(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
勇仁川(いちゃに──)
(典拠あり、類型多数)
網走市東部、JR 釧網本線の鱒浦駅のあたりで海に注ぐ川の名前です。読み方がわかった時点で答えも出たようなものですが……(汗)。この「勇仁川」、東西蝦夷山川地理取調図には「エチヤヌニ」と記されています。明治期の地図には「勇仁」という漢字表記と共に「イチッヌニ」という、何とも発音しづらい地名(川名かも)が残っていますが、どれも根っこは同じと考えて良さそうですね。
では、念のため山田秀三さんの「北海道の地名」を見ておきましょうか。
永田地名解は「イチャヌニ。鮭の産卵場。川の名。勇仁村と称す」と記す。書き直せば,イチャヌニ「ichan-un-i 鮭鱒の産卵場・ある・もの(川)」の意。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.214 より引用)
はい。ichan-un-i で「鮭鱒の産卵場・ある・もの」という解釈で間違いなさそうですね。今は鱒浦駅のそばを勇仁川が流れ,その西支流を鱒浦川という。つまり鱒が産卵のため集まる処なのであったらしい。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.214 より引用)
ふむふむ。もともと ichan-un-i という地名があって、駅名と川の西支流は ichan-un-i を意訳して「鱒浦」に、本流は ichan-un-i の音にそのまま字を当てて「勇仁」となった、ということのようです。「砂川と歌志内」や「鹿越と幾寅」のようなケースのひとつと考えられそうですね。藻琴(もこと)
(? = 典拠あるが疑わしい、類型多数)
網走市東部の地名・川名・湖名で、同名の駅もあります。「藻琴湖」はこのあたりの湖の中では小さいものですが、それなりに名の知れた湖かと思います。この「藻琴」も古くからの地名で、そうであるが故に様々な解釈がなされているようです。というわけで今回も「北海道の地名」から。
藻琴 もこと
網走市東郊の地名,湖名,川名。廻浦日記はモコトウと書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.214 より引用)
古くは「モコトウ」と書かれていたようですね。東西蝦夷山川地理取調図では「モコト」、明治期の地形図には「モコトー」とあります。山田さんのまとめでは、従来の説は 4 つあるとして、次のように紹介されていました。
①永田地名解は「モコトー。小沼。此辺大沼多し。此沼は最も小なるを以て名くと云ふ」。モ(小),トー(沼)は分かるが,間のコをどう読んだのか分からない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.214 より引用)
「モコト」は「小沼」ではないか、という説が古くからあったことを窺わせる解ですが、山田さんも指摘したとおり、「コ」がどこから出てきたかが不明というところが疑問点として残ります。②北海道駅名の起源昭和25年版(知里博士参加)は「ムㇰ・トウ(尻の塞がっている沼)の意である」。モコトの前の二字をムク(muk 塞がる)と読んだ。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.214 より引用)
ふむふむ。muk-to で「塞がる・湖」と解釈したわけですね。藻琴湖も、サロマ湖のように沿岸流で運ばれた砂によって堰き止められた湖だと考えられますから、現実に即したうまい解だと言えそうです。③網走市史地名解(知里博士筆)は「モコㇽ・ト mokor-to(眠っている・沼)→mokotto。この沼は山に囲まれていて波が静かであるから眠っている沼と名づけた」。巧い解である。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.214 より引用)
mokor-to が音韻変化して mokot-to になった、という説ですね。「眠る・湖」という解釈です。④北海道駅名の起源昭和29年版(知里博士参加)は「モコト即ちポ・コッ・ト(子を持つ・沼)から出たものである」。たぶん藻琴沼の南東岸にある,ごく小さな池シュプン・ウン・トー(うぐい魚・いる・沼)に気がついて着想されたのであろう。モ(mo 小さい,静かな)をポ(po 子供)と同じように訳される知里博士独特の地名解をここに当てはめられたのであった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.214-215 より引用)
うぅーむ……。mo-kor-to が mo-kot-to に音韻変化して「小さな・持つ・湖」ですか……。現代の地形図では確認できませんが、1980 年頃の土地利用図を見てみると、確かに湖の南側に小さな水たまりのような池があったと思しき書き方になっています。ただ、仮に mo-kot-to なのだとしたら、「小さな・窪地・湖」という解釈が成り立ったりはしないものでしょうか(お隣の涛沸湖よりも小さいものの、藻琴湖のほうが涛沸湖よりも水深が深いので)。あっ、これだと永田地名解の解釈の改良版? になりますね。
涛沸湖(とうふつこ)
(典拠あり、類型あり)
網走市と斜里郡小清水町の間にある湖の名前です。この湖もサロマ湖などと同じく、沿岸流によって運ばれた砂で堰き止められてできた湖ですね。あ、「海跡湖」と言えばいいのか……(汗)。では、今回は久しぶりに更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」から。
アイヌ語では単に沼(ト)と呼んだらしく、個有名詞はなかった。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.261 より引用)※ 原文ママ
ですね。生活圏内に複数の湖があって区別する必要でも無い限り、to は単に to だった、というケースが殆どのような気がします。
ト・プッは沼の出口(アイヌの考えでは海から沼への入口の意)。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.261 より引用)
はい。to-put で「湖・口」と解釈すれば良いようです(あるいは to-putu かも知れませんが、それだと「湖・その口」ですね)。ということで、元来は湖の名ではなかった。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.261 より引用)
仰る通りですね。ところで、更科さんは「単に to と呼んだらしく」としていますが、東西蝦夷山川地理取調図をよーく見ると、涛沸湖のところに「チカブント」という文字が見つかります。これが涛沸湖のことを指すのか、あるいは涛沸湖の湾のひとつを指すのかは判然としませんが、chikap-un-to で「鳥・そこにいる・湖」という意味だったと考えられます。
涛沸湖はラムサール条約の指定地で、北側には小清水原生花園がありますが、昔から野鳥にとっても暮らしよいところだったみたいですね。
なお、北海道蝦夷語地名解は、涛沸湖と思しき湖を「アオㇱュ マイ沼」と記しています。東西蝦夷山川地理取調図にも「アヲンマナイ」(あるいは「アヲシマナイ」と記された一角がありますが、残念ながら意味は良くわかりません。
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