2015年6月30日火曜日

道東の旅 2013/春 (204) 「標茶町の地名は」

五十石へ

シラルトロ沼の畔を、北に向かって進みます。
沼を見下ろす小高い丘にはヨーロッパ風の建物が並びます。別荘でしょうか?
山の中をほぼ一直線に切り開いた道路を進みます。
国道 391 号は再び JR 釧網本線と並走します。このあたりは「五十石」という地名なのですが、果たしてどんな由来があるのでしょう?

  五十石(ごじっこく)
所在地 (釧路国)川上郡標茶町
開 駅 昭和2年9月15日 (客)
起 源 明治20年代川湯のアトサヌプリ(裸の山)の硫黄運搬のため、釧路川を五十石船がここまでさかのぼってきたので、こう名づけたものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.161 より引用)
へぇ~。アイヌ語由来では無いですが、これもある意味由緒のある地名なんですね。

標茶市街

五十石駅の少し北で、国道は JR をオーバークロスし、そのまま釧路川まで渡ってしまいます。
釧路川の西岸を北上します。標茶市街まではあと 5 km です。
標茶町の中心地にやってきました。国道 274 号はここが終点で、国道 274 号に続く道を右折すると「開運橋」を渡って標茶駅にたどり着けます。
標茶の集落は東側に駅があり、西側には国道が通っていて役場などがあります。その間を南北に釧路川が流れているのですが、とてもバランスよく出来ていて面白いですね。

失われたアイヌ語地名

標茶市街を抜けて、弟子屈を目指します。標茶市街の地名はみんなこんな感じでした。
たとえば、橋の名前は「開運橋」でしたが、地名も「旭」「桜」「平和」「麻生」に「常磐」「開運」「川上」といった感じで、アイヌ語由来の地名は失われてしまっているようです。

国道 391 号はしばらく釧路川の西側を走っていましたが、「瀬文平橋」で再び釧路川を渡って川の東側に戻ります。おっ、「瀬文平」はアイヌ語由来の地名のようですね。

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2015年6月29日月曜日

道東の旅 2013/春 (203) 「塘路湖とシラルトロ沼」

細岡さん?

国道 391 号で釧路町達古武にやってきました。達古武湖は左側にある筈ですが、国道からは 1 km ほど離れているため見ることはできません。JR 釧網本線の最寄り駅は「細岡駅」と言うのだそうですが、由来は謎のようですね。

  細 岡(ほそおか)
所在地 (釧路国)釧路郡釧路村
開 駅 昭和2年9月15日 (客)
起 源 アイヌ語でもと付近一帯を「タㇷ゚コㇷ゚」(たんこぶ山)といっていたが、釧路川の左岸に「細い岡」が連なっているから、それをとって駅名としたものである。なお鉄道建設の際の監督官が「細岡」という人で、その姓をとったという説もある。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.160 より引用)
これは……謎ですね。

シベっちゃ!

北海道にしては厳しい連続カーブを登り切ると、標茶町に入ります。
こんな標識?があるのですね。季節限定の標識にカバーがかけられているのではなくて、最初からこういうデザインの標識?のように見えます。
塘路駅の近くにやってきました。
観光客向けの案内板がありました。このイラストのセンスは凄く好きですねぇ。

塘路湖

塘路湖は国道の右側です。
おおっ! 国道は塘路湖のすぐ横を走るのですね。

そしてシラルトロ沼

塘路湖と離れて、ちょっとした峠を越えると、また前方に湖が見えてきました。
緩やかに右にカーブした高架橋の先にシラルトロ沼が見えてきました。いや~、素敵なドライブルートですね。こんなにいい所だとは知らなかったです。

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2015年6月28日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (262) 「オタクパウシ・ルークシュポール・チョロベツ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

オタクパウシ

o-takuppa-us-i
そこに・谷地坊主・多くある・ところ(川)
(記録あり、類型あり)
釧路町東部にある地名です。少し離れたところですが、意外と問い合わせ?が多い地名なので、取り上げてみることにしました。

