2014年8月31日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (208) 「サルカニザワ川・信取・様舞」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

サルカニザワ川

sarki-an-nay??
芦・ある・沢
(?? = 典拠なし、類型あり)
音更町東部を流れる長流枝内(おさるしない)川の支流です。何とも面白い名前なので、取りあげてみることにしました。

おそらく、もともとは sarki-an-nay で「芦・ある・沢」だったのではないでしょうか。sarki-ansark-an に音韻変化すると考えられますので、「サルカンナイ」が「サルカニ」になった……ということではないかと思います。

信取(のぶとり)

nup-utur
野原・間
(典拠あり、類型あり)
道東道・池田 IC の近くの地名です。字画からは、あまりアイヌ語由来っぽく無いのですが、実はバリバリのアイヌ語地名なのだとか。

では、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」を見てみましょうか。

 信取(のぶとり)
 池田町の字名。高島市街の川向。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.236 より引用)
はい。国鉄池北線(→北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線)の高島駅があった「高島」の集落から見て、利別川の向かい側にある集落の名前ですね。

もと高島農場のあと、アイヌ語ヌㇷ゚・ウドㇽ(ママ)のなまったもので、原野の間ということ。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.236 より引用)
はい。nup-utur で「野原・間」という意味ですね。

様舞(さままい)

sam-oma-i
和人・そこにいる・ところ
(典拠あり、類型あり)
池田町中部の地名で、国鉄池北線(→北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線)にも同名の駅がありました。これは……見るからに「アイヌ語地名です!」という感じの字が当てられているので、逆にちょっと不安になる位ですね(なんでだ)。

では、更科さんの「──地名解」から。

 様舞(さままい)
 利別川流域の池田町の字名。この近くの利別川の支流シャモマイという小川がある。シャモマイは和人のいる所のなまったもの。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.235 より引用)
現在は、地名としては「様舞」で、川の名前は「様見川」になっているようです。なるほど、sam-oma-i で「和人・そこにいる・ところ」のようですね。

明治初年、帯広の晩成社より早く、利別川筋を開拓していたというのはここをさすのであろう。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.235-236 より引用)
ふむふむ。こういった地名が残るくらいですから、かなり初期の頃の開拓地だったのですね。

山田秀三さんの「北海道の地名」も見ておきましょうか。

シャム・オマ・イ(sham-oma-i 和人・いる・処)の意。永田地名解はこの形で「和人の死処」と書いたが,この言葉にはそんな意味はない。伝説を書いたのであろう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.295 より引用)
確かに sam-oma-i に「和人の死処」という意味は無いですが、もしかしたら開拓に来ていた和人が死んだという伝承があったのかも知れないですね。

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2014年8月30日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (207) 「チライオツナイ川・伊忽保川・アネップ川」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

チライオツナイ川

chiray-ot-nay?
イトウ・多く居る・川

(? = 典拠未確認、類型多数)
音更町のやや東寄りを流れる士幌川の支流です。おそらく chiray-ot-nay で「イトウ・多く居る・川」でしょう。

えーと……(汗)。月形町に「知来乙」という地名があるのですが、それと同じ名前ということになりますね。

ということで「知来乙」の項の焼き直しなのですが、知里さんの「──小辞典」には chiray-ot-nay の読みとして「チらヨッナィ」とカナが振られています。アイヌ語はフランス語と同じようにリエゾンするというのが一般的な見解なのですが、「知来乙」も「チライオツナイ川」も y-o を「ヨ」とリエゾンするのでは無く、それぞれ独立した母音として「イオ」と発声していたようですね。

「知来乙」は石狩ですし、「チライオツナイ川」は十勝ですが、どちらも chiraychirai と発音する癖?があったのかも知れません。

伊忽保川(いこっぽ──)

ichaniw-ot-pe?
サクラマス・多くいる・もの(川)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
音更町の北東部を流れる士幌川の支流です。アイヌ語起源っぽい音ですが、肝心の意味がどうにも良くわかりません。というわけで、まずは更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」を見てみましょう。

