2015年8月29日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (277) 「最栄利別・重内・志計礼辺山」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

最栄利別(もえりべつ)

moyre-pet
流れの遅い・川
(典拠あり、類型あり)
弟子屈町南部の地名で、同名の川も流れています。最初は「なんじゃこりゃ」と思ったのですが、読みがわかってしまえばなんてことは無い……んじゃないかと。

戊午日誌に記載がありました。

また並びて左りに
モイレヘツ、惣て此川すじ平地多きが故に川遅流なるに、別ても此川遅流にして有るが故に此名有る也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.431 より引用)
はい。ということで、moyre-pet で「流れの遅い・川」と解釈して良さそうです。

ここまで見た限りでは、特に珍しい地名というわけでは無いのですが、moyre-pet に「最栄利別」という字を当てたところがポイント高いかなぁ、と。なかなか読めないですが、実は佳字揃いだったりするのですよね。

重内(おもない)

o-mu-nay?
河口・塞がる・沢川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
弟子屈の西、鐺別川の南側にある地名で、最栄利別の北西、奥春別の南に位置します。近くを「オモナイ川」が流れていて、オモナイ川を遡って行くと「重内山」という山もあります。グランドスラムですね(何が)。

ちなみに、同名の川が道南の知内町にもあります。津軽海峡線には「第一重内トンネル」「第二重内トンネル」などがありますね。

さて弟子屈の重内ですが、こちらも戊午日誌に記載が見つかりました。

またしばし上り左りの方小川
ヲムナイ、此川すじ小石にして川流処々に小石の中に入ては乾き、又流れ等するが故に号るなり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.431-432 より引用)
うーん、この説明だと、どちらかと言えば sat-nay になりそうなんですよね。ここはむしろ o-mu-nay で「河口・塞がる・沢川」と考えるべきかなぁと思うのです。実情は戊午日誌に記された通りなのかも知れませんが……(河口を土砂で塞がれたから伏流したのか、あるいは伏流しているから河口が塞がっているように見えるのか、の違い)。

志計礼辺山(しけれべ──)

sikerpe-(u)n-pet
キハダの実・ある・川
(典拠あり、類型あり)
弟子屈町南西部の山の名前です。山の名前とは珍しい……と思われるかもしれませんが、ご安心下さい(何に)。近くを「シケレベンベツ川」という川も流れています。

というわけで、今回も「戊午日誌」からです。

またしばし過て左り
シケレヘウンベ、小川。此沢に五味子(シコロの実)有るが故に号るなり。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.432 より引用)
ということで、もともと「シケレベンベツ川」が sikerpe-(u)n-pet で「キハダの実・ある・川」だったと考えられそうです。「キハダ」は北海道方言で「シコロ」と言うらしいのですが、「シコロ」は sikerpe から来ているのではないか、と知里さんは見ていたようです。

ちょっと長いですが、「植物編」の「キワダ」の項から引用しておきましょう。

注 1. ──キワダ(黄蘗)わ,北海道の和人方言でわ,一般にシコロ,或いわシコロノキとゆう。シコロノキわ,シコロの生ずる木の意味で,シコロが本來わ果實をさす名稱であったことを思わせる。さらに古くわシコロペだったかもしれない。日本で古くこの果實を薬用にしてそれをシコノヘイと云っているからである。それについて金田一京助博士わ, アイヌ語の shikerpe がシコロペに訛り,それがシコノヘイになったのでわないか,と云って居られる(アイヌ語と國語, 國語科學講座所収,p. 30)。或いわ,sikorpe がもとの形で,古くその形が日本にとり入れられてシコロペ,シコノヘイとなり,一方でわ sikerpe に變って現在のアイヌ語となったのでわなかろうかとも考えられる。
(知里真志保「知里真志保著作集 別巻 I『分類アイヌ語辞典 植物編』」平凡社 p.102 より引用)
「キハダ」は漢字では「黄蘗」(あるいは「黄檗」)と書きます。京都の宇治市には「黄檗駅」があるので馴染み深い方もいらっしゃるかも知れません(「黄檗駅」は「おうばく──」と読みます)。

ちなみに黄檗の次の駅は「木幡」と書いて「こわた」と読むのですが、「キハダ」あるいは「キワダ」と似ているのが面白いですよね。宇治の「黄檗」は寺院の号なのですが、もともと「木幡」という地名があって、そこから「木幡」→「キハダ」→「黄檗」という流れがあったんじゃないかな、と想像していたりします。

閑話休題。そんなわけで「キハダ」は「黄蘗」なのですが、シケレベンベツ川の隣には「黄壁沢」という沢があったりします。どう見ても「檗」ではなくて「壁」なんですが……これはやっちゃいました系でしょうかね?(汗)

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