2014年11月9日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (228) 「相内・北見・シュブシュブナイ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

相内(あいのない)

aynu-o-nay
人(アイヌ)・そこに多く居る・川
(典拠あり、類型あり)
北見市留辺蘂と北見市街の間に位置する地名です。このあたりも古くからのアイヌ語由来の地名が失われているようですが、そんな中、駅名としても残っているのが心強い限りですね。

では、今回も「北海道駅名の起源」から。

  相ノ内(あいのない)
所在地 北見市
開 駅 大正元年11月18日
起 源 この地方を流れているアイヌナイ川は、「アイヌ・オマ・ナイ」(人のいる沢)から転じたものらしく、もとは武華川の上流にあるため「上」をつけて「上相ノ内」といっていたが、駅の所在が市街の中心地にあるから、昭和9年2月5日、現在のように改めたものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.213 より引用)
この句点の無い文章……。これはもしや更科源蔵さんが書いたものでは……。

それはさておき、「相内」も、かつての「三ノ宮」「西ノ宮」のように「ノ」で繋がれた駅名だったのですね。ちなみに「相ノ内」が「相内」になったのは 1997 年のことだそうです。

念のため、山田秀三さんの「北海道の地名」も見ておきましょうか。

相内 あいのない
相内川 あいないがわ
 相内は無加川北岸部の地名。相内川が南流している。永田地名解は「アイノナイ ainu-o-nai」と書いた。アイヌ・居る・沢の意か。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.201 より引用)
ふーむ。現地でも「相内」を「あいない」と呼ぶ事例を見かけて「あれ?」と思ったのですが、既に川の名前は「あいない」なんですね。「あいのない」は aynu-o-nay で「人(アイヌ)・そこに多く居る・川」と考えて良さそうです。

北見(きたみ)

「北見」は松浦武四郎が名付けたとされる「北見国」に由来するもので、アイヌ語とは関係ありません。

……と、これだけで終わってしまっては残念な感じがするので、「北見市」になる前の地名についてちょいと書き記しておきます。今回もまずは「北海道駅名の起源」から。

  北 見(きたみ)
所在地 北見市
開 駅 明治44年9月25日
起 源 ここはもとアイヌ語の「ヌプンケシ」、すなわち「ヌㇷ゚・ホン・ケシ」(野・腹・下)の野のはしからノッケウシとなまり、地名も駅名も「野付牛」の字をあてはめていたが、昭和17年6月10日、国名をとって「北見市」としたので、同年10月1日駅名も「北見」と改めた。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.213-214 より引用)
はい。もともとは何とも変わった地名だったのですね。「野付牛」もさることながら「ヌㇷ゚・ホン・ケㇱ」というのも実に珍しい感じがします。

もっとも、この「ヌプンケシ」あるいは「ヌㇷ゚・ホン・ケㇱ」という地名は記録によって様々なブレがあり、山田秀三さんも「北海道の地名」において個別に検討をされていました。概略すると、「ヌプンケシ」あるいは「ヌㇷ゚・ホン・ケㇱ」に類する地名があったが、これはもともとは現在の端野のあたりの地名で、その後、開拓の進行に合わせて現在の北見のあたりに(地名が)移動していったのだそうです。

結果として、「野付牛」は現在の北見市中心部を指す地名となり、地名を取られてしまった側は「ヌプンケシ」あるいは「ヌㇷ゚・ホン・ケㇱ」に類する地名を意訳して「端野」という地名を作った……ということのようです。

このあたりの詳細は https://www.bojan.net/2012/09/22.html にまとめてありますので、併せてご覧ください。

シュブシュブナイ川

chut-chup-us-nay
トクサ・多くある・沢
(典拠あり、類型あり)
「北見道路」の北見中央 IC の近くを流れている川の名前です。現在の川の名前は「シュブシュブナイ」ですが、地名としては「シュブシュブナイ」や「シュプウシナイ」といった形も記録に残っています。

というわけで、今回は「角川──」(略──)を見てみます。

なお,シュブシュブシナイ・シュブウシナイはアイヌ語で「とくさの群生する沢」の意。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.431 より引用)
ふむふむ。「とくさ」は「砥草」や「木賊」とも書かれる植物の名前なのですが、アイヌ語では sip-sip と言うのだそうです。アイヌ語では「シ」と「シュ」は同じものとして扱われるので、sip-sipshup-shup になってもおかしくないことになりますね。

ちなみに、知里真志保「分類アイヌ語辞典 植物編」によれば、美幌・屈斜路のあたりではトクサのことを chut-chup と呼んでいたとのこと。これらの情報を総合すると、もともとは shup-shup-us-nay あるいは chut-chup-us-nay で「トクサ・多くある・沢」だったのかな、と思わせます。

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