2014年9月6日土曜日

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北海道のアイヌ語地名 (209) 「美蘭別・ラウンベ川・負箙」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

美蘭別(びらんべつ)

pira-un-pet
崖・そこにある・川
(典拠あり、類型あり)
本別町西部の地名・川名です。では、早速ですが「角川──」(略──)を見てみましょうか。

 びらんべつ 美蘭別 <本別町>
〔近代〕昭和51年~現在の本別町の行政字名。もとは本別町大字負箙(おふいびら)村・本別村・押帯(おしよつぷ)村・勇足村の各一部。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1265 より引用)
ふむふむ。続きを見てみましょうか。

 ぴりか 美利河 <今金町>
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.1265 より引用)
え……(汗)。もう終わりでしたか。

何の参考にもならなかったので(汗)、今度は山田秀三さんの「北海道の地名」から。

永田地名解にも書かれてない名。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.296 より引用)
ふむふむ。ちょっと本筋から外れたところの地名ですから、仕方がないのかも知れませんね。

pi(小石),pir(渦),pira(崖)等の言葉を考えながら行ったが,おだやかな小川でどうにも見当がつかない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.296 より引用)
ふーむ。まぁ、イチからの試行錯誤って大概はこんな感じですよね。

まあピラン・ペッ←pira-un-pet(崖・ある・川)と読むのが自然ではないかと思った。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.296 より引用)
何ともザックリとした形で答が出てきましたね(笑)。念のため更科源蔵さんのご意見も伺っておきましょうか。

ピ・ラン・ペッで小石の流れくだる川か、もしくはピラ・ウン・ペッで、崖のある川かと思う。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.247 より引用)
やはりと言うべきか、似通った解に落ち着くのは流石ですね。更科説その 1 の pi-ran-pet も棄却はできませんが、まずは pira-un-pet で「崖・そこにある・川」なんじゃないかなぁ、としておきましょう。

ラウンベ川

rawne-pet??
深くある・川
(?? = 典拠なし、類型あり)
美蘭別川の隣を流れる川の名前です。本別町の北西部から南東に向かってまっすぐ流れていて、台地を深く抉っているようにも見えますね。

この「ラウンベ川」ですが、音からは rawne-pet であるように思われます。rawne-pet だと「深くある・川」となりますね。

ただ、この「ラウンベ川」ですが、明治期の地形図には「ラウシペ」とあります。「シ」が「ン」の誤記であれば一件落着ですが、「ラウシペ」が正だとすると、そうですねぇ……、ra-us-pet あたりになるのでしょうか。これだと「低いところ・そこにある・川」と解釈できそうですね。

負箙(おふいびら)

ufuy-pitara
燃えている・河原
(典拠あり、類型あり)
本別町の有名な難読地名。ちなみに「箙」で「えびら」と読むのだそうです。「負う」「えびら」を「おふいびら」と読ませた……といった感じでしょうか。

では、今回も更科さんの「アイヌ語地名解」から。

勇足駅の利別川向い、この付近の川岸の崖が煙をはいていたので、ウフイ・ピラ(燃える崖) と呼んだのに漢字をあてたもの。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.247 より引用)
何とも大胆な解釈が出てきました。uhuy-pira で「燃えている・崖」という考え方には大きく異論は無いのですが、「崖が煙をはいていたので」というのには、思わず「ほんまかいな」と首を傾げたくなります。

念のため、山田秀三さんの解釈も見ておきましょうか。

オフイはウフイ(uhui 燃える)で,実際燃えるだけでなく,崖などの赤いことをもいう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.297 より引用)
さすがと言うべきか、随分と穏健な解釈が出てきました。この uhuy というのは、増毛と浜益の間にある「雄冬岬」の由来と同じっぽいですね。

負箙の話題に戻りますが、一点注意しておかないといけないのが、山田さんの以下の一文です。

永田地名解は「オフイ・ピタラ。焼・磧」と書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.297 より引用)
「磧」は訓読みでは「かわら」と読むのですが、永田翁は負箙を ufuy-pitar であると記録しているのですね(「燃えている・河原」)。山田さんは(明言はしていませんが)「ピタラ」が「ピラ」の誤りである、という考え方のようですが、負箙の隣にある「勇足」という地名の旧名が「エサンピタラ」だったりするので、負箙も実は「オフイ・ピタラ」だった、という可能性も捨てられないように思います。

実際、明治期の地形図にも「オフイピタラ」とありますし、東西蝦夷山川地理取調図にも「ヲフイヒタラ」とあるので、少なくとも以前は「オフイピタラ」が正解?だった可能性が高そうな気がします。

ufuy-pitara だと「燃えている・河原」となりますね。赤石あるいは赤土の目立つ河原だったのでは無いでしょうか。

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