オタクパウシは釧路町の仙鳳趾、あるいは重蘭窮の西隣に位置するのですが、内陸部のため旧記に取り上げられることは少なかったようです。ただ、「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) には「ヲタコハウシ」と言う名前で記録されています。

マイナーな地名なので、他に典拠を探すのを半ば諦めかけていたのですが、なんと「永田地名解」(1891) にバッチリ掲載されていたことに気が付きました。

O-takutpa ushi  オタクッパ ウㇱ  丸山「タクッパ」ハ「ヤチ」草ノ名取テ丸山ノ義ニ用フ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.358 より引用)
「オタクパウシ」だけでも十分面白い(何が?)のに、今度は「オタクッパウシ」ですか……(笑)。「丸山」という解は少々意味不明ですが、o-takuppa-us-i で「そこに・谷地坊主・多くある・ところ(川)」だと考えられます。

知里さんの「──植物編」(1976) にも、次のようにあります。

takuppa 《屈斜路》ヤチボォズ。『北海道蝦夷語地名解』第四版 p. 358 に「タクッパ」わヤチ草の名とある。<takuppa-mun(次項)の略。
takuppa-mun 《屈斜路》ヤチボォズ。<takuppa(株)mun(草)。
(知里真志保「知里真志保著作集 別巻 I『分類アイヌ語辞典 植物編』」平凡社 p.285 より引用)
若干循環参照気味ですが、takuppa は「谷地坊主」を指す単語だったようです。「谷地坊主」の正体はスゲ属の草で、Wikipedia には次のようにあります。

湿原では、スゲ類が優占する草原になることがある。北海道など寒冷地の湿原では、スゲ類の大株が湿地のあちこちにかたまりを作り、盛り上がって見えるのを谷地坊主(やちぼうず)と呼ぶ。
(Wikipedia 日本語版「スゲ属」より引用)。

草が固まって「株」状となり、冬場の土壌の凍結と春の雪解け水による土壌の侵食の繰り返しでお坊さんの頭のような形にまとまって見えることから「谷地坊主」と呼ばれるようになったのだとか。「オタク」も「クッパ」も関係なかったということですね(そうですね)。

ルークシュポール

ru-kus-{o-poro(-pet)}??
道・通る・尾幌(川)
(?? = 記録未確認、類型あり)
トルコのトラブゾンという町にに「トラブゾンスポル」というサッカーチームがあります。トルコのサッカーチームといえばガラタサライ・フェネルバフチェ・ベジクタシュが 3 強と言われていますが、トラブゾンスポルは 3 強に次ぐチームとして知られています。ただ、ルークシュポールとは何の関係もありません(だったら書くな)。

さて、ルークシュポールはトラブゾンではなく厚岸町にある地名で、同名の川も流れています。ルークシュポール川と支流のポンルークシュポール川があるのですが、地名としての字ルークシュポールは支流のポンルークシュポール川沿いにあるようです。さぁ、そろそろ「ルークシュポール」という文字がゲシュタルト崩壊を起こしそうですね。

地名愛好家の中ではちょいと名が知れている筈なのですが、意外なことに各種地名解や解説本には記載がありません。唯一見つかったのが「北海道地名誌」(1975) のこの記載です。

 ポンルークシュポール 厚岸町尾幌に出るポンノ沢上流の畑作酪農地区。小路の通る洞窟と解されるが不明。
(NHK 北海道本部・編「北海道地名誌」北海教育評論社 p.670 より引用)
ふむふむ。pon-ru-kus-poru と解釈したのですね。この「ルークシュポール」、実はなぜか Wikipedia に記事がありまして……

名称の由来
北海道の地名は、その由来をアイヌの言葉に持つものが大変多いが、ルークシュポールもやはりアイヌ語に由来する。地名の由来は知里真志保によればrukusiが通路(ru=道、kus=通行する、i=~する所)、poruが岩窟の意。近隣にはポンルークシュポールという地もある。ponは小さいの意。
(Wikipedia 日本語版「ルークシュポール」より引用)
文中には「知里真志保によれば」とあるのですが、残念ながら典拠が示されていません(手元の著作をちらっと見た限りでは、ルークシュポールについて触れられたものは見つけられませんでした)。やはり、「ルークシュポール」を逐語的に解釈して、ru-kus-poru で「道・通る・洞窟」としているようですね。