 伊忽保川(いこっぽがわ)
 十勝川の右支流。意味不明。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.225 より引用)
……。相変わらず飛ばしてますね。ロックの塊です(意味不明)。

ただ幸いなことに、「士幌町」の章の中に次のような記述を見つけました。

 イシヨッポ
 士幌町の字名。士幌川と音更川にはさまれた地帯、五万分の地図には伊忽保(いこっぽ)とあり、士幌川の支流の名である。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.225 より引用)
どうやら「伊忽保」が「イシヨッポ」になっているようなのですね。残念ながら現在の地形図ではその存在を確認できないのですが、とりあえず続きを見てみましょうか。

永田氏は「ポンイコッポ?」と疑問地名としている。もしイショッポがイセポ、イソポであれば兎とも解される。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.225 より引用)
なるほど。もともと「イセポ」だったのが「イショポ」となり、やがて「イコッポ」となったのではないか、という説ですね。確かに、明治以降に和人の入植が広まるにつれて、アイヌ語由来の地名が読み間違い・書き間違いから変化していったのはあちこちで目にするのですが、この「イコッポ」という音については「東西蝦夷山川地理取調図」んも「ホンイコツホ」「ホロイコツホ」とあり、かなり古い時代から存在していたことを窺わせます。

また「うさぎ」を意味するアイヌ語の単語は、ほぼ道内全域において「イセポ」で通用していたようで、地域ごとの違いは殆ど見られないようでした。もちろんこれで「イコッポ」が「イセポ」の転訛であることが否定できるわけでは無いのですが、状況証拠としてはやや苦しくなったのも事実です。

山田秀三さんも「伊忽保川」には首を傾げていたようで、「北海道の川の名」には次のようにあります。

 参考のために「永田地名解」の中から、若干似た名前を挙げると、ユコペ(鹿多き処)〔白老郡〕がある。正確に書けば、ユコッペ(Yuk-ot-pe)であったろう。またユコッナイ(Yuk-ot-nai 鹿川)〔勇払郡〕のような類形名もある。あるいはこのユコッペの転か(ママ)?
(山田秀三「北海道の川の名」草風館『アイヌ語地名の研究 2』に所収)
ふむふむ。まだ続きがあります。

少しくだいて I-uk-ot-pe 「それを・捕る・(何時も……する)・処」とも読めないでもない(以上はどれも試案に過ぎない)。
(山田秀三「北海道の川の名」草風館『アイヌ語地名の研究 2』に所収)
どれもありそうな感じですが、逆に言えばどれも決定だとはなり得ない感じですね。試案というものは他にも出てくるもので、たとえば ukot-pet で「合流する・川」とも読めなくもありません。

「兎のいる川」とも読まれた由(北海道アイヌ語地名研究会)。どう読まれたか、あるいはイソポ(兎)の転とでも見られたものだろうか。
(山田秀三「北海道の川の名」草風館『アイヌ語地名の研究 2』に所収)
うーん、山田さんも「イセポ」説を捨てきれないのですね。確かに「伊忽保」が「伊惣保」の誤字だとしたら「イソポ」説も可能性が出て来るのですが、カタカナで「イコッポ」と書かれている以上その仮説は棄却されるわけで……。良くわからないですね。

2020/8/15 追記
古い地形図を確認してみた所、現在の「伊忽保川」の位置に「イチヤニウオペ」と描かれていました。ichaiw-ot-pe であれば「サクラマス・多くいる・もの(川)」ということになりそうですね。

アネップ川

ane-p
細い・もの(川)

(典拠あり、類型あり)
音更町の東部を流れる、長流枝内川(士幌川水系)の支流です。地形図で見てみると、台地の中を深くえぐっている川のように見えますが、果たしてどんな意味なのでしょうか。

