2015年9月19日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (283) 「尻駒別・伊由谷岳・ホロカマハシリ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

尻駒別(しりこまべつ)

surku-oma-pet
トリカブトの根・そこにある・川
(典拠あり、類型あり)
釧北峠のあたりを水源として、フップシ岳の北側を東に流れて阿寒湖に注ぐ川の名前です。ここしばらく難解な地名が続いたので、たまには……ね(汗)。

ということで、山田秀三さんの「北海道の地名」から。

永田地名解は「シリコマ・ペッ 強川?」と妙なことを書いた(この書この辺では変な解が散見する)。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.280 より引用)
えっ? ……と思ったのですが、確かにありました!

Shirikoma pet   シリコマ ペッ   强川
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.338 より引用)
ということで、「変な解」にお付き合いするのもアレですので、本筋に戻りましょう。

松浦図ではシユルクヲマナイである(川名の終わりはナイで呼んだりペッでいったりすることが多い)。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.280 より引用)
えっ? ……と思ったのですが、確かにそうでした。東西蝦夷山川地理取調図には「シユルクヲマナイ」とありますね。松浦武四郎の時代には surku-oma-nay として認識されていた沢が、いつの間にか surku-oma-pet と認識される様になった、ということなのでしょうね。

意味は「トリカブトの根・そこにある・川」だと考えられます。猛毒のトリカブトは狩猟の際に鏃に塗って殺傷力を高めるのに使われたと言います。同じトリカブトでも場所によって毒性に差があったらしく、効能の高いトリカブトの自生地は重宝されたみたいですね。

伊由谷岳(いゆだに──)

iutani-nupuri
杵・山
(典拠あり、類型あり)
釧北峠の西北西、津別町と足寄町の境界に聳える山の名前です。「伊由谷岳」だけでは和名のようにも思えるのですが、すぐとなりに「イユダニヌプリ山」なる山があるので、おそらくアイヌ語由来でしょう。

ということで(またか)、今回も「北海道の地名」から。

ドードロマップ川口から約5キロ上,国鉄北見相生駅の少し下で網走川に入る西支流がイユダニ川で,その源流の上に伊由谷岳(網走郡と足寄郡の境)がある。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.213 より引用)
ん……? 現在の地形図では「ユウ谷の沢川」となっていますが、これが元は「イユダニ川」だったということでしょうか。1986 年の地形図を見てみると「イユ谷の沢川」と書いてあるので、これまたいつの間にか「イユ谷の沢川」から「ユウ谷の沢川」に変わってしまった系(なんだそれは)のようですね。

続きを見てみましょうか。

永田地名解は「イユタニ・ヌプリ。杵山。杵の如き山なり。イユタニ・ペッ。杵・川。杵山より来る故に川に名く」と書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.213 より引用)
ほう。「変な解」で有名な(いつの間に)永田地名解ですが、今回は割とマトモそうな解を出してきましたね。iutani は「」という意味で、分解すると i-uta-ni で「もの・~をつく・木」になるのだとか。iutani-nupuri で「杵・山」と解釈できそうです。

アイヌ時代の杵(イ・ウタ・ニ。それを・つく・木)は昔風の竪て杵で,手で持つ処が細くなっている。この山は細長い独立山で両側が高く,間が低いので,竪て杵を横に置いた姿に見たててこの名がつけられたか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.213 より引用)
ふーむ。「伊由谷岳」が 898.3 m で、およそ 600 m ほど西北西にある「イユダニヌプリ山」が 902 m、両者の鞍部が 850 m ちょいのようですが、この山容を形容して「杵のような山」としたのでしょうか。

アイヌ時代の山名は下の川の名によって呼ばれたものが多いのであるが,この場合は山名から採って下の川名がつけられたのであった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.213 より引用)
あっ、言われてみれば……。先に山の名前があって、そこから川名がつけられるというのはアイヌ語の地名ではとても珍しいことです。さすが山田さん、見逃しませんねぇ。

ホロカマハシリ川

horka-{apasir}
後戻りする・網走川(の支流)
(典拠あり、類型あり)
網走郡津別町の南部を東から西に流れている川の名前です。はい。実はこの一文だけで結構ネタバレ感があったりするのですが……。

というわけで、今回も山田秀三さんの「北海道の地名」から。

ホロカアバシリ(ホロカマハシリ川)

 相生市街の南のはずれの処で,東から来て網走川に入っている川の名。ホロカ・アパシリ「horka-apashir 後戻りしている・網走川(支流)」の意。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.214 より引用)
というわけでして……。horka-{apasir} で「後戻りする・網走川(の支流)」だったのでした。網走は御存知の通りオホーツク海沿いの町で、南西から北東に向かって網走川が流れています。「ホロカマハシリ川」は東から西に流れているので、南西から北東(あるいは「西から東」)に流れる「網走川」から見ると horka な川だ、ということですね。

現在の川名は「ホロカハシリ」ですが、山田さんの文を読む限り、以前は「ホロカアバシリ」という川名だったと考えられます。確かに明治期の地形図を見てみると、「ホロカア?シリ」という文字が読み取れますので、少なくとも川名の 4 文字目は「ア」だったことは間違い無さそうです。

どこかのタイミングで、「ア」を「マ」に転記するミスがあったと考えられるのですが、より古い戊午日誌には次のようにありました。

又しばし下りて右の方に
     ホリカアバシリ
と云。此水源ビホロの山より来ると。屈曲して越え来るが故に号。ホリカは屈曲の形ち、海老をしてホリカテレケと云。是屈曲したる手と云儀也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.305-306 より引用)
うーむ。もともとは「ホリカ──」と記録されていたのですね、確かに horkar は日本語には無い閉音節ですから、ある程度カナ表記が揺れるのは仕方ないのですが、なかなか「ホロカアバシリ」に落ち着かないのはちょっと面白いような気もしますね。

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