2015年5月31日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (254) 「シュラ川・ウラップ川・イロンネベツ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

シュラ川

siwri??
シウリザクラ
(?? = 典拠なし、類型あり)
標津川の支流に「武佐川」という川があるのですが、「シュラ川」はその更に支流にあたります。割と珍しい部類の川名なのですが、「東西蝦夷山川地理取調図」にも「シユラ」と記されているで、そういう意味では由緒正しい?川名と言えそうです。

この「シュラ川」、永田地名解にも記載がありました。

Shura pet  シュラ ペッ  機檻川
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.380 より引用)
ただ、いくつか辞書などを調べてみても、「シュラ」という単語が見当たらないのです。永田方正は子音の s を「シュ」と綴る悪癖の持ち主でしたが、「東西蝦夷山川地理取調図」にも「シユラ」とあるので、この「シュラ」はそのまま「シュラ」だったと考えるべきなのでしょう。

辞書を眺めていたところ、あることに気づきました。

シューリ(シウリ)【siwri】
 シウリザクラ〔植〕.
 *縦にきれいに割れる木なので舟の櫂やマレㇷ゚(魚獲りのかぎ)の柄に使った.この木の名は日本語と同じ.
(萱野茂「萱野茂のアイヌ語辞典」三省堂 p.272 より引用)
あっ、これはもしかして……! 元々は siwri-an-pet あたりで「シウリザクラ・ある・川」だったのではないでしょうか。永田方正が当地を調査した時に「『シュラ』とは何だ?」「(シウリザクラの木で作った檻を指さしながら)これの(元になった)木のことだ」「ふむ、この檻のことを『シュラ』と言うのだな」といったやり取りがあったのではないか……と。

ウラップ川

ut-rap(-to)???
肋・落ちる(・沼)
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
武佐川の支流の一つで、武佐川の支流の中でもこの「ウラップ川」と「クテクンベツ川」はかなり長い部類に入ります。

さて、この「ウラップ川」ですが、永田地名解には次のように記されています。

Ut rattu  ウッ ラット゚  肋肉
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.380 より引用)
これまた地名としてはアレな解が記されていますが、補足もありました。

熊ヲ取リテ肋肉ヲ掛ケタル處ナリト云フ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.380 より引用)
これまたいかにも取ってつけたようなストーリーが展開されていますね(笑)。

さて、時代を少々遡ってみましょう。松浦武四郎の「戊午日誌」には次のように記されていました。

扨是より今少し陸を見物せんと鹿道をたどり上るに
     ウツラフト
右の方小川。然し急流にて源遠しと云。其水もとはシヤリ、子モロの境目なる、テクンベヤウノホリより来るとかや。其地名往古鹿をとりて脇腹の骨を投しと云処也。此処にも往昔人家有りしと。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.622 より引用)
あれ……ここでも取ってつけたようなストーリーが……。さっきは「熊」でしたが、ここでは「鹿」になっています。いかに年寄りの法螺話がだんだん大風呂敷を拡げていくのかが良くわかりますね(そういう問題ではない)。

でも、これでなんとなく雰囲気がつかめてきました。元々はウラップ川の河口部(武佐川と合流するあたり)に池があって、それが ut-rap-to と呼ばれていたのではないか……と。ut-rap-to で「肋・落ちる・沼」と解釈できます。

この場合の「肋」は ut-nayut-pet で見られるように、流れに対して直角に近い角度で流れ込む何か(今回だと「沼」ですね)を指す比喩表現なのでしょうね。また、元々 ut-rap-pet という川があり、その河口部が ut-rap-to と呼ばれたのではないかな……と思います。

イロンネベツ川

ironne-pet
茂る・川
(典拠あり、類型あり)
中標津町北部、武佐のあたりで武佐川と合流する支流の名前です。武佐川の支流としては「ウラップ川」「クテクンベツ川」に次ぐ規模でしょうか。

では、今回は山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみましょう。

イロンネペツ川
 武佐川下流に入る北支流(流長15キロ)の名。永田地名解は「イロンネ・ペッ ironne-pet(草深き川)。イロンネは厚きと云ふ詞なれども,此川岸に草深くあるを以て名く」と書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.233 より引用)
ふーむ。ironne とは聞き慣れない言葉ですが、確かに「茂る」と言う意味があるみたいです(他には「(森などが)深い」や「(煙やもやなどが)濃い」と言った意味があるのだとか。なんとなくわかる気がしますね)。