今回は、久しぶりに「角川──」(略──)を見てみましょう。

 あねっぷ アネップ <音更町>
〔近代〕大正14年~昭和55年の行政字名。はじめ音更(おとふけ)村,昭和28年からは音更町の行政字。もとは音更村大字蝶多村の一部。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.85 より引用)
ふむふむ。もともとは「アネップ」という地名があったのですね(昭和55年に廃されたということでしょうか)。

地名は,
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.85 より引用)
キター!(・∀・)

アイヌ語で「細い川」の意。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.85 より引用)
ふむふむなるほど。ane-pet あるいは ane-p だったようですね。意味は「細い・川」あるいは「細い・もの(川)」。どちらの解釈でも意味はほぼ違いありません。

昭和54年一部が字東和,同55年残部が字長流枝(おさるし)となる。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.85 より引用)
そういうことでしたか。「アネップ」という地名は分割された上で統廃合されてしまったのですね。

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2014年8月29日金曜日

道東の旅 2013/春 (74) 「ワッカ・原生花園・の環境」

ネイチャーセンターへ Go!

それでは、「ワッカ原生花園」ネイチャーセンターを見に行きましょう。
ご覧の通り、なかなか立派な建物です。
では、中に入りましょう……。
中に入ってみると……おおっ!
誰もいません(そこか)。いや、まだ連休の初日の朝 9 時過ぎですし、人影がまばらでも驚くことはありません。あ、もちろん係員の方はいらっしゃいますのでご安心を。

まずは「常呂遺跡」から

中には手作り感覚のパネルがたくさん並んでいるのですが、真っ先に目についたのがこちら。
原生花園では無く「常呂遺跡」を取りあげたパネルでした。「ワッカから車で 3 分」とあるのですが、実はこの常呂遺跡、「サロマ湖鶴雅リゾート」のすぐ目の前だったりします。もう少し早く気づいておけば……という話ですが、いつものことですね。
オホーツク文化」は、北海道の、いや日本の歴史の中でも群を抜いてミステリアスなものですね。大陸系のオホーツク文化はアイヌの文化と比べても異質なものだったようで、オホーツク文化の担い手はニヴフ(ギリヤーク)の祖先だったのでは、という説もあるようです。

「ワッカ・原生花園・の環境」

「常呂遺跡」のパネルの隣には、
「ワッカ」、
「原生花園」、
「の環境」というパネルが並んでいました。ワッカ原生花園の土地区分は大別すると「海浜」「塩性湿地」「海岸砂丘」「海岸草原」となるようで、それぞれを代表する植物が紹介されています。

砂嘴という地形はどちらかと言えば「役に立たない」土地ですが、そのおかげで多種多様な植物の宝庫となっているのですね。

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2014年8月28日木曜日

道東の旅 2013/春 (73) 「許可車両以外は通行禁止」

行き先はいつも行き止まり

かつての「湖の出口」にかかる栄浦大橋を渡ると、「ワッカ原生花園」のネイチャーセンターまではもうすぐです。
前方になにやら立派な建物が見えてきました。そして……
「車両通行止め」の標識がついたゲートが。またしても「通行止めブログ」の本領発揮のようです。

歩行者・自転車・許可車両以外は通行禁止

ふむふむ。「これより先は、自然保護専用道路のため、歩行者・自転車・許可車両以外の車両は通行できません。」とありますね。
野付半島でも見かけた「車馬等乗入れ規制地域図」がありました。
遮断機の横にはこんな標識も。
もしかして、勝手に進入する輩が少なくないのでしょうか……。

今は荒涼とした景色だけど

遮断機の向こうには、柵で覆われた道路(自然保護専用道路)が続いています。
まだ時期が早すぎたのか、周りには荒涼とした景色が広がっていたのですが、夏頃にはこんなに色鮮やかになるのですね。
自家用車で入れるのはここまでだとわかったので、駐車場に車を停めて、ネイチャーセンターに向かうことにしましょう。

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2014年8月27日水曜日

道東の旅 2013/春 (72) 「ある日突然淡水湖が汽水湖に!」

Day 3 のルート……?

