というわけで
函館市青函連絡船記念館「摩周丸」の話題を続けます。思った以上にボリュームが膨らんだので、独立したラベルを用意することにしました(汗)。摩周丸主要目
操舵室には、「摩周丸主要目」が掲出されていました。ふむふむ、「グリーン寝台」という区分があったのですね……。国際信号旗
そして、その隣には「国際信号旗」というパネルが。どこかで見たことのあるような旗も含まれていますが、おそらく偶然の一致なのでしょうね。旗にはそれぞれ意味があって、なおかつ複数の旗を組み合わせる場合もあったのですね。無線通信の歴史を紐解くと、19 世紀末期にマルコーニが実験に成功し、その後 1900 年頃に船舶無線が実用化された、とあります。つまり、船舶における無線通信が一般化したのは、大型船による長距離航海が一般化したよりもずっと後だ、ということになります。
国際信号旗は、無線通信技術が無かった時代に船舶間で意思の疎通を図るために考え出されたものでした。標準化は 1857 年だったようですが、既に 18 世紀の頃から使われ始めたようです。
……実物?
そして、操舵室の右舷後方にはこんなものが。「国際信号旗」の図案が一列に並んでいます。ただ、随分とデザインが歪んでしまっていますが……んっ?
そう、実はこちら、
図案ではなくて、「国際信号旗」の実物だったのでした(汗)。現代においては、無線通信が完全に途絶するという状況はなかなか想像できませんが、仮にそうなってしまった場合でも、この信号旗を使えば自船からの意思表示はできる、ということなのですね。いやー、先人の知恵に脱帽です。
船名符字
では、船内の見学を続けましょう。完全に本来の「順路」と逆回りに歩いてしまっていますが……こちらは、非常用のシューターでしょうか。そして横にはさっきの国際信号旗でしょうか。"JHMI" とありますが、摩周丸の「船名符字」が JHMI だったそうです。「船名符字」というのは、船舶を識別するための 4 文字コードのことでしょうか。
私は、あなたと通信したい。
ここにも「国際信号旗」の解説がありました。アルファベット 26 文字に相当する旗の図案と、0 から 9 までの数字に相当する図案などが解説されています。ちなみに、A から Z までのアルファベットにも、それぞれ次のような意味があったのだそうです。
いやいや、実に興味深いですね。
無線通信室
このように、国際信号旗は主に自船の意思や行動を伝えることができるものでしたが、当然ながら、その伝達範囲は目視できる範囲のみで、伝えることができる内容も限定的なものでした。一方で、「船舶無線」は離れた相手とリアルタイムに交信できる仕組みだったため、すぐに航海における必需品となります。摩周丸には、操舵室の後ろ側に「無線通信室」が設けられていました。中に入ろうと思ったのですが……おっと、先客がいらっしゃいました。実は、この「摩周丸」には、当時の乗組員の方が船内(操舵室や無線通信室)の解説をしてくださっているのですが、この日は元・通信長の N さんがいらっしゃいました。どうやら親子連れのお客さんにモールス信号の打ち方の実演をなさっているご様子でした。
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