(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
ドードロマップ川
(典拠あり、類型あり)
本日はシルバーウィークに因んでカタカナの川名・三連発です!(どこも因んでない)。というわけで記念すべき第一弾は「ドードロマップ川」です。津別町のイユダニ川(ユウ谷の沢川)の西隣を北流する川の名前です。「──マップ」は -oma-p なんでしょうけど、その前の「ドードロ」が良くわかりませんね。ということで今回も山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみましょう。
ドードロマップ川
ドロドロマップとも呼ばれる。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.213 より引用)
……(汗)。ますますワケがわからなくなりました。永田地名解は「トゥートゥロマプ。峡川」と書いた。トゥ・ウトゥル・オマ・ㇷ゚「tu-utur-oma-p 山の走り根・の間・に入る(にある)・もの(川)」の意。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.213 より引用)
ふむふむ。tu-utur-oma-p で「峰・間・そこにある・もの」なんですね。カタカナだと訳がわからない印象がありましたが、実は意外と素直?な地名だったようです。ちなみに、「変な解」で有名な(やめなさい)永田地名解には次のような補足がありました。
「ト゚ーウト゚ル」ハ長キ兩山ノ間即チ峽間ヲ云フナリ「ト゚ート゚ロマプ」ハ「ト゚ーウト゚ル、オマフ」ノ短縮語ニシテ峽間ニ在ル處ノ義あれ? 「峽川」というまとめ方は少々アレな感じがしましたが、補足のほうは極めてマトモなことが書いてありますね。誰ですか「変な解」などと言ったのは……(汗)。
ヌッパオマナイ川
(典拠あり、類型あり)
津別町の国道沿いを南から北に流れる「網走川」から見て、東隣を南から北に流れる川の名前です。津別町は網走郡ですので、今回は知里さんの「網走郡内アイヌ語地名解」より。
(358) ヌッパオマナイ(Nup-pa-oma-nai) ヌㇷ゚(原野),パ(のかみ),オマ(にある),ナイ(沢)。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『網走郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.307 より引用)
nup-pa-oma-nay で「原野・かみ・そこにある・沢」と考えて良さそうですね。ヌッパオマナイ川は前述のとおり国道の東隣の谷を流れる川ですが、網走川と合流する直前(この時点では「ポンキキン川」)では 1.5 km ほど網走川の少し上手(かみて)を並流しています。このことを指したネーミングなのかな……と思ったりもしたのですが、実際に網走川に合流するのは「ポンキキン川」ですし、ちょっと腑に落ちないところがあります。腑に落ちないと言えば、知里さんの「網走郡内アイヌ語地名解」には、次のようにもあります。
『蝦夷語地名解』によれば,パナワン・ヌッパオマナイ(下の方にあるヌッパオマナイ)と,もう一つ,ペナワン・ヌッパオマナイ(上の方にあるヌッパオマナイ) とがあったらしい。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『網走郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.307 より引用)
「蝦夷語地名解」は、他ならぬ知里さんが自著「アイヌ語入門」で「幽霊蝦夷語致命解とでも称すべきか」とした永田方正の「北海道蝦夷語地名解」のことなのですが、確かに p.484 には「パナワ ヌㇷ゚ パ オマ ナイ」と「ペナワ ヌㇷ゚ パ オマ ナイ」が仲良く並んでいます。その 1 ページ前にも「ヌㇷ゚ パ オマ ナイ」があるので更に良くわからなくなるのですが、明治期の地図を見ると、どうやら現在「線の沢川」と呼ばれている(らしい)川が永田地名解にある「ヌㇷ゚ パ オマ ナイ」だったようです。戊午日誌を見てみると、次のような記載が見つかりました。
しばし下り是より川の北岸を行
ヲン子ヌツパヲマナイ
右の方小川
ポロヌフカヲマナイ(ともいい)此処まで野原にて、是より椴原になると云儀也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.307 より引用)