朝の 9 時を少し回ったところで、Day 3 のスタートです。この日の目的地は斜里郡斜里町の知床斜里駅前、ということは……


実は、現在地からたった 83 km しかありません。Day 2 は 383 km もあったのに、この落差は一体……(汗)。もちろんこのままでは 2 時間でゴールに到着してしまうので、あちこち見て回ろう、という腹づもりです。

まずは「ワッカ原生花園」へ

というわけで、Day 3 はいつになく時間に余裕があるので、まずは「ワッカ原生花園」のネイチャーセンターに行くことにしました。

道道 442 号線は常呂町栄浦のはずれで右にカーブしているのですが、案内板に従って(見えますか?)左に曲がります。
まっすぐ行くと漁港に向かってしまうため、80 m ほど先で今度は右折です。
ちゃんと案内板もあるので、それに従って行けば間違いありません。
60 m ほど進むと「栄浦大橋」が見えてきます。
栄浦の東隣の集落は「鐺沸」と書いて「とーふつ」と読むのですが、かつてはトープト゚と呼ばれていたところで、その名の通り「湖の口」、即ちサロマ湖のオホーツク海への出口でした。

サロマ湖の「出口」にまつわる話

現在では、砂嘴に二つの湖口ができたため、鐺沸とオホーツク海の間は常時閉じられた形となっています。かつての湖口は、現在は漁港として活用されていることになりますね。

Wikipedia を見てみると、このあたりの経緯について面白い話がありました。

かつては恒久的な湖口を持たず、春になると砂州東端の鐺沸(とうふつ)近くに湖口が開き、秋になると漂砂で閉塞していた。
(Wikipedia 日本語版「サロマ湖」より引用)
へぇー。湖口が閉じたり閉まったり……じゃなくて閉じたり開いたりしていたのですね。面白いですね。

湖水位の上昇は沿岸に湿地帯を多く生じさせ、増水時には氾濫被害なども生じることや、湖口閉塞が漁船の外海との往来に支障することから、毎年融雪期になると鐺沸地域の住民達は人為的に湖口を開削していた。
(Wikipedia 日本語版「サロマ湖」より引用)
水の出口が無いということは、サロマ湖の水位は冬の間どんどん上昇していたことになりますから、確かに氾濫が起こっても何の不思議もありません。そのため、春が近づくと住民の手で毎年水路が開削されていた……というのですね。

永久湖口の開削へ

さすがに毎年水路を開削するのは手間がかかるということもあったのでしょうが、「出口」のロケーションも不便なところにあったこともあり、やがて常設の湖口を求める声が高まって行きます。

鐺沸の湖口は湖の東端に偏っており、西岸・南岸の湖岸住民たちは外海との往来に鐺沸への大回りをするか、さもなければ小舟を人力で引き揚げて、湖と外海の間の砂州を乗り越える作業を余儀なくされた。湖水位上昇の被害とも相まって西岸・南岸の住民には西寄り湖口開削の希望が強かった。
(Wikipedia 日本語版「サロマ湖」より引用)
地図を見るとわかるのですが、鐺沸はサロマ湖の東端に位置するため、たとえば計呂地あたりからオホーツク海に出るのは相当な遠回りを強いられていたことになります。サロマ湖の中央寄りにオホーツク海への出口を設けることが熱望されたのも頷けますね。

1920年代には東岸住民らの反対を押し切って、西岸住民らの西寄り開削が繰り返されたものの、試掘の度に自然閉塞が生じ、試みは頓挫していた。
(Wikipedia 日本語版「サロマ湖」より引用)
こういった話で利害が一致しないのは良くある話ですが、サロマ湖でもこんな話があったのですね。もっとも、掘っても掘ってもいつの間にか埋もれてしまって、骨折り損に終わっていたようですが……

しかし、1929年春、湧別町の住民達が西寄りにある三里番屋付近に新たな湖口を試削したところ、同年4月の荒天による湖水大量流出などが影響、開削部が短期間で自然拡大して、幅100mを超える永久湖口へと変じた。以降鐺沸湖口が開かれることはなくなり、湖面はほぼ常時海水面同等の水位となった。
(Wikipedia 日本語版「サロマ湖」より引用)
長年の努力が実ったのか、ついにブレイクスルーの時を迎えたということですね。これによって、サロマ湖はオホーツク海と常時繋がることになったわけですが……

ある日突然淡水湖が汽水湖に!

