2015年9月23日水曜日

「日本奥地紀行」を読む (49) 日光 (1878/6/23)

引き続き、1878/6/23 付けの「第十信」(本来は「第十三信」となる)を見ていきましょう。

針仕事

イザベラが図らずも参加することになった「子どものパーティ」の主催者(?)の女の子の名前が「ハル」で、ハルの母親が「ユキ」と言う名前です。「パーティ」での子どもたちの落ち着いた立ち居振る舞いに感心していたイザベラですが、今度はその視線が母親であるユキに注がれます。

日本の女子はすべて自分の着物を縫ったり作ったりする方法を覚える。しかし私たち英国婦人にとって、縫い物の勉強はむずかしくて分からぬことがあって恐怖の種とされているのだが、日本の場合にはそれがない。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.123-124 より引用)
ふーむ、そんなものなのですね。縫い物はどちらかと言えば庶民的な仕事だったりするのでしょうか? 何となく、アガサ・クリスティの作品に出てくる「ミス・マープル」のことを想像したりもしたのですが、ミス・マープルは中流の家の出だという設定だったようですね。

イザベラは、日本女性がみな縫い物ができることについて、その理由を考察しますが、導き出した答えは実に単純なものでした。

着物、羽織、帯、あるいは長い袖でさえも、平行する縫い目があるだけである。これらは仮縫いにしてあるだけで、衣服は、洗うときには、ばらばらにほどいて、ほんの少し糊で固くしてから板の上に伸ばして乾かすのである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.124 より引用)
要するに、縫い物のスキルが無いと日々の着るものにも事欠くことになる、ということですね。必要は発明の母……とはちょっと違いますが、当時の日本では「縫い物」のスキルが無条件に必要とされた、ということのようです。

秋の夜長……にはちょっと遠い時期(むしろ夜が一番短い時期)ではありましたが、テレビなどの娯楽が無かった時代のことですから、晩はもっぱら読書の時間だったようです。

たいていの村の場合と同様に、ここにも貸出し図書館がある。晩になると、ユキもハルも、恋愛小説や昔の英雄女傑の物語を読む。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.124 より引用)
これを見た限りでは、当時はどんな村にも図書館(に類するもの)があったのですね。想像以上に文化レベルが高かったんだな……と感心してしまいます(武雄市の例なんかを見聞きしてしまうと、尚更ですね)。

これらは大衆の趣向に合うように書かれてあり、最も読みやすい文体で綴られている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.124 より引用)
改めて考えてみると、テレビが無かったどころか漫画も無かったということですよね。「読みやすい文体」というのはどういった類のものだったのでしょう。普通の仮名交じり文でしょうかねぇ……?

伊藤は十冊ほど小説を自分の部屋にもっていて、それらを読みながら夜の大半を過ごす。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.124 より引用)
ちゃっかり者の伊藤少年、流石ですね(笑)。

書道

「書物」の話題から「書道」の話になりました。イザベラは、「書」においても男女で差があることを発見します。

ユキとハルは共にすらすら書くが、しかし女性の書き文字[女手(おんなで)ないし女文字]は男性のそれ[男手(おとこで)、ないし男文字] とは異なっていて、私たちの国でも普通であるように、より行書的で、形式は古典的ではない。
(高畑美代子「イザベラ・バード『日本の未踏路』完全補遺」中央公論事業出版 p.54 より引用)
イザベラは「女性的な優雅さが文字を曲がりくねらせます」とも記していました。これは、「男文字」が楷書寄りで、「女文字」が草書寄りだ、といったことでしょうか。なかなか面白い発見だと思うのですが、なぜか普及版ではカットされてしまっています。

ここからは普及版の内容に戻ります。「ユキ」の息子ですから、「ハル」の兄ということになりますね。イザベラの見立てでは、十三歳にしてなかなかの書家であるようですが……

ユキの息子は十三歳の少年で、しばしば私の部屋に来て、漢字を書く腕前を見せる。彼はたいへん頭のよい子で、筆でかく能力は相当なものである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.124 より引用)
このように、少年の書の能力を高く評価した上で、イザベラはまたしてもある真理に到達します。

実際のところ、書くことと描くことは差異がわずかである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.124 より引用)
そうなんですよねぇ。でも、良く考えてみると、西洋には毛筆で揮毫するという文化が無かったですよね。イザベラは「書」が「文字」であるとともに「アート」であると言う、我々にとっては至極当然の命題を「発見」したとも言えそうです。

文字はペンではなくて、らくだ毛の筆を用い、墨にひたしてから書かれる。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.124 より引用)
「え、らくだ毛の筆?」と思って原文を確かめてみたのですが、確かに camel’s-hair とあるんですよね。確かに毛筆用の筆には動物の毛が使われることが多いのですが、さすがに「ラクダ」は珍しいような気がします。

「書」の話の次は「教養」の話になりました。

ユキは三味線を弾く。これは日本女性の国民的楽器と見なされている。ハルはそれを習いに毎日先生のところに通っている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.124-125 より引用)
ふーむ。昭和の頃は「お琴」を習う女性も多かったと思いますが、この頃は「三味線」が国民的楽器と見なされていたのですね。

生け花

そして「習い事」の話題から、「生け花」の話題に移ります。

生け花の技術は、手引き書によって教えられる。生け花の勉強は女子教育の一部分となっている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.125 より引用)
これも「古き良き時代の教養」のような感じですね。イザベラは続けて、この「女子教育の一部分」の実例をあげてゆきます。

私の部屋が新しい花で飾られない日はないほどである。それは私にとって一つの教育となった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.125 より引用)
ここまでは良いですよね。客室に新しい花が飾られるのは、古今東西どのようなものであっても嬉しいものです。ただ、イザベラはここでもある発見をします。

飾られている花の孤独の美しさが、私に分かりかけている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.125 より引用)
ここからは具体例が続くのですが、要約すると、日本の「生け花」に「侘び・寂び」の美しさを見出していたと考えられます。改めて考えてみると、これも日本ならではの美意識なんですよねぇ。どういった背景から「侘び・寂び」のような美意識が醸しだされて来たのか、ちょっと考えてみると面白そうな感じもします。

イザベラは、「生け花」の対照として「花屋さんの花束」を例にあげます。

(それに較べれば)私たちの花屋さんの花束ほど奇怪で野蛮なものがあるだろうか。あれは種々の色の花を一束の花輪にまとめたもので、羊歯(しだ)類でかこみ、レース紙でつつんである。中の花は、茎も葉も花びらさえも、ひどくつぶされている。それぞれの花の優美さも個性も、故意に破壊されている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.125 より引用)
なるほど、確かにそういう見方もできますね。一言でまとめてしまえば「美意識の違い」で済む話なのですが、価値観を根底から覆されるような発見の連続に、イザベラもかなり驚いていたのでは無いでしょうか。

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