2015年1月17日土曜日

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函館~根室 各駅停車の旅 (5) 「七飯・渡島大野・仁山・大沼」

 

七飯駅(H71)

函館本線は、途中でルートが 8 の字になっているのですが、8 の字の下半分はこの七飯駅で枝分かれします。もともとは渡島大野経由のルートしか無かったのですが、東側を迂回する、通称「藤城線」が追加されました。

(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
というわけで、七飯駅を出発です。
通称「藤城線」は函館から札幌方面に向かう列車の為に設けられた別線ですが、途中に駅が無いこともあってか、各駅停車の多くは渡島大野経由の本線を走ります。ということなので、この先右手に藤城線が見えるはずなのですが……
うわっと。いきなり目の前を高架線が分かれて行きました。なんとなんと、立体交差だったのですね……。確かに、藤城線は函館から北に向かう列車(=本来は左側、つまり西側を走る)の為の線路なので、既存の本線を立体交差する構造も理に適っていると言えばそうなのですが……。

藤城線はどんどん離れてゆきます。この高架線を見て「北海道新幹線」と勘違いする人もいるんじゃないか……と思ってしまいました。
大沼から森までの函館本線は、本来のルートは駒ヶ岳の西側を通る「大沼回り」でした。ところが戦時中に、より勾配の緩やかなルートが求められたために、新たに駒ヶ岳の東側の海沿いを走る「砂原回り」のルートが追加されました。

ちなみに、戦時中に「より勾配の緩やかなルート」が必要となった理由ですが、石炭の質の低下などの燃料事情もあったと言われています。ですからこの通称「藤城線」も戦中に建設された……と思い込んでいたのですが、開通したのはなんと 1966 年とのこと。道理でコンクリート製の高架線だったわけです。

渡島大野駅(H70)

およそ 5 分で、次の渡島大野駅に到着です。なんとも鄙びた感じのするホームがいい味出してますよね。
跨線橋もご覧のような感じで、いかにも「昔ながらの駅」と言った感じです。
ところが! ご存じの方も多いと思いますが、この「渡島大野駅」に北海道新幹線の駅が設けられます。それに伴い駅名をどうする? ということで、函館市と、渡島大野駅がある北斗市が侃々諤々の死闘を繰り広げ、最終的には「JR さんにお任せします」という、まるで新喜劇のギャグのような展開になったのでした。
結局、駅名は「新函館北斗」に決定したわけですが、コレジャナイ感満載の駅名にため息をついた人も少なくなかったかと思います。今改めて考えてみると、まぁ、これはこれでいいんじゃない? とも思えたりしますが……(双方の面子も最低限守られたような気もしますし)。

仁山駅(H69)

約 8 分ほどで仁山駅に到着です。ここはかつては信号場で、仮乗降場を経て JR 発足時に駅に昇格しました。
駅から歩いて 300 m ほどのところに「ニヤマ高原スキー場」があります。あとレーシングカートコースも併設されているようです。

熊の湯信号場(廃止)

仁山から大沼に向かう途中で、国道 5 号線と併走します。
仁山と大沼の間には「峠下トンネル」というトンネルがあるのですが、老朽化したために、新たに「新峠下トンネル」が掘削されて、峠下トンネルは一旦放棄されました。ところがその後、函館本線を複線化する話が持ち上がり、峠下トンネルを復活させることになりました。

というわけで、新峠下トンネルに向かう線路(新線)と峠下トンネルに向かっていた線路(旧線)の合流点に「熊の湯信号場」が設けられました。ただ、その後、新峠下トンネルは前述の「藤城線」と接続したため、熊の湯信号場と新峠下トンネルの間の線路が廃止され、同時に熊の湯信号場も廃止されたのだそうです。1962 年に開設され、1966 年に廃止された短命な信号場でした。

……てなことは車内では知る由もなく、偶然車窓を撮影していただけなんですけどね(汗)。

大沼駅(H68)

今も昔も「大沼駅」ですが、一時は「軍川駅」という名前でした(1920~1964)。
函館本線の当初のルートは、この先で大沼公園駅を経由するルートですが、2843D は砂原回りのルートを走ります。というわけで、次は「池田園駅」です。

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