というわけで、ironne-pet は「茂る・川」と考えられそうです。何が茂っていたのかは、永田方正の記した通り「草」なんでしょうね。

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2015年5月30日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (253) 「ウイーヌプリ・遠音別岳・海別岳」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

ウイーヌプリ

uhuy-nupuri
燃えている・山
(典拠あり、類型あり)
山々が連なる知床連峰の最北端に位置する山の名前です。「なんだろうこれは?」となったのですが、松浦武四郎の「戊午日誌」にヒントがありました。

此辺まで岸の上少しヅヽ平地有れども、是より先は皆崖に成りて平地なく、其上を
     ウイノホリ
と云。是則遠方より見てシレトコノホリと云ものなり。山皆雑木也。東に当る処、峨々たる岩一ツ聳え立たり。本名ヲフイ岳のよし。判官様軍勢をよせるしらせの為に火をつけて焼玉ひしと云也。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.46 より引用)
ふむふむ、なるほど。uhuy-nupuri なのですね。これを素直に解釈すると「燃えている・山」、即ち「火山」という意味になります。知床には今でもあちこちに温泉が湧いていますが、過去に火山活動が今よりも盛んな時期があって、その時の記憶が地名に込められているということでしょうか。

uhuy と言えば、増毛と浜益の間に「雄冬岬」という難所がありますが、雄冬岬の場合は「火山」ではなく、赤い岩が燃えているように見えるから uhuy なのだ、という説があったかと思います。ウイーヌプリの北側に「アカイワ川」あるいは「赤岩」という地名が見られるので、あるいはウイーヌプリも「赤岩が露わになっていた山」だったのかも知れません。さて、どちらが正解なんでしょうね……?

遠音別岳(おんねべつ──)

onne-pet
長じた・川
(典拠あり、類型あり)
羅臼町の春刈古丹川を遡っていったところに聳えている、標高 1,330.4 m の山の名前です。

この山の名前自体は斜里側の「オンネベツ(川)」に由来するのだと思います。onne-pet は「長じた・川」でしょうか。確かにこのあたりの川の中では大きいほうです。

山田秀三さんは「北海道の地名」で次のように記しています。

遠音別 おんねべつ
 遠音別川はこの辺では大きい川である。まあまあオンネ・ペッ(大きい・川)と解したい。ただしオンネは元来は「老いたる」の意。知里さんは地名ではポロとともに「親」と訳して来た。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.222 より引用)
そうですねー。「老いたる川」だと「涸れ川?」と誤解されそうな気もしますし、かと言って「大きい川」かと言うと、必ずしもそうではない場合もあるので、onne のニュアンスを訳出するのはなかなか難しいですよね。

海別岳(うなべつ──)

una(-o)-pet?
灰(・の入った)・川
(? = 典拠あり、類型未確認)
羅臼町と標津町の境界は植別川に沿っているのですが、その植別川を遡ったところに聳えているのが標高 1419.3 m の「海別岳」です。海別川も斜里側の地名なのですが、これは偶々と言いますか、羅臼側の地名に由来する山名は今更取り上げるまでも無いという事情によるものでして……(汗)。

というわけで海別岳です(キリッ)。永田地名解には、「海別」の解として次のように記してあります。

Una pet  ウナ ペッ  灰川 古へ噴火セシトキ全川灰ヲ以テ埋メタリシガ今ハ灰ナシ
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.488 より引用)
ふむふむ。また過去の火山活動を想起させる解が出てきましたね。「──今ハ灰ナシ」のくだりは知里さんが「──予め証拠を隠滅しておくのである」と書いていた手法そのままなのが笑えます。

