2015年9月12日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (281) 「チクショベツ川・キネタンベツ川・チュウルイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

チクショベツ川

chi-kus-us-pet?
我ら・通行する・いつもする・川
(典拠あり、類型あり)
「パンケトー」から「阿寒湖」に向かって流れる「イベシベツ川」の支流の名前です。いや、決して機嫌が悪くて毒づいているわけではありませんから!(汗)

さて、チクショベツですが、永田地名解に記載がありました。

Chi kushio-pet  チクショ ペッ   路ノ川
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.339 より引用)
ますます毒づき度がアップしたような気もしないでも無いですが、それはさておき……。見た感じでは chi-kus-o-pet かな、と思わせますね。chi-kus-pet であれば割とありそうな感じなのですが、間の -o がちょっと良くわかりません。強引に読み解いていくと chi-kus-us-pet で「我ら・通行する・いつもする・川」と言ったところでしょうか。

チクショベツ川沿いに遡って行くと、やがて峠を越えてセンウンツベツ川の流域に入ります。木禽岳とサマッケヌプリの間の鞍部と言えるところで、釧路と美幌の間の最短ルートでは無かったかと思われます。もっとも、松浦武四郎が釧路から美幌に向かった時(安加武留宇智之誌……「アカンルウチシ誌」と読むのでしょうね)は釧北峠経由のルートを取っていたので、チクショベツ越えは既にあまり使われなくなっていたのかもしれませんね。

キネタンベツ川

kene-tay-un-pet?
ハンノキ・林・ある・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
1980 年代後半から 90 年代前半にかけて一世を風靡した TM Network というユニットがありましたが、一人だけふつーの黒髪でいつもサングラスをかけていた人がいましたよね。

さてキネタンベツ川です(お約束)。南流して阿寒湖の北端に注ぐ川の名前で、東西蝦夷山川地理取調図に「ケ子タンベ」とある川が現在の「キネタンベツ川」のようですね。

戊午日誌にも、かなり細かく記載がありました。

扨前丁に志るすカバツテウシモイより凡壱里も行や
    ケ子タンベ
相応の川有るよし。本名ケ子タウンベと云儀也・其訳は昔しは此処ラルマニ(をんこの木)計の山なりしが、其山追々ラルマニも尽て木なくなりし処、何処よりか神が赤楊(はんの木)の実を持来り蒔玉ひしと。其後アカンの爺等行て見たれば、纔三四日の内に其実生て七八寸計ヅヽ長く成て有たりと。よって号。ケ子は赤楊、夕は拵ゆる、ウンベ多しと云儀也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.300 より引用)
ちょっとした地名説話になっていて面白いですね。もともとオンコ(イチイ)の木が生えていたが、徐々に木が少なくなっていったところ、どこからか神様がハンノキの実を持ってやってきて、それを撒いたのでハンノキ林になった、ということなのだとか。

鎌田正信さんは「道東地方のアイヌ語地名」にて「kene-ta-un-pe ハンノキの・種蒔き・あった・所」としましたが、ta は「切る」あるいは「刈る」と言う意味のような気がするので、「種蒔き」と解釈できるのかは個人的には少々疑問が残ります。

ta は、萱野さんの辞書には「掘る」「耕す」「汲む」あるいは「採る」とあるので、「耕す」という意味を拡大して解釈すると「種蒔き」に少し近づくような気はしますが……

残念ながら既に失われてしまった地名ですが、美幌町の国道 243 号沿いに「杵端辺」というところがありました。知里さんの「網走郡アイヌ語地名解」によると、この「杵端辺」は「オ・ケネ・タイ・ウン・ペ」で「川尻にハンノキ原ある沢」ではないかとのこと。逐語的に読むと o-kene-tay-un-pet で「川尻・ハンノキ・林・ある・川」となりますね。このことから、阿寒の「ケネタンペ」も kene-tay-un-pet である可能性も考えられそうな感じがします(前述の鎌田さんも「そうとも読める」としていました)。

んー、どちらかと言えば kene-tay-un-pet で「ハンノキ・林・ある・川」かなぁと思っているのですが、あるいは kene-ta-un-pet が正しいのかもしれません。ただ、kene-ta-un-pet は個人的にちょっと納得の行く解が出せないので、逐語訳は無しとさせてください。

チュウルイ川

chip-e-ru-i??
舟・そこで・融ける・ところ
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
キネタンベツ側の西隣を流れる川の名前で、同様に阿寒湖北部に注いでいます。支流には「オンコチュウルイ川」があり、また支流ではないですが西隣に「ポンチュウルイ川」があります。

また、チュウルイ川・ポンチュウルイ川が阿寒湖に注ぐあたりから 7~800 m ほど南に行った所に「チュウルイ島」という島があります。地形図を見ると「マリモ展示観察センター」という建物があるみたいですね。対岸の道路も狭いですし、舟が無いと行けない場所なんですが、果たして一般客が立ち入ることはできるのでしょうか……?(汗)

閑話休題(それはさておき)、川の名前と島の名前が同じというのは、あまり聞かないような気がするのですが、少なくとも現在の地形図では「チュウルイ川」と「チュウルイ島」が存在しています。ところが、東西蝦夷山川地理取調図を見てみると、島の名前が「チウルイモシリ」で、川の名前が「ヲン子チルイ」なのですね。「チウルイ」と「チヘルイ」、とても良く似ていますが、びみょうに違っています。

「チウルイ」という地名は「忠類」という字が当てられるケースが多いのですが、これは chiw-ruy で「波・甚だしい」だと考えられます。chiw は島の名前を想定して「波」としましたが、あるいは「水流」と解釈することもできます。

そして「チヘルイ」なのですが、永田地名解には次のように記されています。

Pon chie rui   ポン チエ ルイ   食料僅ニアル處
Onne chie rui   オンネ チエ ルイ  食料多キ處
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.338 より引用)
ついでに、次の行にはこのようにあります。

Ibe ush pet    イベ ウㇱュ ペッ  食料多キ川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.338 より引用)
うー……。確かに食料が大事なのはわかるんですが……。ちなみに chi-e で「我ら・食べる」という意味なのですが、「我ら・食べる・甚だしい」という地名は少々変な感じもしますよね(まるで豚一家みたい……)。

ちなみに、「ヲン子チベルイ」は戊午日誌にも記載があります。

また廿丁計にして
    ヲン子チベルイ
相応の川也。此辺湖の北岸椴木原に成る也。此処浜よくして船を置によき故に号るなり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.300-301 より引用)
なるほど、chip-e-ru-i と解釈したのでしょうか。これだと「舟・そこで・融ける・ところ」となります。

ルイベ」という料理をご存じの方も多いと思います。鮭を焼く代わりに凍らせることで寄生虫を死滅させて、ついでに水分が飛ぶことで風味も良くなる……という理屈だそうですが、それはさておき(またか)。

ルイベを日本語で形容すると「凍らせた鮭」となるかと思いますが、元来「ルイベ」はアイヌ語で、ru-ipe融ける・食べ物)という意味でした。これはアイヌと和人の立脚点の違いが如実にわかる面白い例なのですが、同じことが chip-e-ru-i にもあったのではないのか、という話です。

「舟を置く」を「舟を動かなくさせる」すなわち「舟を凍らせる」と考えると、舟を置いていたところは「舟を(冷凍状態から)融かすところ」と考えられるのではないか……という風に考えられるんじゃないかなぁ、と。

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