(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
シュラ川
(?? = 典拠なし、類型あり)
標津川の支流に「武佐川」という川があるのですが、「シュラ川」はその更に支流にあたります。割と珍しい部類の川名なのですが、「東西蝦夷山川地理取調図」にも「シユラ」と記されているで、そういう意味では由緒正しい?川名と言えそうです。この「シュラ川」、永田地名解にも記載がありました。
Shura pet シュラ ペッ 機檻川ただ、いくつか辞書などを調べてみても、「シュラ」という単語が見当たらないのです。永田方正は子音の s を「シュ」と綴る悪癖の持ち主でしたが、「東西蝦夷山川地理取調図」にも「シユラ」とあるので、この「シュラ」はそのまま「シュラ」だったと考えるべきなのでしょう。
辞書を眺めていたところ、あることに気づきました。
シューリ(シウリ)【siwri】
シウリザクラ〔植〕.
*縦にきれいに割れる木なので舟の櫂やマレㇷ゚(魚獲りのかぎ)の柄に使った.この木の名は日本語と同じ.
(萱野茂「萱野茂のアイヌ語辞典」三省堂 p.272 より引用)
あっ、これはもしかして……! 元々は siwri-an-pet あたりで「シウリザクラ・ある・川」だったのではないでしょうか。永田方正が当地を調査した時に「『シュラ』とは何だ?」「(シウリザクラの木で作った檻を指さしながら)これの(元になった)木のことだ」「ふむ、この檻のことを『シュラ』と言うのだな」といったやり取りがあったのではないか……と。ウラップ川
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
武佐川の支流の一つで、武佐川の支流の中でもこの「ウラップ川」と「クテクンベツ川」はかなり長い部類に入ります。さて、この「ウラップ川」ですが、永田地名解には次のように記されています。
Ut rattu ウッ ラット゚ 肋肉
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.380 より引用)
これまた地名としてはアレな解が記されていますが、補足もありました。熊ヲ取リテ肋肉ヲ掛ケタル處ナリト云フ
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.380 より引用)
これまたいかにも取ってつけたようなストーリーが展開されていますね(笑)。さて、時代を少々遡ってみましょう。松浦武四郎の「戊午日誌」には次のように記されていました。
扨是より今少し陸を見物せんと鹿道をたどり上るに
ウツラフト
右の方小川。然し急流にて源遠しと云。其水もとはシヤリ、子モロの境目なる、テクンベヤウノホリより来るとかや。其地名往古鹿をとりて脇腹の骨を投しと云処也。此処にも往昔人家有りしと。
(松浦武四郎・著 秋葉実・解読「戊午東西蝦夷山川地理取調日誌 上」北海道出版企画センター p.622 より引用)
あれ……ここでも取ってつけたようなストーリーが……。さっきは「熊」でしたが、ここでは「鹿」になっています。いかに年寄りの法螺話がだんだん大風呂敷を拡げていくのかが良くわかりますね(そういう問題ではない)。でも、これでなんとなく雰囲気がつかめてきました。元々はウラップ川の河口部(武佐川と合流するあたり)に池があって、それが ut-rap-to と呼ばれていたのではないか……と。ut-rap-to で「肋・落ちる・沼」と解釈できます。
この場合の「肋」は ut-nay や ut-pet で見られるように、流れに対して直角に近い角度で流れ込む何か(今回だと「沼」ですね)を指す比喩表現なのでしょうね。また、元々 ut-rap-pet という川があり、その河口部が ut-rap-to と呼ばれたのではないかな……と思います。
イロンネベツ川
(典拠あり、類型あり)
中標津町北部、武佐のあたりで武佐川と合流する支流の名前です。武佐川の支流としては「ウラップ川」「クテクンベツ川」に次ぐ規模でしょうか。では、今回は山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみましょう。
イロンネペツ川
武佐川下流に入る北支流(流長15キロ)の名。永田地名解は「イロンネ・ペッ ironne-pet(草深き川)。イロンネは厚きと云ふ詞なれども,此川岸に草深くあるを以て名く」と書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.233 より引用)
ふーむ。ironne とは聞き慣れない言葉ですが、確かに「茂る」と言う意味があるみたいです(他には「(森などが)深い」や「(煙やもやなどが)濃い」と言った意味があるのだとか。なんとなくわかる気がしますね)。というわけで、ironne-pet は「茂る・川」と考えられそうです。何が茂っていたのかは、永田方正の記した通り「草」なんでしょうね。
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