なお、知里さんの「斜里郡内アイヌ語地名解」には次のようにあります。

 ウナペッ 海別川。「ウナ・ペッ」(una-pet 灰・川)。昔噴火した時全川灰で埋つたという。「ウナ・オ・ペッ」(una-o-pet 灰の・入つた・川)とも云う。
(知里真志保「知里真志保著作集 3『斜里郡内アイヌ語地名解』」平凡社 p.260 より引用)
あららら(笑)。これは偶然の一致と言えるレベルでは無さそうですね。知里さんはここでは永田地名解をそのまま引用しているようです。

というわけで、「海別」は una(-o)-pet で「灰(・の入った)・川」と解釈しておくのが良さそうですね。

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2015年5月29日金曜日

Bojan のホテル探訪~「釧路全日空ホテル」編(後編)

というわけで、後編はいつもの通りに「水周り編」です。

ややゆったりサイズのユニットバス

バス・トイレは極めて一般的なユニットタイプのものです。まぁ、シングルですからこんなものでしょうか。
ただ、バスタブのサイズはこの手のユニットバスにしては頑張っているほうでしょうか。比較的ゆったりできるサイズだと思います。
混合水栓もサーモスタットタイプなので、湯温と湯量が自由自在に調節できます。これは嬉しいですね。
シャンプーとリンスは壁掛けのプッシュタイプのものです。個人的にはあまり嬉しくないのですが、この辺は好みが分かれるかもしれません(まぁ、少なくとも一回用の袋入りよりは良いですよね)。

狭いスペースをうまく使う

トイレは TOTO のウォシュレットです。これもごくごく一般的なタイプのものですね。
トイレットペーパーホルダーは 2 つ同時にセットできるタイプのものです。「環境に優しいホテルへ」なんて文字が並んでいますが、要するに「ちゃんと使い切ってくださいね」という意味ですね。
ちょうど洗面台の下にトイレットペーパーホルダーとゴミ箱が隠れています。これは良くできていますね。狭いスペースをうまく使っています。
アメニティグッズもごくごく一般的なものが揃えられています。

エアコンのスイッチも今風のもの

なお、エアコンのスイッチもホテルで良く見るタイプのものです。冷房と暖房を選ぶことはできませんが、室温調整と風量は自由に調節することができます。

Rating

実はこの夜の丑三つ時のこと。突然けたたましくブザーが鳴り響いたとともに「火災が発生しました」というアナウンスが。他のお客さんも「なんだなんだぁ?」とばかりに眠い目をこすって部屋のドアを開けて外の様子を伺ったりしていたのですが、やはり……と言うべきか、火災報知機の誤作動だったようです。

もしかしたら、ユニットバスのドアを開けっ放しにして一風呂浴びた人がいたのかもしれませんね。さすがにちょっと勘弁してくれよ……と思ったものでしたが、今となっては笑い話の一コマでもあります。

余談が過ぎましたが、Rating でしたね。「★★★★・」(四つ星)でいかがでしょうか。シングルでも狭さを感じさせない造りになっていたのが良かったなぁ……というところと、あとはロビーなどの落ち着いた佇まいがなかなか良い感じだったかな、と思います。今度はツインかダブルのシングルユースにもトライしてみたいですね。

昨日の記事でもちらっと触れましたが、釧路はホテルが供給過多になっている印象があるので、時と場合によっては割とリーズナブルなお値段で宿泊できることもあります。道東の朝は早いので、是非釧路で一泊を!

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2015年5月28日木曜日

Bojan のホテル探訪~「釧路全日空ホテル」編(前編)

はい。この日のお宿は「釧路全日空ホテル」でした。地下の駐車場に車を停めて、フロントでチェックインして。チェックインが済むと「お部屋までご案内します」とのこと。これは嬉しいですよね。

改めて考えてみると、全日空ホテルでは珍しいですよね。ホテル日航だと割とふつーに部屋まで案内してもらえるのですが……。

あかんがな(笑)

というわけで、「お部屋はこちらでございます」と案内してもらったのですが、何故か何度試してもドアが開きません。係のお兄さんの頭上に「?」の文字が幾重にも連なって見えてきました。

苦闘すること数分、結局お兄さんは自力解決を断念し、「しばらくお待ちいただけますか」との言葉を残してフロントに帰ってしまいました。数分後に戻ってきたお兄さんがカードを通すと、今度はすんなり開くではありませんか。

