2015年9月11日金曜日

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道東の旅 2013/春 (248) 「中川一郎記念館」

 

国道 236 号「天馬街道」へ

広尾町北部の「豊似」というところにやってきました。国道 336 号はここで国道 236 号と合流します。
国道 236 号と国道 336 号の重複区間はわずか 600 m ほどで、すぐに国道 236 号「天馬街道」は右折して山越えに向かうことになります。既報の通り、天馬街道は「夏タイヤ不可」とありますね。さてどんな眺めを目にすることになりますやら……。
さっそく重複区間の終わりが見えてきました。あと 300 m ほどで「天馬街道」へは右折です。
「苫小牧 浦河」方面に向かって右折します。浦河に向かおうとすると、えりも町経由の国道 336 号だと三角形の二辺を経由する形となってしまいますが、国道 236 号だとほぼ直結する形になりますから、やっぱり早いですよね……。

「天馬街道」その由来

「天馬街道」に入りました。
ちなみにこの「天馬街道」というネーミングですが、Wikipedia によると次のようにあります。

この呼称は帯広市の公務員の男性(当時)が考えたもので、本人によると「日高のサラブレッドと十勝のドサンコが出合い、ともに空高く舞う」というイメージから命名したという。
(Wikipedia 日本語版「野塚トンネル」より引用)
ふむふむなるほど。確かに日高と十勝はどちらも名高い馬産地ですよね。日高は「競走馬」で十勝は「ばんえい競馬」ですから、随分と得意分野は違いますね。サラブレッドが空高く舞うのは絵になりそうですが、輓馬が空を舞うというのはちょっと想像しがたいような……(汗)。

中川一郎記念館

天馬街道に入ってから 5~6 km ほど走ったところで、道路右側に何やら立派な建物が見えてきました。こちらなんですけどね。
実はこの建物、「中川一郎記念館」なのだそうです。
中川一郎と言えば農水大臣や科学技術庁長官などを務めた自民党の政治家でしたが、実は生まれがここ広尾だったのだとか。中川一郎は 57 歳で突然この世を去ってしまいますが、その死の真相をめぐっては未だに多くの謎が残されているとも言われます。

ちなみに、中川一郎の第一秘書だったのが鈴木宗男で、中川一郎の長男が中川昭一でした。御存知の通り、中川昭一も 2009 年に 56 歳で亡くなっていますね。

Go West

「天馬街道」は防風林と畑の中を西へと向かいます。
豊似川にかかる「上豊似橋」を渡ります。少しずつ山が近くなってきましたね。

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