(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
シブノツナイ湖
(典拠あり、類型あり)
湧別町と紋別市の境界にある海沿いの湖の名前です。サロマ湖などと同じく砂嘴で形成された湖だと思います。シブノツナイ湖にはいくつかの川が注いでいますが、その中でもっとも長いのが「シブノツナイ川」です。湖の近くには「信部内」(しぶない)という集落があり、シブノツナイ川の上流には「志文」(しぶん)という集落があります。
シブノツナイですが、supun-ot-nay で「ウグイ・多くいる・川」だと考えられます。「信部内」と「志文」は、それぞれ「シブノツナイ」から派生した地名……なのでしょうね。
面白いのが、古い地図には湖の名前として「シユプノットー」あるいは「シユフントウ」と書いてあり、川の名前として「シュプノッナイ」あるいは「シユフヌツナイ」と書かれていることです。「シユプノットー」は supun-ot-to で「ウグイ・多くいる・湖」となるのですが、いつの間にか川の名前で湖の名前が置き換えられてしまいました。
アイヌ語地名では湖に固有の名前をつけることが珍しかったのですが、このあたりはいくつも湖があったので、きちんと固有の名前が使われていたようですね。
コムケ湖
(典拠あり、類型あり)
シブノツナイ湖の西隣にある湖の名前です。のっけから余談ですが、シブノツナイ湖とコムケ湖の間にかつての紋別空港がありました(現在は紋別寄りに移転)。コムケ湖の西側に、国鉄名寄本線の「小向」(こむかい)駅がありました。何か匂いませんか? ということで「北海道駅名の起源」から。
小 向(こむかい)
所在地 紋別市
開 駅 大正10年3月25日
起 源 アイヌ語の「コムケ・ト」(曲がっている沼)から出たもので、駅のオホーツク海岸から沼ノ上駅の間に、長く曲がってつづくコムケ沼についた名である。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.197 より引用)
どうやら「コムケ湖」の元となった「コムケ・トー」の「コムケ」に「小向」という字を当てた結果、「こむかい」と読むようになってしまった、という話のようですね。komke-to は「曲がっている・湖」という意味でした。確かにお隣のシブノツナイ湖と比べると随分といびつな形をしています。これを「曲がっている」と呼んだ、ということなのでしょうね。komke は知里さんの「地名アイヌ語小辞典」にも出てくるような語彙なのですが、意外と目にする機会が少ないのが不思議な感じがします。
ヤッシュシナイ川
(典拠あり、類型あり)
紋別市小向と紋別空港の間を流れている川の名前です。ヤッシュシナイ川の上流には「八十士」と書いて「やそし」と読む集落もあるそうで……。では、まずは「角川──」(略──)を見てみましょうか。
やそし 八十士 <紋別市>
古くはヤシュシ・ヤシコシともいった。網走地方北西部,ヤッシュウシナイ川流域。地名はアイヌ語のヤッシュウシ(網場の意)に由来する(北海道蝦夷語地名
解)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1549 より引用)
確かに東西蝦夷山川地理取調図には「ヤシコシ」とありますね。明治期の地形図には「ヤッシュウシトー」とあります。これは川を指したものではなく、河口部の湿地帯の名前として記録されていたと考えるのが自然でしょう(「トー」は「沼」なので)。実際に 1980 年代の「土地利用図」を見てみると、ヤッシュシナイ川の河口部に「ヤソシ沼」という沼の存在が描かれています。それどころか川の名前自体が「ヤソシ川」とされています。八十士という地名に合わせたのでしょうが、いつの間にか「ヤッシュシナイ川」と中途半端に復元されているのが何とも言えませんね。
さて、このように名前がコロコロと入れ替わっている「ヤッシュシナイ川」ですが、永田地名解にもあるように、yas-ya-us-nay で「すくい網・多くある・川」と解釈できそうです。
このあたりは「シュプントー」(ウグイ・多くいる・湖)や「チェプンナイ」(魚・そこにいる・川)といった地名が多く見られるので、その漁業資源が豊かだったことを思わせますね。現在はどんな感じなのでしょうか。
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