「カードキーを間違えていたようです……」

それはあかん(笑)。

デラックスシングルルーム

さて、そんなこんなで少々待たされた後に案内された部屋がこちら。
「デラックスシングルルーム」という部屋なんですが、なかなか小綺麗な感じです。お値段もゴールデンウィークの割には結構リーズナブルでして……。釧路はホテルが過当競争になっているなんて話も耳にしますが、改めてそうなのだなぁと実感させます。

シングルのベッドはかなり大きめのものです。
窓側のデスクもかなり大きなものです。

ミニバーも

デスクの下には冷蔵庫があって……
冷蔵庫の中には飲み物が。ミニバーですね。
お値段は「ミニバー価格」なのですが、何もないよりは嬉しいですよね。いや、コンビニまで買いに行ったほうが 200 円近く安く上がるのも確かなのですが(汗)。

空気清浄機+加湿器

ベッドの脇には空気清浄機もありました。最近は多いですよねぇ。
ちなみにこの空気清浄機、どうやら「加湿器」としても機能するみたいです。

このお部屋は私が清掃いたしました

枕の横には各種スイッチ類と電話機、そしてデジタル時計が。引き出しの下はセキュリティボックスだったでしょうか。ちゃんとした台があるのは嬉しいですよね(部屋が狭いと電話の台も置けないことがありますからね)。
ちなみに、時計の前に見えるカードには「ようこそ釧路全日空ホテルへ」「このお部屋は私が清掃いたしました。どうぞごゆっくりとお過ごし下さい。」と書かれていました(ルームメイドの方のお名前入り)。これ、実際に部屋を掃除する人にはちょっとしたプレッシャーですよね。

無線 LAN

もちろん部屋の中でも無線 LAN も使えます。

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2015年5月27日水曜日

道東の旅 2013/春 (182) 「釧路に到着」

ちょいとショートカット

釧路川の手前までやって来ました。国道 44 号はこのまままっすぐ川を渡ってから、貯木場のあたりをぐるっと大回りして幣舞橋に向かうのですが、これは明らかに遠回りなので、ここで左折して市役所のほうを目指します。
かつて「釧路臨港鉄道」の材木町駅があったあたりを通り過ぎ、旭橋を渡って国道 44 号に再合流です。

北大通 5

「北大通 5」の交差点にやってきました。ここを左折すれば幣舞橋です。
いつものお約束ですが、決して北大があるわけでは無いので、もちろん「ほくだいどおり」ではありません。

Day 4 ゴールイン!

北大通 5 交差点から数分で、ホテルの地下駐車場に到着しました。
おや? 何やらカーナビに表示されていますね……。どうやら、60~70 km/h くらいをキープした運転を続けると「エコステータス」なるものが上がるのだそうです(あるいは急加速・急停止を少なくすればいいのかも知れません)。
Day 2 に足寄のホクレンで給油してから 852.0 km を走りましたが、そろそろ補給が必要な感じでしょうか。
Day 4 の走行距離は 378.8 km でした。ここまでの総走行距離は 1,424 km です。
では、フロントに向かいましょう。

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2015年5月26日火曜日

道東の旅 2013/春 (181) 「原野をゆく」

一難去って……

国道 272 号で釧路に向かいます。標茶町の北片無去(きたかたむさり)や阿歴内(あれきない)というなんともユニークな地名を通り過ぎていたのですが……
実は、軽く一雨あった後でした。来るか、来るかな……と思っていたのですが、ついに来ちゃいましたね。

原野をゆく

とても緩やかな峠を越えると、ついに釧路町に突入です。
前方に国道 44 号が見えてきました。釧路市へは右折ですね。
国道 272 号は、上春別や中茶安別という例外を除けば、ほぼ原野の中を縫って走る道路だったのですが、なんと国道 44 号との交点まで……
「別保原野」でした(汗)。これでもあと 2 km ほど走れば別保の集落(釧路町役場もある)があるんですけどね……。

オビラシケ

国道 44 号に入りました。釧路市までは約 13 km と出ていますね。……あまりの逆光なので、補正も諦めました(笑)。
別保集落の手前までやって来ました。右折すると「オビラシケ」に行けるみたいです。どんな意味なんでしょうね……。
などと思っていると、今度は「オビラシケ川」を渡ることに。意味も書いてありますが……うーん、そう来たか(笑)。(詳細は後日!)