永久湖口の開削はオホーツク海への出入りを便利にした反面、サロマ湖の性質を一変させてしまうことになります。

1929年の永久湖口の開削以降、サロマ湖への海水の流入は増え、湖水の塩分は海水に近いものとなり、海水魚も多く入り込むようになった。水質・水温の急激な変化は生態系を変え、かつて鐺沸地域などで豊富に採取できた天然カキは短期間で壊滅した。
(Wikipedia 日本語版「サロマ湖」より引用)
こういった、後戻りできない弊害もあったということですね。永久湖口が出来る前は淡水湖に限りなく近い状態だったのが、常時オホーツク海と繋がることで塩分濃度が海に近い汽水湖になってしまった、ということでしょう。

この水質の激変で被害を受けたのが、湖口の開削には消極的だった鐺沸の牡蠣だったというのは実に皮肉な話です。湧別町民(開削した側)と常呂町民(被害を受けた側)の間には相当な諍いがあったのではないでしょうか……。

一時期、湧別町・佐呂間町・常呂町で合併する話が進んでいたとも聞きますが、結局破談になっています。およそ八十年前のこの一件が破談の原因だ……なんてことは無いでしょうが、因縁めいたものは感じられますね。

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2014年8月26日火曜日

Bojan のホテル探訪~「サロマ湖鶴雅リゾート」編(おしまい)

夕食と朝食はバイキングでした。一応、自分で盛りつけた後の写真は撮影してあるのですが、ここに掲載してしまうと逆効果になりそうな気がするので、今回は自粛します(汗)。

いい感じのロビー

……あ、そうすると後はネタが殆ど残ってないですね(今頃気づいた)。未紹介の写真を何枚かお目に入れましょうか。
ホテルにありがちな、ちょっと低い天井の下を歩いて行くと……吹き抜けの横に出てきました。
吹き抜けの下はエントランスで、横にはフロントもあります。
フロントの向こうには広いロビーがあって、脇には巨大なペチカ?も。この雰囲気は実にいいですね。
また、フロントの隣にはこんなところも。
大人も子どもも楽しめる「図書室」のような部屋ですね。

夕陽の見頃は

このホテルはサロマ湖の自然が売り(だと思う)なので、さりげなくこういった情報提供も。
もちろん建物内にも色々な設備が充実しています。売店の品揃えもなかなかのものでした。
一応、朝食会場(夕食会場と同じ)の入口の写真だけ。

Rating

部屋の感じからは「最新!」という印象は受けなかったのですが、この「サロマ湖鶴雅リゾート」は、もともとは「サロマ湖東急リゾート」だった建物を引き継いでいたのだとか。意外とコンパクトな感じにまとまっていたのは、もしかしたらこれが原因だったのかもしれません。

Rating は「★★★★・」(星 4 つ)ということで。大きすぎず小さすぎない絶妙な規模感なのもポイント高いです。湖畔でゆっくりとした時の流れに身を委ねるのも……いいのではないでしょうか。

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2014年8月25日月曜日

Bojan のホテル探訪~「サロマ湖鶴雅リゾート」編(つづき)

続いては、いつもの通り水回り編です。

ごくごく一般的なバス・トイレ

バス・トイレは、ビジネスホテルにあるものと違いはありません。
ご覧の通り、とても一般的な構造です。
あえて特色を見いだしてみると、このアメニティグッズ一式が置いてある棚でしょうか。場所をうまく使っていますね。
備え付けのドライヤーと、ボトル式のシャンプー・コンディショナー・ボディソープが並びます。
シャワーの水栓はサーモスタット式では無い普通のタイプです。温度と流量の調整が少々面倒くさいですね……。

