(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
当幌川(とうほろ──)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
ということで、まず永田地名解を見てみましょう。
To horo トー ホロ 沼川ん……? 確かに to は「沼」ですけど、horo に「川」なんて意味があったですかね……? まだ続きがありまして、
アイヌ云フ「ホロ」ハ川ノ義
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.374 より引用)
ええっ!? まーたテキトーなことを言ってるんじゃ……と思いながら松浦武四郎の「東蝦夷日誌」を見てみると……トホロ〔十幌〕(川幅十餘間、遅流)名義は沼川と云、此川上に沼多き故に號る。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.342 より引用)
おや? ここでも「沼川」になっていますね。これはどうしたことか……と山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみたところ、共に当時のアイヌからの聞き書きらしい。ホロ(horo)は道東部では「川」の意だったようである。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.234 より引用)
ええっ!?(再掲) ホンマでっか!?にわかには信じがたいのですが、poro に川の意味があった……と考えるよりは、元々は to-poro-pet で、後に -pet が下略されて to-poro と呼ばれるようになった……あたりでは無いでしょうか? ということで、to-poro(-pet) で「沼(のように)・大きな(・川)」ではないかなぁ、と。
……あ、「北海道駅名の起源」に別解がありましたので紹介しておきますね。
当 幌(とうほろ)
所在地 (根室国)標津郡中標津町
開 駅 昭和12年10月30日 (客)
起 源 アイヌ語の「ト・オロ・ペッ」(沼の所の川) によったもので、野付半島の根もとに出ている川を指している。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.168 より引用)
ほっほー。to-oro-pet で「沼・の中・川」ですか。これは知里さんの解でしょうか。釧路の「塘路」と同じ解なのですが、なかなか興味深いですね。春別川(しゅんべつ──)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
当幌川の南側を平流する川の名前です。別海町には「中春別」「上春別」という地名もあります。中春別には国鉄標津線の「春別駅」もありました。というわけで、今回は「北海道駅名の起源」から。
春 別(しゅんべつ)
所在地 (根室国)野付郡別海町
開 駅 昭和 9 年10月 1 日
起 源 アイヌ語の「シュム・ペッ」(西の川)、すなわち春別川から出たものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.170 より引用)
「しゅんべつ」と聞いて真っ先に浮かぶ解がこの「西の川」なのでしょうね。実際、道内各所で見られる地名です。では続いて、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」から。
春別(しゅんべつ)
標津線の駅名。近くを流れる春別川の名から出たもので、シュム・ぺッは西の川の意と云われているが、油川かとも思われる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.276-277 より引用)
おっ、新しい説が出ましたね。そう、実は sum にはいくつか意味があって、伝承でも無いとどの意味で使われているか良くわからない場合があるのです。続きを見てみましょう。
西の川と言わなければならない理由がないからである。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.276-277 より引用)
おー、相変わらずロックな感じですねぇ(笑)。では、次は山田秀三さんの「北海道の地名」から。
日高の処々にある春別川はシュム・ペッ(西・川)だが,別海のこの川は地形上西川とは考えられない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.235 より引用)
おっ、図らずも更科さんと同意見のようですね。松浦氏東蝦夷日誌は「名義,油川と云儀也。昔し鯨を取,油を絞りしが故に此名有と」と書いたのは土地での聞き書きであろう。土地がら鱒の油だったかもしれない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.235 より引用)
なるほど。更科さんが「油川かと思われる」の一文で済ました部分が、より具体的になっていますね。では、今度は永田地名解を見てみます。
Shum pet シュㇺ ペッ 溺死川
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.374 より引用)
うわっ(汗)。これはまた飛ばしてますねー。「エシユムペツ」ノ略言ナリト云フ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.374 より引用)
むむっ……そうですか。確かに sum には「溺死する」という意味もあるようですから、e-sum-pet であれば「そこで・溺死する・川」と言えなくもありません。というわけで、この「春別」は sum-pet である可能性が高そうなのですが、意味が今ひとつ判然としません。「西・川」説は「違うんじゃないか」という意見が多いようですが、「油・川」説、あるいは「溺死する・川」説が考えられる……といった感じでしょうか。
西別川(にしべつ──)
(典拠あり、類型あり)
別海町には西から東に流れて直接海に注ぐ川が多いのですが、当幌川、春別川、床丹川、そして第四弾が「西別川」です。以前は国鉄標津線に「西別駅」という駅がありましたが、1976 年に「別海駅」に改称されています(その後路線廃止)。「床丹川」については、北海道のアイヌ語地名 (80) 「野付・尾岱沼・床丹」をご覧ください。
「当幌」と「春別」では相当ゴタゴタしてしまったので、「西別」はささっと締めたいものですよね。ということで今回は山田秀三さんの「北海道の地名」から!
西別 にしべつ
西別川は流長77キロ,標津川と並ぶ大川である。川水が清澄で,この川の鮭の味は北海道第一と称せられて来た。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.236 より引用)
ほっほー。地名とはあまり関係ないことが多いのですが、こういう「一口メモ」的な記述が結構好きなものでして。つい引用してしまいました(汗)。上原熊次郎地名考は「ニシベツ。夷語ヌーウシベツの略語なり。則潤沢なる川と訳す。此川鱒鮭その外雑魚潤沢なる故地名になすといふ。当場所は秋味第一の場所なり」と書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.236 より引用)
ふむふむ。nu-us-pet で「豊漁・いつもする・川」なのですね。そして「当場所は秋味第一の場所なり」ですか……。よっぽど旨い鮭が穫れるところなんですね。ただ、別海……じゃなくて別解もありまして。松浦武四郎「東蝦夷日誌」には次のようにあります。
名義、ニシベツはヌウシベツの轉にして、川上に湯の如き温き水噴出す、故に號る也。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.339 より引用)
ふむ、nu-us-pet には違いないのですが、nu を「温泉」である、としていますね。確かに道東では温泉のことを nu と表現する場合があったようなので、この解も間違いであるとは言えません。ただ、その前に次のような一文もありました。
是當地第一の鮭場所にて、幕府獻上も此川にて取、腹に笹を入れて鹽藏す。
(松浦武四郎・著、吉田常吉・編「新版 蝦夷日誌(上)」時事通信社 p.338-339 より引用)
……よっぽど旨い鮭が穫れるところなんですねぇ(再掲)。ちなみに「鹽藏」は新字体で書くと「塩蔵」ですから、塩漬けにして江戸まで運んだということなんでしょうか。「東蝦夷日誌」の「温泉」説も明確に否定はできないですが、とても良い鮭の漁場だったことは疑いようも無さそうですから、nu-us-pet で「豊漁・いつもする・川」だったと見ておきたいですね。
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