あともう少し!

懐かしの、釧路の市街地が近づいてきました。
前方は曇り空でしたが、海のほうはいい感じの青空が広がっていました。

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2015年5月25日月曜日

道東の旅 2013/春 (180) 「あらこんなところに」

おそろしく快適な国道 272 号

おそろしく快適な国道 272 号で釧路に向かいます。
それにしても……ため息が出そうなくらいのいい道ですよね。

ここから厚岸町

別海町を抜けて、ここからは厚岸町です。ただ、厚岸町ですが、国道 272 号から厚岸駅のほうに出ることはできません(必ず別の町を経由しないといけない)。
厚岸町に入ると、急にカーブが多くなります。ただ、交差する道路が事実上無いに等しいので、スピードを落とすこと無く快適なドライブが楽しめます。あっ、これはスクールバスですね。
フッポウシ左二俣川にかかる「西フッポウシ橋」です。気になる意味は……また後日に。ちなみに国道の右側は陸上自衛隊の矢臼別演習場だそうです。

そしてここから標茶町

別寒辺牛(べかんべうし)川にかかる「別寒橋」を渡ると標茶町に入ります。随分と釧路に近づいた印象がありますね。
標茶町のカントリーサインですが、標茶町営牧場の中にある「多和平展望台」がモチーフになっているようです。中標津の開陽台と似たような感じなのでしょうか。

湿原のオアシス?

標茶町に入って 10 分ほどで、中茶安別(なかちゃんべつ)に到着です。
上春別(別海町)を抜けてから、久しぶりの「集落」にやってきた感じがします。中茶安別は地形図では「中チャンベツ」と書かれるのですが、実はこんなところでして……

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
まるで湿原の中のオアシスのような立地ですよね。いきなり信号があってセイコマまであるのですから。

あらこんなところにパトカーが

そして、チャンベツを抜けて阿歴内に向かっていたところ……
おわっと! 変な所にパトカーが隠れてました。これだけ真っ直ぐな道ですからねぇ。ついスピード違反してしまう車も少なくないのでしょう。

改めて思い起こしてみると、中茶安別に近づいたあたりで対向車が二台ほどパッシングしてくれていたのですよね。一台であればともかく、二台続けてとなると「何かあるな」と考えを巡らせることもできるわけで、親切心に感謝ですね。

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2015年5月24日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (252) 「モイレウシ川・ペキンノ鼻・滝ノ下」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

モイレウシ川

moyre-us
静かである・入り江

(典拠あり、類型あり)
羅臼町化石浜から北に 2 km ほど進んだところで海に注ぐ川の名前です。河口のあたりは砂浜になっていて、砂浜の北端には 4~5 軒ほどの番屋が見られます。砂浜の南北に岩が聳えていて、砂浜である以外は「天然の良港」の条件を兼ね備えた地形ですね。

では、今回は久々に山田秀三さんの「北海道の地名」から。

モイレウシ
 ペキンノ鼻から約2キロ南,両側を大岩岬で囲まれた入江で,モイレウシ川(モイレウシナイ)が注いでいる。モエレウシとも,モイルスのようにも訛って呼ばれる。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.227 より引用)
おや、このあたりは -pet が多い土地柄かと思ったのですが、ここは -nay でしたか。ここはどうやら moyre-us で「静かである・入江」と考えて良さそうですね。

ちなみに、このあたり一帯の地名もかつては「モイレウシ」でしたが、昭和 36 年に「船泊」に改称されています。うん、割とそのまんまですね。

ペキンノ鼻

peken-not
明るい・岬

(典拠あり、類型あり)
モイレウシ川から 1.5 km ほど北に進んだところで海に注ぐ「ペキン川」という川があり、その河口から 0.5 km ほど北に「ペキンノ鼻」という岩岬があります。

今回は「羅臼町史」を見てましょう。

○ペキンノ鼻
 船泊、滝ノ下の境になっている岬。夷名ヘケレノツで「明き岬」との意味。
(羅臼町史編纂委員会・編「羅臼町史」p.60 より引用)
ちなみに、松浦武四郎の「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌」にも次のようにあります。

