(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
ケミチャップ川
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
津別町西部の道道 51 号線沿いを流れる川の名前です。なお、チミケップ湖から流れる「チミケップ川」とは別の川ですのでご注意を。まずは山田秀三さんの「北海道の地名」から。
ケミチャップ川
チミケップ川の川口から僅か上った処で網走川に注ぐ西支流。相当長い川。永田地名解は「ケミチャㇰㇷ゚。舐る物無き処。昔し童此処に来り食物なく餓死せし処なりと云ふ」と書いた。kem-i-sak-pe(なめる・もの・無い・処)とでもこじつけたらしいが,何だか説話解くさい。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.212 より引用)
ほほう……と思って永田地名解を見てみたところ、確かにこんな風に書いてありました。Kemi chakp ケミ チャッㇰㇷ゚ 舐ル物無キ處 昔シ夷童此處ニ來リ食物ナク餓死セシ處ナリト云フ解の妥当性よりも、「ャッㇰㇷ゚」という文字の並びに驚いてしまいますね。
網走市史地名解は「kemichap。原義未詳」とだけである。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.212 より引用)
「網走市史地名解」は、知里さんの「網走郡内アイヌ語地名解」のことだと思うのですが、確かに次のようにあります。(205) ケミチャプ(Kemichap) 原義未詳。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『網走郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.294 より引用)
これではさすがに手も足も出ないので、もう少し他のソースを当たってみましょう。戊午日誌には次のような記載がありました。南岸を川まゝ赤楊の多き処下ること
ケ子チヤブ
相応の川有。川巾凡十間転太石也。此両岸槲柏原なり。魚類多きよしに聞。本名ケミチヤプなるよし。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.309 より引用)
「本名ケミチヤプなるよし」とあるものの、「ケ子チヤブ」と記録されています。確かに kene であれば「ハンノキ」なので、意味も解しやすくなるのですが……。其訳は昔し合戦の有りし時、老人壱人何処よりか逃来りしを追来りしが、爰まで来りしや、空より血が多くこぼれ居たりと。依て号。ケミは血の事、チヤブはこぼれると云儀なり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.309 より引用)
……。確かに kem あるいは kemi には「血」という意味があるようですね。また chari には「撒き散らす」という意味があるようなので、意味は理解できなくもないのですが、地名として妥当であるかどうかは……?東西蝦夷山川地理取調図を見てみると、チミケップ川とケミチャップ川の間の網走川寄りに「チヤフフト」という文字が見つかりました。「フト」は多くの場合 putu なので、「チヤフ」という川の河口部の地名としてはありそうな形です。
戊午日誌の「ケ子チヤプ」をそのまま読み解くと、kene-cha-p で「ハンノキ・刈る・ところ」となりそうなのですが、いかがでしょうか……?
木樋(きとい)
(典拠あり、類型あり)
ケミチャップ川中流部の地名です。意外なことに、これもアイヌ語由来のようでして……。今回は久しぶりに「角川──」(略──)から。きとい 木樋 <津別町>
〔近代〕昭和12年~ 現在の行政字名。はじめ津別村,昭和21年からは津別町の行政字名。もとは津別村大字翻木禽(ぽんききん)村の一部, ケミチャップ・ケミチャップ原野・ケミチャプ・ケミチャプ原野・トーコチ・ポンキキンなど。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.467 より引用)
はい。ここまでは良いですよね。地名はアイヌ語キトイに由来し,キは茅,トイは原の意といい,アイヌがここで矢柄を採取したという(アイヌ語地名解)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.467 より引用)
「アイヌ語地名解」と書いてあったので、更科さんの「アイヌ語地名解」の中に原典を探していたのですが、これも知里さんの「網走郡内アイヌ語地名解」が原典だったのですね。確かに次のようにありました。(211) キトイ(Ki-toi)(右方) キ(茅),トイ(原)。前項の沢を少し上る
と一畝歩位のオニガヤばかり生えた所があり, 昔はそこで矢柄を取った。ここに小さな沼がある。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『網走郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.294 より引用)
あれっ、toy に「原」なんて意味があったかな……と思ったのですが、知里さんの「──小辞典」を見ると、確かに書いてありました。toy, -e 【H】/ -he 【K】 とィ ① 土。 ② 食土。(→chi-e-toy)。③ 畑。④ 墓。⑤ 原。uras-toy, -e (笹原)。ki-toy, -e(萱原)。kene-toy, -e(榛原)。
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.133 より引用)
ということで、ki-toy で「茅・原」と考えて良さそうな感じですね。本岐(ほんき)
(典拠あり、類型あり)
網走川とケミチャップ川が合流するところにある集落の名前です。少し上流でポンキキン川と網走川も合流していますね。もうお気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、この「本岐」、かつては「翻木禽」と呼ばれていた場所でした。ということで山田秀三さんの「北海道の地名」を見ておきましょうか。
同じ東支流であるオンネ・キキンと対のような川で,この方が少し小さい川である処から,ポン・キキン「小さい(方の)・キキン川」と呼ばれた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.213 より引用)
はい。オンネキキン川は「メナシュキキン川」と名前の取り違えがあったんじゃないか疑惑の川でしたね。そしてポンキキン川は現在の「ヌッパオマナイ川」が合流する川でした。たぶんキキン(ウワミズザクラ)があった川であろうが,このような地形の場合は,それがなくても大きい方の川名が使われた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.213 より引用)
kikin-ni は「ナナカマド」あるいは「エゾノウワミズザクラ」という意味ですが、木禽川の場合は「ナナカマド」だったかもしれません。……まぁ、これは細かい話ですね。川筋の地名もポンキキンで呼ばれ,前のころは飜木禽,翻木禽のような字でポンキキンと呼ばれたが,今は下略されたりして本岐となった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.213 より引用)
明治期の地図には「翻木禽」とあったのですが、さすがに字画が多いのが忌避されたか、いつしか「本岐」になってしまったみたいですね。ということで、pon-{kikin} で「小さな・木禽川」だった、としておきましょう。www.bojan.net
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