ごもっともな「お願い」

トイレットペーパーは上下二段に装着済みですが……
下段に装着済みのトイレットペーパーにはこんな文言が。
至極ごもっともな「お願い」ですね。

キーワードは「木目調」

寝室に戻りましょう。キーホルダーは「鷲」の形の木製のものです。
ベッドとベッドの間の台(これ、何と言うんでしたっけ)も極々一般的なものです。
ちょっと古めのタイプのものですね。木目調なのは全体の雰囲気と良くマッチしています。

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2014年8月24日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (206) 「シブサラビバウシ川・鎮錬・然別」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

シブサラビバウシ川

sup-sar-pipa-us-i?
葦・湿原・からす貝・多くある・ところ
(? = 典拠あり、類型未確認)
清水町美蔓のあたりから南東に流れて、帯広市で然別川に流れる川の名前です。「ビバウシ」は pipa-us-i なのでしょうが、「シブサラ」の意味がピンと来ません。ということで、今回も山田秀三さんの「北海道の地名」から。

 ピパウシはピパ・ウシ・イ「からす貝・多い・もの(川)」であるが,シプサラの語意不明。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.316 より引用)
ありゃりゃ……。

この川口から西にかけての十勝川北岸がシュプサラと呼ばれていたので,そこのピパウシという意だったかもしれない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.316 より引用)
ふむふむ。東西蝦夷山川地理取調図を見ると、確かにこのあたりに「シユフシヤリ」という川があったように描かれていますね。

ただしそのシュプサラの意味も分からない。あるいはシュプキ・サラ(shupki-sar 葭の・草原)が略された形ででもあったろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.316 より引用)
なるほど。supki-sar の省略形ではないか、という説ですね。

何かヒントが無いかと思って「東西蝦夷山川地理取調図」を眺めていたのですが、「シユフシヤリ」の隣に「シユフンシマリヒトウシ」という川名?を見かけました。「シユフ」が「シユフン」だとすると、これは supun だった可能性もあるかもしれません。supun だと「ウグイ」となりますね。

このあたりは「ピパウシ」という川名がとても多かったため、区別のために接頭辞をつけた、という考え方は間違いでは無さそうな感じがします。シブサラビバウシは sup-sar-pipa-us-i で「葦・湿原」の「からす貝・多くある・ところ」か、あるいは supun-sar-pipa-us-i で「ウグイ・湿原」の「からす貝・多くある・ところ」と考えられそうかな、と思います。

鎮錬(ちんねる)

chin-rerke-oma-p?
(獣の皮の)張り枠・山向こうのところ・そこにある・もの
(? = 典拠あり、類型未確認)
音更町西部の地名です。いかにも珍名の予感がしますが、さて実際は……。

今回も、山田秀三さんの「北海道の地名」から。

永田地名解は「チン・レリㇰ・オマㇷ゚。獣皮を乾す彼方なる処?」と書いた。また大正初年の安田巌城氏は「原称はチンレレコマペッである」と書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.316 より引用)
ふむふむ。やはりと言うべきか、何とも変わった解釈がついていますね。ちなみに「東西蝦夷山川地理取調図」には「チンレリコマヘツ」とありますので、概ね違いは無いようですね。続きを見てみましょう。

チンレルコマプ← chin-rerke-oma-p「獣皮乾し枠の・向こうの処・にある・もの(川)」(-p は pet でも実際は同義)だったのであろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.316 より引用)
なるほど……。chin-rerke-oma-p ですね。確かに「(獣の皮の)張り枠・山向こうのところ・そこにある・もの」と解釈できます。何とも奇妙な地名に思えますが、旧・歌登町にも「毛登別」という地名があったりするので、実はちょくちょくある類のものなのかも知れません。

