タンネヌンベ川
長い・豊漁・ある・川
素直に読み解くと tanne-nu-un-pet で「長い・豊漁・ある・川」となります。割と魚が穫れた川だったのではないでしょうか。
ちなみに、この「タンネヌンベ川」は、明治期の「陸測 20 万図」には「コタンヌンペッ」と記載があります。これだと kotan-un-pet で「集落・ある・川」となりますね。現在は無人の原野に還ってしまっていますが、河口部には僅かながら平地もあり、あるいは漁を中心に生計を立てていたアイヌがいたのかも知れません。
オモシロンベツ川
河口部に・島・ある・川
雨竜町の「面白内」については 北海道のアイヌ語地名 (65) 「面白内・恵岱別・美馬牛」をご覧ください。
この「オモシロンベツ川」は、塘路湖に注ぐ川の中ではかなり大きなものですが、松浦武四郎の「戊午日誌」などには記載がありません。明治期の「陸測 20 万図」には「オモシロシペ」と記されているようです。
おそらく、o-mosir-un-pet あるいは o-mosir-us-pet で「河口部に・島・ある・川」だったのでしょうね。朱鞠内湖の北岸に「母子里」(近くを通っていた深名線の駅名は「北母子里」)という地名がありますが、そこと同じ地名だったのではないかと思われます。
ホマカイ川
後ずさりする・もの(川)
なお、同名の川が尾幌川の支流にもあるのですが、塘路湖からホマカイ川を遡って行くと「北片無去」の集落に辿り着き、やがて尾幌川の支流の「ホマカイ川」に合流します。「陸測 20 万図」には北片無去のあたりを流れる川の名前として「コイカクシェホマカイ」と記しているため、塘路から尾幌へのルートとして活用されていたことを伺わせます。
塘路の「ホマカイ」は手持ちの資料には情報が見当たらないのですが、尾幌の「ホマカイ」は永田地名解に記載がありました。
Homaka-i ホマカイ 後背ノ處 アイヌ云「ホマカイ」ハ分レルコト?homaka という単語の意味を確認できないのですが、makan 「奥へ行く」と近いニュアンスの単語のように思われますね。ho- は「お尻」という意味ですから、「お尻が奥へ行く」即ち「後ずさりする」という意味……でしょうか。永田方正の註は良くわからなかったですが、「後背ノ處」という解釈はあながち間違ってなかったような気もします。homaka-i だと「後ずさりする・もの(川)」と解釈できそうですね。
さて、「後ずさりする川」とは一体どんな川なのでしょうか?
道内には horka-pet あるいは horka-nay という名前の川が各所にあります。有名なのは「幌加内」ですが、幌加内川は南から北に流れて雨竜川に合流します。ところが雨竜川は北から南に流れる川なので、雨竜川から見ると幌加内川は horka (後戻り)する川、となるのですね。
ところが、永田方正は horka を「逆流する」と理解していたようで、たとえば「渡島國 松前郡」の「ホロカ ナイ」の地名解として、次のように記しています。
Horoka nai ホロカ ナイ 潮入リテ河水却流ス故ニ名ク、或ハ云フ此川ハ四十八瀬アリテ順逆ニシテ流ル故ニ此名アリト(後略)
もちろんこれは言葉の綾なのですが、標茶町北片無去の西方にある、塘路のホマカイ川(の支流)と尾幌のホマカイ川(の支流)の分水嶺はとても緩やかな地形のようなのですね。ですから、川を遡っているうちに、いつの間にか川を下りているという風に感じられていたのではないかと。
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