ただ、poru(洞窟)の存在は伝承されておらず、否定的な見解もあるようです(http://blogs.yahoo.co.jp/kusuri0065/3450343.html など)。そのため、「ポール」を par(口)と解釈して「道・通る・口」とする説を唱えた方もいらっしゃったようです。どうにもこの「ポール」の存在が地名解を行う上で障壁となっていたのでした。

「ルークシュポール」は旧記には記載が無い……と思っていたのですが、実は「東西蝦夷山川地理取調図」(1859) に「ルウクシウホロ」という名前で(川の名前として)記されています。これを素直に読み解けば「ルウ・クシ・ウホロ」となります。これでピンと来たのですが、ru-kus-{o-poro(-pet)} で「道・通る・尾幌(川)」となります。

ルークシュポール川は尾幌川の支流ですが、昆布森釧路町)から尾幌に向かうには尾幌川経由よりもルークシュポール川経由のほうが距離が短いのですね。道内には ru-kus-{nup-sam}信砂)や mata-ru-kus-{kene-puchi}剣淵)あるいは ru-kus-{charo}茶路)といった地名がありますが、それと同型の地名だったのでは無いでしょうか。

チョロベツ川

chi-horo-pet
我ら・うるかす・川
(記録あり、類型あり)
ルークシュポール川を遡っていくと、ちょうど分水嶺の上を国道 44 号が通っているのですが、分水嶺の向う側にチョロベツ川(の支流)が流れています。チョロベツ川は釧路昆布森に注ぐ独立河川です。

山田秀三さんの旧著「北海道の川の名」(1971) には、次のように記載がありました。

 釧路と厚岸の間の海岸にある小流の名。元録郷帳以下の旧記、旧図にその名が見えるので、相当古くからコタン(部落) があったのだろう。ただし、その名の意味の方は、松浦日誌にも永田地名解にも見えない。
(山田秀三「北海道の川の名」モレウ・ライブラリー p.111 より引用)
はい。続きを見てみましょう。

 釧路の佐藤直太郎翁も、アイヌでこの名を解するのを聞かない。土地の者の話では、あの川でアツシを漂したことがあるという、との事であった。
(山田秀三「北海道の川の名」モレウ・ライブラリー p.111 より引用)
ふむふむ。「アツシ」は「厚司」とも書かれますが、オヒョウ(楡)の樹皮をうるかして(水に漬けて)、うるかした樹皮から紡いだ糸で織られた着物のことです。

さて、昆布森のあたりの地図を見てみると、昆布森トンネルの西側に「アチョロベツ橋」という橋があることがわかります。どうやらこの橋で越えている川の名前が「アチョロベツ川」と言うのだそうです。

チョロベツの一本西の川のアチョロベツは、永田地名解に At-ioro-pet「楡皮を浸す川」とあるが、少し不明確である。At-e-horo-pet「楡皮を・そこで・漬ける・川」か、At-chi-horo-pet「楡皮を・我ら・漬ける・川で」あったろう。
(山田秀三「北海道の川の名」モレウ・ライブラリー p.111 より引用)
なるほどー。そして「チョロベツ」の意味ですが……

 チョロベツは、その At を省略した、Chi-horo-pet「我ら・漬ける・川」ではなかろうか(これはほんとうの一試案にすぎない)。
(山田秀三「北海道の川の名」モレウ・ライブラリー p.111 より引用)
ふむふむ。chi-horo-pet で「我ら・うるかす・川」なのですね。

というわけで、「チョロベツ川」の地名解については異論はないのですが、ちょっとだけ不思議なのは隣の小河川である「アチョロベツ川」が「楡皮・我ら・うるかす・川」で、アチョロベツ川とは比べ物にならないくらい長大な「チョロベツ川」が「その At を省略した」とするところです。

