2015年5月12日火曜日

道東の旅 2013/春 (171) 「大草原のみゆきちゃん!?」

潤いは大切ですね

標津町歴史民俗資料館の話題を続けます。略せば「シベ超」になりますね(なりません)。まずは「懸念される標津湿原の乾燥化」というパネルから。
湿原が乾燥化している……という話なのですが、どうやら過去に湿原を牧草地に変えようとして、湿原内に排水溝を掘ったことがあったのだとか。湿原も排水してしまえば当然乾いてしまうので、排水溝に土嚢を置いて排水溝からの水の流出を防ごうとしているのだとか。

いつもの方々

環境保全という話では必ず悪者にされる「外来種」の話題もありました。「セイヨウオオマルハナバチ」と「ウチダザリガニ」は道内ではほぼレギュラーメンバーのようですね。

豊かな森

遺跡の近くに自生する、推定樹齢 4~500 年?のミズナラの巨木の写真がありました。とても風格のある木ですが、種の多様性というものが感じられるいい写真ですね。

入る穴が多すぎる

遺跡と言えば、こんな写真も展示されていました。上は見ての通りの空中写真なのですが、問題は真ん中の写真です。雪が中途半端に残っている林のように見えますが、この雪が残っている部分が全部「竪穴」なのだとか(!)。雪がないときはすべて左下のような穴が見えるのだそうです。
この竪穴の数は相当なものらしく、約 4,400 軒もあるのだとか。平成 22 年の国勢調査によると、標津町の世帯数は「2,235」とのことなので、現在の世帯数をゆうに上回るだけの竪穴があることになりますね。

大草原のみゆきちゃん!?

このあたりの竪穴は、古いものは約七千年ほど前のものから、新しいものだと擦文時代(約七百年ほど前とのこと)のものまであるそうです。住居跡があるということは道具も残されているのですが……
石斧の原材料となった石は、旭川の神居古潭や平取の沙流川上流域で採れたものだったのだとか。昔の人も「アイヌモシリ」を自由に旅していたのだなぁ、と思わせます。

それはそうと、このイラストのクレジットが気になりました。
昔むかし……(と言っても 30 年ほど前の話だと思いますが)、HBC(北海道放送)で「大草原の少女みゆきちゃん」というドキュメンタリー番組が放送されたのですね。その舞台も確か標津町でした。……もしかして、ご本人なんでしょうか?

クナシリ・メナシの戦い

さて。「標津のアイヌ文化」と題されたコーナーがありました。12 人のアイヌがイラストつきで紹介されています。全員が標津の出身……というわけでは無く、根室や厚岸、あるいは国後の酋長や有力者だったようです。
多少歴史に心得のある方は「あ、アレか」とお気づきかもしれません。そう、アレなのですが……
はい。彼らは 1789 年に起こった道内最大級の衝突事件、「クナシリ・メナシの戦い」の当事者でした。但しこの「12 人の有力者」は武力蜂起の首謀者ではなく、事態の収拾に尽力した側だったとのこと。

「クナシリメナシの戦いに加わったアイヌ」とあるのですが、「加わった」の下にはなんと書いてあったのでしょう……?
「クナシリ」はもちろん「国後島」のことですが、「メナシ」は現在の目梨郡(羅臼町)および標津郡(標津町)のあたりを指していました。メナシ領の参加者は総勢 89 名で、うち 23 名が処刑されたとありますね。こんなに正確な記録が残っていたとはちょっと意外でした。

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