(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
立苅臼(たつかるうし)
(典拠あり、類型あり)
於尋麻布(現在の麻布町)と八木浜町の間にあった地名で、現在は川の名前として残っています。角川──(略──)によると、次のようにあります。たつかるうし タツカルウシ <羅臼町>
〔近世〕江戸期から見える地名。東蝦夷地,はじめキイタップ場所,のちネモロ場所のうち。タフカルウシともいう。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.836 より引用)
ふむふむ。続きを見てみましょうか。地名は,アイヌ語のタッカルウシ(樺を取る所の意)に由来する(北海道蝦夷語地名解)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.836 より引用)
あっ……。割とそのまんまだったようですね(汗)。tat-kar-us-i で「樺の皮・採る・いつもする・所」だったようです。出典は永田地名解のようなので、原典にも当たっておきますか。Tat karu ushi タッカル ウシ 樺ヲ取ル處とまぁ、ここまでは予想通りにそのまんまなのですが、
宮本金二郎ト云フ「アイヌ」ハ「タプカルウシ」ニテ「アイヌ」等ガ舞踊セシ處ナリト
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.384 より引用)
ほう、異説もあるのですね。確かに tap-kar-us-i だと「舞い踊る・いつもする・ところ」となります。角川──にも「タフカルウシともいう」とあるのですが、これは果たして……?八木浜(やぎはま)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
羅臼町のアイヌ語由来の地名は、大変残念なことですが、昭和 30 年代に大量に失われています。この「八木浜」もその時代に改名された和名……だと思ったのですが、実はそうでも無いらしいのです(!)。更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には、次のようにあります。
八木浜(やぎはま)
羅臼海岸の部落。もとは八木島と書いたところ。アイヌ語のアネ・シュマ(細い岩)をなまって当て字をしたもの。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.281 より引用)
うわっ、ane-suma が訛って「八木浜」になったとは畏れ入りますね。さすがに俄に信じがたいので、もう少し調べてみましょうか。永田地名解には次のようにあります。Ane shuma アネ シュマ 細キ立石
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.385 より引用)
なるほど、更科さんは永田地名解を元ネタにしていた可能性がありますね。なお、これには続きがあって……「ヤイネシュマ」トモ云フ獨立石ノ義
(永田方正「北海道蝦夷語地名解」国書刊行会 p.385 より引用)
「アネシュマ」よりも「ヤイネシュマ」のほうが「八木浜」には近そうな感じがしますね。となると問題は「ヤイネ」の意味なのですが……もう少し調べ物を続けてみましょう。角川──()には次のような記載が見つかりました。
やぎはまちょう 八木浜町 <羅臼町>
〔近代〕昭和36年~現在の羅臼町の行政字名。もとは羅臼村の一部,八木島(やんげしま)・立苅臼。江戸期にはタツカルウシなどの地名が見える。地名は,アイヌ語のアネシュマ(細い立石の意)が八木島と変化し,八木浜となったと思われる。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1545 より引用)
なるほど、「八木浜」になる前は「八木島」だったということですね。そして、「八木島」には「やんげしま」とルビが振られています。この音からは yanke-suma で「陸揚げする・岩」という解も考えられそうです。念の為に「東西蝦夷山川地理取調図」を調べてみたところ、今度は「ヤー子シユマ」と書かれています。永田地名解にあった「ヤイネシュマ」と似ていますが、これでなんとなく雰囲気がつかめてきました。ya-an-ane-suma だったのでは無いでしょうか。これだと「陸・にある・細い・岩」ということになります。
えー、つまり、元々は「ヤアンアネシュマ」だったのが「ヤアネシュマ」となり、これが「ヤーゲシュマ」から「八木島」となって、「島じゃないよね浜だよね」ってことで「八木浜」になった……というストーリーを考えてみたのですが、いかがでしょうかっ!?
知西別川(ちにしべつ──)
(典拠あり、類型あり)
八木浜から北に向かって、知西別川に架かる「知西別橋」を渡ると「知昭町」です。この「知昭町」の旧名が「知西別」だったようです。今回は山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみましょう。
知西別 ちにしべつ,つにしぺつ
知西別川は松法川のすぐ南の川。相当な川である。永田地名解は「ニ・ウシ・ペ。大なる樺ある処」と書いた。ニはただ木であるのに大なる樺と書いたのは土地の人の話を書き入れたのであろう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.229 より引用)
確かに「ふーむ」と首肯したくなるような解なのですが、チが落とされている。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.229 より引用)
そう、そこなんですよね。「チ」はどこに行ってしまったのだろう、と。「北海道の地名」には、まだ続きがあります。
松浦氏知床日誌は「チニシベツ。本名チフニウシヘツ。船材多との義。昔し神が船を作給ひし故なりと」と書いた。また同氏初航蝦夷日誌は「チフニウシベツ。番屋,蔵々有。土人小屋五軒斗有。此処ネモロ(根室)領北の方第一番の番屋也」と書き,ここで準備を整えて知床行を試みたのであった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.229-230 より引用)
ふむふむ、なるほど! 松浦武四郎の記録では「チニシベツ」は chip-ni-us-pet が略されたもの、なのですね。chip-ni-us-pet で「舟・木・ある・川」となりますから、丸木舟を造るのに良い木が多かった、ということなのでしょうね。ちなみに、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には次のようにあります。
知昭(ちしょう)
羅臼海岸の部落。もと知西別とよんだところ、近くの知西別川からでたもので、アイヌ語でチニ・ウㇱ・ペッ(枯木の多い川)が語源である。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.281 より引用)
えっ……?(汗) うん、確かに chini-us-pet だと「枯れ木・ある・川」なんですけど……うーむ。www.bojan.net
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