これなんですが、もともと「チョロベツ川」という川があって、その隣に「もう一つのチョロベツ川」があった、と考えたほうが自然な感じがします。つまり、at-chi-woro-petat を「楡皮」と解釈するのではなく、「もうひとつの」を意味する ar の音韻変化と捉えたほうが自然なのではないかと。at-chi-woro-pet で「もう一方の・我ら・うるかす・川」となりますので。

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2015年6月27日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (261) 「阿歴内・別保・オビラシケ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

阿歴内(あれきない)

arke-nay?
片一方の・川

(? = 記録あり、類型未確認)
川上郡標茶町南部の地名で、近くを流れる「アレキナイ川」は塘路湖に注いでいます。支流に「モアレキナイ川」もあるので、アイヌ語由来と考えてまず間違いないでしょう。

松浦武四郎「戊午日誌」(1859-1863) には、次のようにあります。

東の方に廻りて
    アルキナイ
是沼の第一番奥に成るよし也。川巾五六間、一名トウイトコと云。其儀沼の源と云儀にて、此川すじの事をまた聞に、両岸蘆荻原湿沢にして、其上に大木多く、また此辺え来るや椴も多しと。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.490 より引用)
確かに塘路湖に注ぐ川の中では、「アレキナイ川」と「オモシロンベツ川」が双璧をなします。アレキナイ川が別名「湖の水源」と呼ばれたのも理解できますが、肝心の「アレキナイ」の意味が良くわかりませんね。

では、続いては弟子屈のご出身である更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」(1982) から。

 阿歴内(あれきない)
 塘路湖の沼上に出ている川の名で、この川の流域の部落名になっている。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.253 より引用)
はい。ここまでは良いですね。一体どんな意味なんでしょうか。期待が膨らみます。

アイヌ語の意味は明らかでない。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.253 より引用)
さすが更科さん……(汗)。

では、気を取り直して。山田秀三さんは、旧著「北海道の川の名」(1971) で、次のように記していました。

 旧記、旧図ではいずれもアキナイで今でも土地の人はその音で覚えている。阿歴内の字を当てたので、それにひきつけられてアキナイになってしまったのであろう。ただし、その意味についての記録は見たことがなく、またアイヌ系の人々に聞いても分らなくなっている。
(山田秀三「北海道の川の名」モレウ・ライブラリー p.105 より引用)※ 強調は原著者による
確かに松浦武四郎の「アルキナイ」と記していますし、もともとは「アルキナイ」だった可能性がありそうな感じですね。

アルキに当りそうなアイヌ語は、アルキ「arki 来る(複数形)」、アルケ「arke 片一方の、向う側の」、ハルキ「harki 左の。─この地方は初めの h を落すくせあり」などであろうか。
(山田秀三「北海道の川の名」モレウ・ライブラリー p.105 より引用)
ふーむ。arke-nay で「片一方の・川」だと地名っぽい感じがしますね。

 交通路なので、来る(アルキ)沢かも知れない。また尾幌川筋から見れば、アルケ(向側)の沢かも知れない。しかし松浦日誌を読むとアルキ・ナイ(左・川)かとの印象が強い。
(山田秀三「北海道の川の名」モレウ・ライブラリー p.105 より引用)
アレキナイ川を塘路湖から遡ると、途中で支流の「モアレキナイ川」と合流しているのですが、アイヌの流儀(河口から遡って左右を判断する)で言えば本流のアレキナイ川(シアレキナイ川)は左側の川なのですね。

ただ、この理屈だと支流が「モアレキナイ川」(小さな・左・川?)となるのが少々おかしな感じがします。山田さんも当然この点は気にしていたようで、以下のようなフォローを入れていました。

 もともとは、本流がアルキ・ナイ(左・川)で、モアルキナイといわれる方がシモン・ナイ(右・川)だったのではなかろうか。ところがそのアルキナイの方が、交通路に使われるなどで有名になり、それが全体の称となったのではなかったろうか。これが、この難解な川名についての一案である。(左右は、上流の方に向っていう。)
(山田秀三「北海道の川の名」モレウ・ライブラリー p.105 より引用)
まぁ、もともとの意味が忘れられた後であれば、こういった誤謬もありそうな感じはしますね。もっとも、日常生活で「右」「左」という単語の意味が忘れられるのも不思議な感じではあるのですが。

