(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
テイネイ
(典拠あり、類型多数)
湧別町の地名で、サロマ湖の西端部に面しています。テイネイ集落の南側には「テイネ川」という川もあり……あっ(汗)……ネタバレ感たっぷりですが、しれっと続けます。では山田秀三さんの「北海道の地名」から。
テイネ川の川口の辺が低湿地になっているのでテイネ・イ(teine-i 濡れている・処)と呼ばれたのであろう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.189 より引用)
あー、やっぱり……。teyne-i で「どろどろしている・ところ」なのでしょうね。「あれ、どこかで聞いたことがある」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、札幌の手稲と同じような名である。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.189 より引用)
ということです。かなり「そのまんま」な感じの地名でした(汗)。登栄床(とえとこ)
(典拠あり、類型あり)
サロマ湖を形成する砂嘴は 1929 年に開削された「永久湖口」によって分断されていますが、永久湖口の西側に位置する集落が「登栄床」です。これはひじょーに分かりやすい地名で、to-etok で「湖・奥」という意味ですね。現在の登栄床は、永久湖口ができたおかげで「砂嘴の奥」とも言うべき場所なのですが、昔の湖口ははるか東側の「鐺沸」(常呂町)にありました。ですから、登栄床は常呂町のトー・プッから見て「湖の奥」と呼べる場所だった、ということになりますね。
おまけ
明治期の地図によると、現在「登栄床」と呼ばれているあたりは、当時は「トクセイ」と呼ばれていたようです(「トーエトコ」は「トクセイ」の西側で、むしろ現在のテイネイに近いあたりだったように見受けられます)。「トクセイ」は tokse-i で「突起している・ところ」ではないかと考えられます。あと、永久湖口のあたりは「チㇷ゚カルウシ」と呼ばれていたようですが、これは chip-kar-us-i (「舟・作る・いつもする・所」)ではなく chip-kari-us-i (「舟・担いで越す・いつもする・所」)と見るべきなのでしょうね。これは、サロマ湖からオホーツク海に舟を出すために、舟を担いで砂嘴を越える場所だった、ということなのでしょう。つまり、湖口をつくるにはベストな場所だった、ということになりそうです。
湧別(ゆうべつ)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
サロマ湖の西、紋別の東、遠軽の北に位置する町の名前です。かつては国鉄の名寄本線と湧網線が走っていました。ということで「北海道駅名の起源」から。湧 別(ゆうべつ)
所在地 (北見国)紋別郡湧別町
開 駅 大正5年11月21日
起 源 湧別川の下流にあるため、もと「下湧別」といっていたが、昭和29年11月10日「下」をとって「湧別」としたものである。「湧別」はアイヌ語の「ユペッ」、すなわち「ユペ・オッ」(カレイサメが多い)から出たといわれているが、「イペオケ」すすなわち「イペ・オッ・イ」(魚の豊富である所)であったと思われる。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.199 より引用)※「イペオケ」は原文ママ
うーん……。「カレイサメ」ってあまり聞かないような気がするのですが……。yupe は、普通は「チョウザメ」と解釈されます。チョウザメは漢字だと「蝶鮫」でカレイは「鰈」。旁が同じなのですが、もしかして意味も同じだったりするのでしょうか?「イペオケ」は、おそらく「イペオチ」の誤りなんでしょうね。「ケ」と「チ」。確かに似てなくは無いですが……(汗)。当時はワープロなんて便利な物はなかったでしょうから、人によっては崩し字を解読するのも一苦労だったのでしょうね。
……あっ。これ、もしかして原稿に「蝶鮫」とあったのを、編集の人が「蝶」と「鰈」を間違えて「カレイサメ」にしてしまった可能性もありますね。そしてその「カレイサメ」という珍解釈が、今でも Wikipedia 等に引き継がれているという、ちょっと笑えない話なのかも知れません。
と言いますのも……
湧別(ゆうべつ)
紋別郡上湧別町や湧別町の湧別は、ここを貫流する湧別川の名からでたもので、アイヌ語のユペ・オッ(蝶鮫が多くいる)からでたというが、この川に蝶鮫がいたという話はきかない。(石狩川、天塩川、十勝川、釧路川には多かった)イペ・オッ・イで魚の豊富な所であると思われる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.294 より引用)
更科源蔵さんが、自著「アイヌ語地名解」でこのように記していたのですね。かなりそっくりなので、「北海道駅名の起源」の「湧別駅」の項も更科さんの手になっていたことが想像できます。これは……編集さんがやっちゃった可能性大ですね(汗)。さて、更科さんは「湧別は yupe-ot-i ではなく ipe-ot-i である」としましたが、山田秀三さんは……
湧別 ゆうべつ
紋別郡内の川名,町名。湧別川は流長86キロで、有名な地名の多い川であるが,その語義は分からない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.184 より引用)
ふーむ。相変わらず慎重ですね。古い上原熊次郎地名考は「ユウベツ。ユウとは湯と申事。温泉の川と訳す。此川内に温泉のある故字になすと云ふ」と書いた。当時のアイヌ伝承を聞いて書いたものか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.184 より引用)
おおっと。また新説が飛び出しました。厳密には「旧説」なのですが、yu-pet で「温泉・川」と解釈した、というものですね。永田地名解は「ユベ yube。鮫。湧別村の原名」と記した。ユベは蝶鮫のことである。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.184 より引用)
ふむふむ。「──駅名の起源」の yupe 説は永田地名解から来ていたのですね。北海道駅名の起源は昭和25年版まで永田説であったが,同29年版から「イペオチ即ちイペ・オッ・イ(魚・豊富である・所)であったと思われる」と書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.184 より引用)
なるほど。「──駅名の起源」は元々は永田説を記していたのを、昭和29年版から更科説?に傾いた、ということのようですね。ちなみに昭和29年版には「(蝶鮫・多い)」と記されているので、編集さんやっちゃった疑惑はその後の版で起こった、ということになりますね。さて、各種の説を並べた山田さんですが、ご自身の見解はと言えば……
古い上原説をもう一度振りかえって検討してみたい。(上流に瀬戸瀬、丸瀬布、白滝等温泉場あり)
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.184 より引用)
むぅ、そう来ましたか……。yu を「温泉」と解するのは、日本語の「湯」から来ているので、アイヌ語の長ーい歴史から見てみると、比較的最近のことだと思うんですね。特にオホーツク海の沿岸は函館から見てもっとも遠いあたりなので、日本語由来の yu という語彙が入ったのはかなり遅かったんじゃないかと思うのです。もちろん、それだけで yu は違うよと断言はできないのですが、なーんとなく違和感をおぼえるのも事実でして……。
yupe-ot-i(「チョウザメ・多くいる・ところ」)については、更科さんの「この川に蝶鮫がいたという話はきかない」というのが重くのしかかりますね。
となると、消去法で ipe-ot-i(「魚・多くいる・ところ」)となるのかと言うと……「ゆうべつ」と「イペオチ」の語感に結構な違いがあるので、これまた自信が持てなくなりますね。どうしたものでしょう……(汗)。
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