     ヘケレノツ
此処一ツのまた岬になり、此山樹木なくして明るきによつて号る也。ヘケレは明るき、ノツとは岬に成る事也。此辺岩皆横すじ有。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.28 より引用)
ふむふむ。「羅臼町史」の解は松浦武四郎の解に由来するようですね。

ところが、永田地名解には次のように記されていました。

Pereke not  ペレケ ノッ  破岬
永田方正北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.387 より引用)
一見すると同じに見えるのですが、実は pekerperke でびみょうに違うのです。永田地名解にはご丁寧にこんな注釈までありました。

松浦日誌「ペケレノッ」ニ作リ明ルキ岬トアルハ誤ナリ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.387 より引用)
さて、このように pekerperke で解釈が揺れている「ペキンノ鼻」ですが、山田秀三さんは次のように記していました。

現在の名はペケレ・ノッ(明るい,木が生えていない・岬)の方の名残りらしい。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.227 より引用)
やはりそうなりますか。まだ続きがありまして……

peker-not の r が次の音の n にひきつけられて n に転音するのはアイヌ語のくせである。それが訛って今のペキンノとなり,更に岬の意味の鼻がつけられたものらしい。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.227 より引用)
あっ、なるほど! peker-not が音韻変化で peken-not になったということですね。意味をおさらいしておくと「明るい・岬」となりますね。

ちなみにこの「ペキンノ鼻」は、あの「ひかりごけ事件」の舞台となった場所です。

滝ノ下(たきのした)

uka-kor-us???
石が重なり合っている・持つ・入江

(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
「ペキンノ鼻」から(直線距離で)3 km ほど北にある地名です。集落の南側には「滝川」が流れ、北側には「メオトタキ川」と「メオトタップ川」が流れています。「メオトタキ川」には「男滝」が、「メオトタップ川」には「女滝」があるようですね。

では、今回も「羅臼町史」から。

滝ノ下
○クチヤクロウス
 字名改正で滝ノ下(たきのした)と称す。夷名クチヤクリウスで「大な奇岩重たり」と訳す。
(羅臼町史編纂委員会・編「羅臼町史」p.60 より引用)
ふーむ。なんだか良くわからない解ですね。確かに「男滝」「女滝」の南北の海上にはいくつか岩礁があるようですが……。

ちょっと良くわからないので、「角川──」(略──)を見てみましょうか。

 たきのした 滝ノ下 <羅臼町>
〔近代〕昭和36年~現在の羅臼町の行政宇名。もとは羅臼村の一部,ヌイシャリウス・クチャコロウス。地内には夫婦滝(男滝・女滝)がある。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.832 より引用)
ふむふむ。ヌイシャリウスにクチャコロウスですか。なんとなくわかってきたような気がします。「ヌイシャリウス」は nu-ichani-us で「豊かな・その鮭鱒の産卵穴・ある」となるのでは無いでしょうか。

「クチャコロウス」は kucha-kor-us で「(常設の)小屋・持つ・いつもする」ではないかな、と思います(平取に「苦茶古留志山」という山があるのですが、それと同じかな、と)。

2020/8/14 追記
「クチャコロウス」ですが、「羅臼町史」の解に沿う形で考えてみた場合、uka-kor-us で「石が重なり合っている・持つ・入江」と読める……かもしれません。音韻転倒が前提ですので少々厳しいですが、それっぽく解釈できるようにも思えます。

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2015年5月23日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (251) 「カモイウンベ川・ウナキベツ川・化石浜」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

カモイウンベ川

kamuy-un-pet
神(熊)・いる・川

(典拠あり、類型あり)
車が通ることができる道道は相泊までですが、その先も海沿いに番屋が続きます。「崩浜」集落には川が二つ流れているのですが、南側を流れるのが「カモイウンベ川」です。

では、今回も「羅臼町史」を見てみます。

○カモイウンベ
 字名改正により崩浜(くずれはま)と称す。夷名カモイフンベで「鯱のいる処」と訳す。
(羅臼町史編纂委員会・編「羅臼町史」p.60 より引用)※ 引用部ママ
ふむふむ。kamuy-humpe で「神・鯨」(原文では「鯱」となっていますが)だと言うのですね。これだと地名としては少々妙なのですが、後に -o-i とか -o-p とか、あるいは -e-rok-i あたりが後ろについていたと考えれば不思議ではありません。