また、「北海道の地名」(1994) には次のようにありました。

釧路の佐藤直太郎氏(故)は仕掛け弓を置いた沢かといわれた。(chi-)are-ku「(我ら・)置く・弓」と読まれたものか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.270-271 より引用)
興味深い解ですが、少々厳しそうな感じもしますね。また、鶴居村下雪裡に住んでいた八重九郎翁は、山田秀三さんからの質問に対して次のように答えたのだそうです。

塘路の阿歴内川って何のことかと聞いたら、さあ何ですか、ある人は、谷地だったので「歩けない」だって云ってましたよ。そこで二人は顔を見合せて笑い出した。
(山田秀三「アイヌ語地名の研究 4」草風館 p.310 より引用)
案外、これが真相に一番近いのかも知れません(それは無い)。

別保(べっぽ)

{pet-po}
{川っ子}

(記録あり、類型あり)
別保川は釧路川の支流で、別保川に沿って国道 44 号線と JR 根室本線が走っています。別保には駅もあり、駅前には釧路町役場もあります。

まずは「戊午日誌」(1859-1863) を見てみましょうか。

又左りの方
     ヘツホウ
小川有、是川の倅と云儀也。ヘツは川、ホウは子供と云儀也。
松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.514 より引用)
ふーむ。これはわかりやすいですね。pet-po で「川っ子」という意味ですね(po は指小辞)。札幌市内の「苗穂」は nay-po で同じく「川っ子」なのですが、pet と nay が違うだけで、兄弟のような地名だと言えそうですね。

ただ、山田秀三さんは次のような疑問を呈していました。

 この川は相当な川なので少々変であるが,大きい釧路川本流と比較してこんな名で呼んだのであろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.267 より引用)
確かにごもっともなのですが、この疑問に対して更科源蔵さんは答えを出していたようでした。あ、今回は「アイヌ語の意味は明らかではない」ではないので大丈夫です(汗)。

アイヌ語ペッ・ポは川の子供の意。魚族が少なくあまり役にたたない川の意である。湿原の川で魚がのぼらなかったからである。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.266 より引用)
あー、poropon を「役に立つ」「役に立たない」と考える、更科さん風解釈だと確かに意味が通じますね。つまり、更科さん風に「別保」の意味を解すると、「役立たず川」ということになりそうです(汗)。

オビラシケ川

o-pira-us-i
川尻・崖・ある・もの
o-pira-kes??
川尻・崖・末端

(?? = 記録未確認、類型あり)
釧路川の東側を南流して、別保のあたりで別保川に注ぐ支流の名前です。今回は久々に「角川──」(略──)を見てみましょう。

 おびらしけ オビラシケ <釧路町>
〔近代〕大正14年頃~現在の行政字名。はじめ釧路村,昭和55年からは釧路町の行政字。もとは釧路村字別保の一部かと思われるが不明。地名はアイヌ語のオビラウシ(川尻に崖のあるところの意)に由来する。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.321 より引用)
はい。現地の「川の名の由来」看板にも「オ・ピラ・ウシ」説が書いてありました。確かに o-pira-us-i であれば「川尻・崖・ある・もの」と解釈することができますね。

ただ、ちょっと難癖をつけるなら、「ウシ」が「シケ」に化けるというのがやや引っかかるのです。そう考えると、あるいは o-pira-kes で「川尻・崖・末端」だったのが音韻転倒して「オビラシケ」になった、なんて可能性も考えられそうな気がします。pira-kes であれば「平岸」と同じということになりますね。

あるいは、更に考えを膨らませてみると、そのまま o-piraske(-pet) で「川尻・広がる(・川)」とも考えられるかも知れません。piraske とは滅多に聞かない単語ですが、現地の地形を見ると別保川に合流するところだけ妙に開けているのですね。どの解も実際の地形とマッチしそうな感じがしていますが、あくまで試案の一つということで……。

