(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
チョクベツ川
(?? = 典拠なし、類型あり)
塘路湖に注ぐアレキナイ川の支流です。東西蝦夷山川地理取調図には「チヨロヘツ」と出ていますね。また「戊午日誌」には次のように記されています。川口しばしを上りて、チヨコヘツ、左りの方小川也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.490 より引用)
また、明治期の道庁 20 万図には「チヨボベッ」(あるいは「チヨポペッ」)とあるように見えます。最初が「チ」なのはどれも同じですが、結構な揺れが見えますね。これらの表記からは、chuk-pet あるいは chep(-ot)-pet あたりではないかな、と想像できます。chuk は chuk-ipe の省略形で「秋の鮭」、chep は「魚」を意味します。従って chuk-pet であれば「秋鮭・川」で、chep(-ot)-pet であれば「魚(・多くいる)・川」となりそうですね。
バルマイ川
(?? = 典拠なし、類型あり)
昔、マイクロソフトの社長をやっていた「スティーブ・バルマー」というおっさんがいてですね……(もちろん関係無いです)。というわけでバルマイ川です。バルマイ川はアレキナイ川の西側(下流側)で塘路湖に注ぐ小河川の名前です。戊午日誌には「ラルマイ」と記録されていますが、東西蝦夷山川地理取調図には「ラルマナイ」とあります。明治期の道庁 20 万図で「バルマイ」になって、そのまま現在に至るような感じですね。
バルマイですが、戊午日誌の「ラルマイ」を素直に解釈すると rarma(-ni)-i と読み解けそうです。rarma-ni で「イチイ(オンコ)の木」という意味なのですが、rarma-ni-i が rarma-i と略されたのでは無いかと。意味は「イチイの木・ところ」となりますね。
「ラルマナイ」も同様の流れで rarma-ni-nay が rarma-nay になったと考えられそうです。明治期に「ラ」が「バ」に化けたのは、聞き違い……ですかね?
ベカンベ川
(?? = 典拠なし、類型あり)
pekampe は「ヒシの実」という意味で、このあたりのアイヌにとってはヒシの実は重要な食料だったのだそうです。厚岸にも「別寒辺牛湿原」がありますが、おそらく意味するところは同じだったのでしょう。pekampe(-us-nay) あたりで「ヒシの実(・多くある・川)」だったのでしょう。……と、ここまではすんなりと読み解けるのですが、松浦武四郎の「戊午日誌」を見てみると、次のように記されています。
是より手前岸、沼フトの方に
イカチベカンヘ
入口也。是川口の下に有り。沼惣て此沼岸は皆蘆荻、丘は樹木立原也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.491 より引用)
武四郎が「沼フト」という記しているのが面白いですね。「フト」はおそらくアイヌ語の putu のことだと考えられます。日本語で書いているはずなのに、ついアイヌ語が出てしまった……と言った感じでしょうか。もっとも、「沼フト」が「塘路湖の出口」を指しているのであれば、putu と言うよりは char なんですけどね(無粋なツッコミの例)
閑話休題。これによると、現在の「ベカンベ川」は「イカチベカンヘ」と記されています。「イカチ」とは一体どういう意味なのでしょう。
他の資料をあたってみると、「東西蝦夷山川地理取調図」には「イワチヘカンヘ」とあるように見えます。これらの記録から地名っぽい解釈を考えてみると……ika-chi-pekampe(-us-nay) といった風に考えることができそうな気がします。
ika-chi は「越える・し続ける」となるかと思うのですが、当時のベカンベ川の河口部が幾つもに別れていて、何度も川を跨いで越えないといけなかったから……といった感じだったのではないでしょうか。
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