然別(しかりべつ)

si-kari-pet
自分を・回す・川
(典拠あり、類型多数)
河東郡鹿追町と河東郡音更町を流れる川の名前で、音更町には同名の地名もあります。上流部にある「然別湖」も有名ですね。

では、今回は更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」を見てみましょう。

 然別川(しかりべつがわ)
 十勝川の支流。まがりくねっている川の意。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.221 より引用)
えっ? もしかして、もう終わりですか?(汗)

あまりにあっさりと終わってしまったので、気を取り直して。山田秀三さんの「北海道の地名」から。

だいたいこの地方の大川はまっすぐ南流しているのに,この川だけが違った流れである。然別がシ・カリ・ペッ(shi-kari-pet 自分を・回す。川→回っている川)と呼ばれたのはその形からなのであろう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.316 より引用)
確かに、士幌川も音更川も佐幌川も、割とまっすぐ北から南に流れていますが、然別川だけが巨大な S 字を描いていますね。そこからの命名で si-kari-pet なのですね。意味は「自分を・回す・川」で良さそうな感じです。

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2014年8月23日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (205) 「熊牛・毛根・美蔓」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

熊牛(くまうし)

kuma-us-i
物乾かし棚・多くある・川
(典拠あり、類型あり)
清水町東部の地名・川名です。割と良くある地名なのですが、さてその意味は……。まずは山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみましょう。

クマウシ(kuma-ush-i 物乾し・多くある・処,川)の意。クマは先が二股になった棒を二本立てて,上に物乾し竿を渡し,魚などを懸けて乾したもののことであった。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.321 より引用)
ふむふむ。割とそのまんまの感じですね。念のため、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」も見ておきましょうか。

もともとは十勝川東岸のアイヌ地名で、クマは物干竿のことで、それの沢山あるところという意で、魚が沢山とれたのを竿にかけて乾したところで、豊漁の地ということである。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.222 より引用)
「で、で、で、で、である」というのがいかにも更科さん風の文章ですが、大意はほぼ同じようですね。kuma-us-i で「物乾かし棚・多くある・川」と解釈できそうです。

ちなみに、明治期の地図を見てみると、熊牛川と思しきところに「シペウンペツ」と記されています。これは sipe-un-pet で「本当の食べ物(鮭)・多くある・川」なのでしょうね。更科さんが「豊漁の地」と記したのも然もありなんといったところでしょうか。

毛根(けね)

kene
はんのき
(典拠あり、類型多数)
思わず、中村雅俊さんの顔が浮かんだりしますが……(なんでだ)。「もうこん」だと意味不明ですが、「けね」だと実は意味は簡単だったりしてですね……。あ、芽室町西部の地名です。

更科さんの「──地名解」に記載がありましたので、一応引用しておきましょう。

芽室町の十勝川北岸の字名。ケネははんのきのことであり、この付近ははんのきが多かったのでそう呼んだという。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.223 より引用)※ 強調部は原著者による

はい。kene は「はんのき」のことですね。もともとは kene-us-i なり kene-pet などと言った地名(川名か)だったと思われるのですが、松浦武四郎の「東西蝦夷山川地理取調図」にも、既に「ケ子」としか書かれていなかったので、随分前から「けね」と呼ばれていたものと考えられます。

なお、現地には「毛根 27 号」という道路?の案内板もあるのだとか。一度現物を見てみたいですね。

美蔓(びまん)

pipa-us-i
からす貝・多くある・ところ
(典拠あり、類型多数)
上川郡清水町から河東郡鹿追町にまたがる地名です。

なんだか良く分からない地名が出てきました。まずは更科さんの「──地名解」を見てみましょうか。

清水町の字名、鹿追町内にも同じ字名がある。アイヌ語のピパウシのなまったものと思われる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.222 より引用)
ふむふむ。pipa-us-i だと「からす貝・多くある・ところ」となるのですが、「びまん」と「ぴぱうし」では相当な違いがあるのが気になります。やはり更科さんもその点が気になったようで、