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2015年6月26日金曜日

道東の旅 2013/春 (202) 「釧路町の意外な地名」

釧路の地名も複雑怪奇

国道 391 号で弟子屈に向かいます。……この書き出しが何日か続いているような気がしますが、時既に遅しでしょうか。
このあたりでは JR 釧網本線と並走しています。釧網本線の次の駅は「遠矢」なのですが、遠矢駅のあるあたりも「釧路郡釧路町」なのですね。釧路町といえば「浦雲泊」や「入境学」「重蘭窮」といったアイヌ語由来の難読地名の宝庫として有名ですが、遠矢駅の近くではこんな地名を見かけました。
うーむ……(汗)。釧路町の地名情勢も複雑怪奇ですね……。

注意! 注意! 注意!

まさかの「わらび」に度肝を抜かれていると、今度は「鳥里」という地名がありました。同じ釧路町でも、この辺は和名が多いのですね。
国道 391 号は遠矢駅の手前で釧網本線をオーバークロスします。
そして、ここで Bojan さんはある重大なことに気づいたのでした。そう、こちらです。
そう、ここの制限速度は 40 km/h だったのですね。集落の中を通る道路は慣例として 40 km/h 制限になることが多いのですが、ここもそうなのでした。そして、オーバークロスの後は当然下り坂になるわけです。もちろんピンと来ました! ここはヤバい、と……。

とりあえず、坂を下りて遠矢の駅前を過ぎた所に、ちょこんと腰掛けている人がいました。ただ、白と黒のツートンカラーの車は見かけなかったので、単なる警備員の人だったのかも知れません。真相は藪の中ですね。

謎の「鳥」推し

「わらび」そして「鳥里」と、釧路町にしては実に読みやすい地名が続いて驚いていたのですが、今度はなんと……
「鳥通」と書いて「とりとおし」?と読むみたいです。トリドールだったら面白かったのに……。やたらと「鳥」推しなのはタンチョウヅルにあやかったのか、あるいは「釧路市鳥取」に縁があるのか、さてどっちでしょうね。

釧路町と言えば

釧路町達古武(たっこぶ)にやってきました。由緒正しいアイヌ語地名に戻ってきましたね(笑)。
JR 釧網本線は釧路川沿いに達古武湖を目指しますが、国道 391 号は峠でショートカットして達古武湖に向かいます。前の車が譲ってくれたようなので、先に行かせてもらいましょうか。

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2015年6月25日木曜日

道東の旅 2013/春 (201) 「『天寧』と書いて『てんねる』と読む」

弟子屈へ

国道 44 号と国道 391 号の交差点にやってきました。左折して、国道 391 号で弟子屈に向かいます。
国道 391 号と言うと、本州での 400 番台の国道に相当する筈なのですが、さすがは北海道、ものすごく立派な 3 車線道路です。
まぁ、程なく片側 1 車線に戻るのですけどね。ただ、少なくとも片側 2 車線化の工事は進んでいるようにも見えます。
前方に、釧路外環状道路の橋が見えてきました。「釧路外環状道路」は現在まだ工事中なのですが、将来的には北海道横断自動車道や釧路中標津道路と繋がるみたいですね。
というわけで、段々と道幅が狭くなってきたのですが……気にせず北に向かいましょう。

「天寧」と書いて「てんねる」と読む

変わった名前の橋を見かけました。「天寧」と書いて「てんねる」と読むのだそうです。天寧と言えば、確か択捉島に「天寧飛行場」という空港がありましたが……そう言えば、千島の「天寧」はどう読むのでしょうね。

安全運転を心がけましょう

(写真では見えませんが)右側の釧網本線と並走します。片側 1 車線道路になったので、どうしてもトラックの後ろに車列ができてしまいますね。
JR と並走するまっすぐな道が続きます。
地図だとこの辺りですね。制限速度をきちんと守って安全運転を心がけましょう。

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2015年6月24日水曜日

道東の旅 2013/春 (200) 「強烈!下部洗浄」

北海道(道東)の旅 2013/春」も、だらだらと続けること一年以上(途中で長めのお休みを頂きましたが)、ついに記念すべき「第200回」を迎えてしまいました。……もうちょいテンポ良く進めないといけないよなぁと反省するばかりなのですが、まぁ、しょうがないです(何がだ)。

穴があったら潜りたい

というわけで、しれっと本文に戻ります。釧路から弟子屈に向かっていたのでしたね。
国道 44 号に入りました。昨日の記事に引き続き、またトンネルのようなものが見えていますが、これはトンネルではなくて JR のアンダーパスでした。

雄別鉄道の跡?

