走川も合流していますね。

もうお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、この「本岐」、かつては「翻木禽」と呼ばれていた場所でした。ということで山田秀三さんの「北海道の地名」を見ておきましょうか。

同じ東支流であるオンネ・キキンと対のような川で,この方が少し小さい川である処から,ポン・キキン「小さい(方の)・キキン川」と呼ばれた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.213 より引用)
はい。オンネキキン川は「メナシュキキン川」と名前の取り違えがあったんじゃないか疑惑の川でしたね。そしてポンキキン川は現在の「ヌッパオマナイ川」が合流する川でした。

たぶんキキン(ウワミズザクラ)があった川であろうが,このような地形の場合は,それがなくても大きい方の川名が使われた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.213 より引用)
kikin-ni は「ナナカマド」あるいは「エゾノウワミズザクラ」という意味ですが、木禽川の場合は「ナナカマド」だったかもしれません。……まぁ、これは細かい話ですね。

 川筋の地名もポンキキンで呼ばれ,前のころは飜木禽,翻木禽のような字でポンキキンと呼ばれたが,今は下略されたりして本岐となった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.213 より引用)
明治期の地図には「翻木禽」とあったのですが、さすがに字画が多いのが忌避されたか、いつしか「本岐」になってしまったみたいですね。ということで、pon-{kikin} で「小さな・木禽川」だった、としておきましょう。

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