然しピパウシがビマンになるということは、無理のようにも思われるが、
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.222 より引用)
と書いてみたものの、

この付近に適当の地名が見当たらない。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.222 より引用)
最後は投げやりになってしまったようです。This is rock! ですね。

更科さんが投げやりになってしまったので、山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみましょうか。

美蔓 びまん
 清水町内。サオロブト(佐幌川口)から東北に少し行った処で,芽室町,鹿追町との境の辺の地名。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.321 より引用)
はい。ここまでは問題無いですね。

この土地の名は元来はピパウシであったのが訛って美蔓となったものらしい。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.321 より引用)
ありゃ。更科さんと同じことを書いているのですが、これだと何故「ぴぱうし」が「びまん」になったのかが良くわかりません。

ところが、おかしなことがあるもので……。「北海道の地名」の p.317 には、次のように記載があります。

美蔓 びまん
 美蔓は芽室町,清水町,鹿追町にわたってある地名。元来は美蔓(ビバウシ)村と呼ばれた旧村名からの名残りであろう。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.317 より引用)
何故か「美蔓」の項目が 4 ページ前にもあって、そこにはもう少し掘り下げた既述がありました。

大日本地名辞書(明治35年)は芽室村の処で「美蔓(ピパウシ)。ビハウと訛り,美蔓(蔓延の義に借る)とあてたるならん」と書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.317 より引用)
原本の「大日本地名辞書」には、次のようにあります。

ビハフと訛り、美蔓(蔓延の義にかる)とあてしならんが、美帽子と仮借するにしかず。
(吉田東伍・編「大日本地名辞書 第八巻」冨山房 p.301 より引用)
やはり「美蔓」を「ピパウシ」と読ませるのは無理があったのか、「美帽子」と書かれたこともあったようですね。これはこれで面白い地名になったと思うのですが、残念ながら?「美蔓」という字が生き残ってしまったようです。

なぜ「蔓」といった字が当てられたのか……ですが、この字は「蔓延る」と書いて「はびこる」と読ませますよね。おそらくそこから「はび」あるいは「はぶ」と読ませようとした、のではないでしょうか。ただ流石に無理があったか、結局は「蔓」を「まん」と読ませることになってしまった、というオチのようです。

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2014年8月22日金曜日

Bojan のホテル探訪~「サロマ湖鶴雅リゾート」編

この日のお宿は佐呂間湖畔にある「サロマ湖鶴雅リゾート」でした。車寄せに停めたところ、あとは係の人が駐車場に入れて下さるとのこと。ちょうど雨も降っていたので、これ幸いとフロントに向かったのでした。

窓の外には

ささっとチェックインを済ませた後、部屋まで案内してもらいました。
南向きの部屋で、窓からは……
車寄せと駐車場が見えます。よーく見るとうちの車もありますね。駐車場の向こうに見えるのが日本最大の汽水湖・サロマ湖ですね。

ベッドとソファー

ベッドはツインで、
窓側には三人分のソファーが。決して広くはありませんが、まぁ、これで十分でしょう(体格のいい欧米人にはちょっと厳しいかも?)。

デスクやテレビなど

壁際にはデスクと冷蔵庫、そしてテレビ台などが並んでいます。どれも「ちょうどいい」サイズにまとまっていますね。
テレビの下にはセキュリティボックスが。長期滞在型のホテルにはあると嬉しい機能ですね。テレビの下に剥き出しになっているのは少々アレですが……(笑)。

木目調の冷蔵庫

秀逸なのがこの冷蔵庫で、全体のイメージを損なわないように、同一系統の木目調になっています。
冷蔵庫の中は空っぽになっています。自販機等で購入して持ち込むのが前提ですね。まぁ、これはこのご時世仕方がないでしょう。

オリジナルブレンド

そして冷蔵庫の上には「オリジナルブレンド」というラベルが貼られた瓶の中にコーヒー豆が。
隣にはミルつきのコーヒーメーカーが。コーヒー好きの人には堪らないサービスですね!

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