一方で、松浦武四郎の「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌」には次のようにあります。

     カモイヲベツ
相応の川也。急流。此川すじ熊多きより号るよし。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.27 より引用)
あ、これだと地名(川名)っぽい感じですね。ちなみに「東西蝦夷山川地理取調図」を見ると「ホンカモイヲヽヘツ」と「ホロカモイヲヽヘツ」の二川が併記されています。今は「カモイウンベ川」と「クズレハマ川」という名前なのですが、どちらかがどちらかなんでしょうね。

東西蝦夷山川地理取調図に間違いが無いと仮定すると、「ホンカモイヲヽヘツ」が現在の「カモイウンベ川」で、「ホロカモイヲヽヘツ」が「クズレハマ川」と言うことになります。

さて、「カモイヲベツ」あるいは「カモイヲヽヘツ」ですが、永田地名解は kamuy-o-pet で「熊ノ多キ處」としています。ただ、これだと y-o がリエゾンして「カモヨペッ」になりそうな気もするので、あるいは kamuy-e-rok-pet あたりだったのかな、と想像したりもします。これだと「神・そこに・座っている・川」となりそうです。

ちなみに、地形図に依ると現称は「カモイウンベ川」とのことなのですが、過去の記録と付きあわせてみると「フンベ」(鯨)に由来すると考えるよりは、kamuy-un-pet と考えたほうが自然な感じがします。つまり、「神・いる・川」ですね。この場合の kamuykim-un-kamuy で、「山にいる神」即ち「熊」を指すと考えられます。

ウナキベツ川

nuynak-pet???
隠れる・川

(??? = 典拠なし、類型未確認)
羅臼町崩浜から 3 km ほど北上すると「観音岩」と呼ばれる岩があり、その北側で「ウナキベツ川」が海に注いでいます。

「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌」には、次のようにあります。

     ウエナキ
本名はヌエナキのよし。上は二ツに成れども其水はリウエンシリと合して落るとかや。ヌイナイとはむかしアツケシの土人此処え来り櫂を掻に尻もちをつきしとかや。よって号るとかや。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 中」北海道出版企画センター p.28 より引用)
あー、どこかで聞いたような話が出てますね。ただ、これは地名説話に過ぎないので、「ウエナキ」あるいは「ヌエナキ」の意味と考えるにはちょっと無理があります。

あまり無い形の地名なので解釈にちょっぴり苦慮していたのですが、これは nuynak-pet だったんじゃないでしょうか。「隠れる・川」という意味なのですが、南から地形を眺めると、ウナキベツ川のあたりは観音岩に向かって伸びる尾根の裏側になってしまって全く見えなかったと考えられるのです。

規模は違えど、「知徒来川」と同じようなネーミングじゃないかなぁ、と……。

化石浜(かせきはま)

poro-moy
大きな・湾

(典拠あり、類型あり)
ウナキベツ川から 1.5 km ほど北上すると、羅臼町化石浜です。地形図を見ると番屋が数軒ある以外は何も無さそうなところです。

では、早速「羅臼町史」を見てみましょうか。

化石浜
○ホロモイ
 字名改正により化石浜(かせきはま)と称す。夷名で「大いなる湾」と訳す。
(羅臼町史編纂委員会・編「羅臼町史」p.60 より引用)
ふむふむ。poro-moy で「大きな・湾」と解釈できそうです。うわ、私の年収……じゃなくてあまりにそのまんまですね。

ちなみに、「化石浜」という、なんともユニークな和名の由来ですが、「角川──」(略──)によると次のとおりです。

 かせきはま 化石浜 <羅臼町>
〔近代〕昭和36年~ 現在の羅臼町の行政字名。もとは羅臼村の一部,ホロモイ。地名は貝や魚の化石が出るところがあることによる。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.361 より引用)
ということなのだそうです。うわ、私の……じゃなくてあまりにそのまんまですね(再掲)。

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