小沢駅(S22)
倶知安駅を発車すると、2 km ほどで「倶知安トンネル」に入ります。ここから先は岩内郡共和町です。倶知安駅から 12 分ほどで、次の小沢(こざわ)に到着します。ここで倶知安行きの快速「ニセコライナー」3952D とすれ違いです。
小沢からは、かつて国鉄岩内線が分岐していました。岩内線の跡もかなりの部分が国道 276 号線に転用されています。
銀山駅(S21)
小沢駅を出発すると、線路は 90 度右に向きを変えて、今度は再び峠に向かって登ってゆきます。「稲穂トンネル」を抜けると余市郡仁木町の銀山駅です。ここから余市までは、余市川沿いを下ってゆくことになります。峠越えが多かった「山線」も、稲穂トンネルが事実上最後の峠となります。
山道駅(廃止)
函館から小樽の間の函館本線は「北海道鉄道」という私鉄が建設したものですが、小樽側は 1902 年に蘭島と然別の間が開通したのが始まりです。半年後に蘭島から小樽中央(現在の小樽駅)まで延伸すると同時に、然別から「山道駅」までの区間が開通しました。「山道駅」は、銀山駅と然別駅の間に設けられたそうですが、1 年後の 1904 年に山道から小沢まで延伸すると同時に、駅としては廃止されてしまったそうです。開業が 1903/6/28 で廃止が 1904/7/18 と言いますから、わずか一年強しか存在しなかった「幻の駅」と言えそうですね。
現在、仁木町には「山道」という地名は残っていないようですが、明治期の地図を見ると、現在の然別駅のあたりから南側の一帯を指していた地名だったようです。
明治期の地図は鉄道の予定線と思しきルートも描かれているのですが、「山道駅」から赤井川方面に向かって、「土木川」と「倶登山川」沿いを経由して倶知安に至るルートで検討していた様子が見受けられます。実際には「倶知安トンネル」と「稲穂トンネル」で二度の峠越えをするルートで建設されたわけですが、岩内へのルートを確保するためには妥当なルート変更だったと言えそうですね。
然別駅(S20)
銀山から然別までは、およそ 10 分ほどの区間です。ここで 2954D とすれ違いです。前述の通り、函館-小樽間の函館本線は、函館側の亀田(廃止)-渡島大野間と、小樽側の然別-蘭島間が最初に開通した区間です(蘭島から小樽までは未開通なので「小樽側」という表現も微妙に誤りではあるのですが)。今では数ある駅のひとつと言った雰囲気でしか無いのですが、歴史を紐解いてみると面白い発見があるものですね。
仁木駅(S19)
然別から約 5 分で仁木に到着です。仁木も北海道鉄道の初回開通時に設けられた駅のひとつです。ちなみに仁木町の町名は徳島県からやってきた仁木武吉さんに因んで命名されました。アイヌ語とは関係の無い地名です。余市駅(S18)
仁木から北へ 6 分ほど走ると、今、話題の?余市に到着です。余市は余市川が海に注ぐところにある町で、海沿いに町が広がっています。2 万人ほどの人口をかかえる、このあたりでは指折りの町ですね。蘭島駅(S17)
余市を発車すると、線路は再び 90 度向きを変えて、海沿いを東に向かいます。蘭島はかつての「塩谷村」の西部にあたります(塩谷村は 1958 年に小樽市に編入されています)。北海道鉄道の初回開通時の、東側の終点があったところです。……今から思うと「なんで蘭島?」と思わないでも無いのですが、とりあえず余市のあたりでは蘭島と然別の間の建設が早く済んだから、というだけのような気もしますね……。
塩谷駅(S16)
蘭島を発車して 10 分ほどで、次の塩谷に到着です。2949D はここで余市行きの 1956D とすれ違います。蘭島から、次の小樽駅までの開通は 1903 年 6 月 28 日でしたから、蘭島・然別間の開通から半年遅れだったことになりますね。
小樽駅(S15)
さぁ、長かった 2949D での旅も、ついに次の小樽駅でおしまいです! 塩谷から小樽までの所要時間は約 10 分で、定刻の 20:42 に無事到着しました!無駄にテンションが上がっていますが、改めて考えてみると、前の日の 21:16 に上野駅から「あけぼの」に乗車しているんですよね。その後、函館で 2 時間ほど「青函連絡船記念館『摩周丸』」を見学したりしましたが、それ以外はほぼ列車内(もしくは駅施設内)にいたわけで……。思えば、随分と遠くまで来てしまったものです。
あとは札幌に向かうだけなのですが、まだ夕食を食べておらず、流石にかなりお腹が空いてきてしまいました。小樽から札幌に向かう電車は割と頻繁に出ているので、小樽で途中下車してささっと夕食を済ませることにしました。
www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International