さらに次の記載が続きます。凡七八丁を過て
ポンウツバヲマナイ
右の方小山の間より流れ来る。こへて槲柏原凡一里も過て針位子丑に向ふ。川に添ふて下ることしばしにて
ホンキヽン
此処にも一里塚有りし由也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.308 より引用)
松浦武四郎が網走川沿いを北に向かったという仮定が必要ですが(多分間違いないと思うのですが)、これを見る限り、「ポンキキン川」の手前で網走川に合流する(=ポンキキン川の支流ではない)「ヲン子ヌツパヲマナイ」(あるいは「ポロヌフカヲマナイ」)と「ポンウツバヲマナイ」という川を認識していたと考えられます。地理院地図を見ると、川としては認識されていませんが、「大昭町営牧場」の南南西に北流する沢が二つあることがわかります。これらが永田地名解にある「ペナワ ヌㇷ゚ パ オマ ナイ」と「パナワ ヌㇷ゚ パ オマ ナイ」だったと考えて良さそうな感じもします。
ということで、現時点での推論をまとめますね。現在の「ヌッパオマナイ川」は明治時代に認識されていた nup-pa-oma-nay、pana-wa-nup-pa-oma-nay、pena-wa-nup-pa-oma-nay とはどうやら違う川らしいということと、nup-pa-oma-nay は nupka-oma-nay と混同されることもあった、といったところでしょうか。「ヌッパオマナイ川」が「ポンキキン川」の支流として存在するのも、あるいは旧来の「ヌッパオマナイ川」の位置を取り違えた結果なのかもしれません(これも推論に過ぎませんが)。
nup-pa-oma-nay は「原野・かみ・そこにある・沢」と考えられます。pana-wa-{nup-pa-oma-nay} は「川下のほう・にある・ヌッパオマナイ」で、pena-wa-{nup-pa-oma-nay} は「川上のほう・にある・ヌッパオマナイ」となりますね。ちなみに nupka-oma-nay だと「原野・そこにある・沢」となります。ゼェハァ……。現場からは(違います)以上です。
メナシュキキン川
(典拠あり、類型あり)
現在の(という注釈が必要なことにさっき気づいた訳ですが)ヌッパオマナイ川から見て東隣を流れるポンキキン川の、更に東隣を流れる川の名前です。こうやって書くと随分と東側を流れる川に思えますが、津別町は相当広いので、メナシュキキン川が流れるあたりも町域から見るとほぼ真ん中だったりします。「キキン川」は「木禽川」のことだと思われます。kikin は「ナナカマド」という意味で、もともとは kikin-ni-us-nay だったんじゃないか、という話は北海道のアイヌ語地名 (229) 「チャシポコマナイ川・木禽川・サラカオーマキキン川」に詳しいので是非ご一読を(ぉぃ)。
さてメナシュキキン川です。ふつーに考えると menas(-un)-{kikin} で「東(・にある)・キキン川」となりそうですね。ということで、今回も知里さんの「網走郡内アイヌ語地名解」を見てみましょうか。
(353) メナシ・クシ・オンネキキン(Menash-kush Onnekikin)(左岸) 「東を・通る・オンネキキン」。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『網走郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.307 より引用)
あっ、menas-un ではなく menas-kus だったのですね。現在は menas-{kikin} で「東・キキン川」と略されますが、もともとは menas-kus-{onne-kikin} で「東・通行する・長じた・キキン川」だったようです。ただ、不思議なのが、「東のオンネキキン川」のほうが、なぜか本来の「オンネキキン川」の西側を通っていることです。これはどうしたことか……と思ってちょいと古い(1982-83 年ごろ)「土地利用図」をチェックしてみたところ、津別町恩根の南側の、現在は「オンネキキン川」とされている川にしっかりと「メナシュウシュキキン川」と書かれているではありませんか。ということで、ここ 30 年ほどの間に川名の「取り違え」があったような感じがします。
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