国道 44 号(釧路環状通)は、緩やかに左にカーブしながら北に向かいます。実はこのまま真っすぐ行けば「雄鉄線通」なのですが、ここも雄鉄(雄別鉄道)の跡なんでしょうかね?
国道 44 号は、次の交差点を右折です。
国道 44 号と「雄鉄線通」が別れるのが「愛国東1」の交差点です。「愛国」と言えば帯広近郊の「愛国」が有名ですが、釧路にもあったんですね。

有名店が目白押し

「桂木4」交差点から「曙1」のあたりまでは、名の知れたチェーン店が軒を連ねています。これもどことなく音更(帯広近郊)のあたりと雰囲気が似てますね。

給油してくれるセルフ!

さて、「曙1」の交差点の手前で、こんなガソリンスタンドを見かけました。
いろいろと突っ込みどころ満載なのですが、まずはこちらから。
「給油してくれるセルフ!!」の文字が光ります。……それって「セルフ」じゃ無いよね。と突っ込みたくもなるわけですが、それ以上に
「きょうれつ!」とルビが振ってあります(笑)。「体験すると やめられない!」って、一体どんな下部洗浄なんでしょうか。

まぁ、冬場は塩カル除去でお役立ちなんでしょうけどね。

熱原釧路さん

そんなツッコミどころ満載のこちらのガソリンスタンドさん、経営会社名は「熱原釧路」と言うのだそうです。……どういう由来なんでしょうね。

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2015年6月23日火曜日

道東の旅 2013/春 (199) 「材木山の手トンネル」

しゅんこだいマイナス 1

釧路市立博物館を出発して、ここからは北上して弟子屈に向かいます。博物館の前の「鶴ヶ岱 2-2」交差点で信号が青になるのを待っていたのですが……
ふと、左を向くと、そこは「春湖台-1」交差点でした。「しゅんこだいマイナス 1」ですね(違います)。
まぁ、一つの交差点に複数の名前がついている(厳密に言えばそうじゃないんですけどね)のは道内各所に見られる現象ですが、釧路も結構多いですよねぇ。

仏舎利塔

鶴ケ岱から北に向かいます。鶴ヶ岱 3 丁目の交差点を直進すると、左手に聾学校が見えてきました。この辺は本当に学校が多いですね。釧路一の文教地区なんでしょうか。
城山 2 丁目の交差点を左折すると、前方に何やら仏塔のようなものが見えてきました。
ちょうど信号待ちに引っかかったので、少し寄ってもう一枚。この仏塔のような建物は、実際に「日本山妙法寺」の仏舎利塔だとのこと。ただ本当に「仏舎利」が収められているわけでは無いそうです。観光地ではなくて現役の宗教施設なので知名度は高くないようですが、見た目のインパクトは凄いですよね。

天井川のような?

仏塔の手前の交差点を右折すると……前方に謎めいたトンネルが見えてきました。
ぱっと見た感じでは「天井川?」と思ったのですが、そういうわけでも無くて、単なる丘の鞍部のようです。そう言えばこの辺の地名は「城山」だったり「緑ケ岡」だったりと、小高い丘を暗示させる地名が続いていますね。古くはアイヌのチャシ(砦)もあったようです。

材木山の手トンネル

国道 44 号に向かいたいので左折したところ……
またトンネルでした。この丘?はさっき前方に見えていたものの続きのようです。ただ、あまりに上のほうが平らに見えるので、多少は人の手で整地されたものかも知れませんね。

それはそうと、このトンネル……
「材木山の手トンネル」と言うのだとか。山手トンネルもびっくりのネーミングですね(笑)。トンネルを抜けた先が「材木町」なので、材木町と「山の手」を結ぶトンネルという意味なのでしょうか。

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