2014年8月17日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (204) 「イワシマクシュベツ川・羽帯・人舞」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)

イワシマクシュベツ川

iwaw-suma-kus-pet?
硫黄・岩・通る・川
iwaw-suma-kes-pet?
硫黄・岩・末端・川

(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
佐幌川の支流で、清水町西部を流れる川の名前です。イワシマさんの通行路だったらどうしようかと思いつつ、山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみましょう。

 清水市街の北にある佐幌川西支流。永田地名解は「イワ・シュマ・ケㇱ・ペッ。岩下川」と書いたが何か腑に落ちない。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.320 より引用)
ふむふむ。ただ、なんとなくヒントは掴めたような感じがしてきました。

松浦武四郎の登加智留宇智之日誌(自筆未刊本)では「イワヲシユマクシヘツ。此山に硫黄有るよし。イワヲシユマは硫黄の有る岩なり」と書いた。同行あるいは土地のアイヌの話らしい。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.320 より引用)
あっ、なるほどー。iwaw-suma-kus-pet で「硫黄・岩・通る・川」なのですね。あるいは永田方正説の kes を採って iwaw-suma-kes-pet で「硫黄・岩・末端・川」でも良いのかもしれません。

羽帯(はおび)

pon-i-o-p
小さな・アレ・多くいる・ところ

(典拠あり、類型あり)
JR 根室本線の十勝清水駅から根室方面に向かうと、次の駅が「羽帯駅」です。清水町のちょうど中央部に当たりますが、十勝清水駅と御影駅の駅前がそこそこ栄えているのに比べると、羽帯駅の周りは少々寂しい感じがします。

では、「北海道駅名の起源」を見てみましょう。

  羽 帯(はおび)
所在地 (十勝国)上川郡清水町
開 駅 昭和33年9月10日 (客)
起 源 付近にホネキップ川(長い帯状の美しい川の意)が流れ、その近くを羽帯部落と称していたところから、この部落名を駅名としたものである。
(「北海道駅名の起源(昭和48年版)」日本国有鉄道北海道総局 p.123 より引用)
むむっ。確かに羽帯駅の近くに川が流れているのですが、地形図で見ると「ホネップ川」とあります。誤植なのか、それとも……?

では、セカンドオピニオン行ってみましょう。ロックな地名解で人気の更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」から。

明治三十年代の五万分図にはポニオプとあり、私が古老から聞いたところでは、ポネオプであると教えられた。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.222 より引用)
ふむふむ。確かに明治期の道庁 20 万図にも「ポニオプ」とあります。東西蝦夷山川地理取調図には「ホ子ヲク」とあるのですが、いずれにせよ「ホネップ」は間違いっぽい雰囲気ですね。

で、肝心の「ポネオプ」の意味ですが……。

ポネオプでは骨の槍のことであるが、これでは地名にならない。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.222 より引用)
さすがです。一刀両断ですね(笑)。

……ただ、これでは残念ながら意味が良くわかりません。山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみましょうか。

ここは明治の20万分図や5万分図ではポニオプと書かれた場所である。永田地名解は「ポニオプ。小蛇多き処。一説ポネオプにて骨槍の義。羽帯(ハネオブ)村と称す」と書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.319 より引用)
ふーむ。更科さんが一刀両断した pone-op 説は、永田地名解から来ていたのですね。確かに「骨・槍」ですがあまりに意味不明です。

もう一つの pon-i-o-p 説は、まだあり得そうな解釈ですね。「小さな・アレ・多くいる・ところ」となりますね。「アレ」は「羆」など、言挙げを憚る対象の事物に使いますが、「小さなアレ」は蛇を指したと考えて良さそうですね。

「ポニオㇷ゚」が「はねおび」となり、「羽帯」という字が当てられた後に読みが「はおび」になった、といったところでしょうか。

人舞(ひとまい)

{si-tu}-oma-p??
{山の走り根}・そこに入る・もの(川)

(?? = 典拠なし、類型あり)
清水町北部の地名。十勝川の西側で、川に沿って南北に伸びています。

では、引き続き更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」から。

 昔は人舞村と書いてシトマップと呼んだところであるが、昭和二年に清水村と改めたのである。現在でも字名には人舞というのがのこっている。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.222 より引用)
ふむふむ。言われてみれば「舞」の字はかつて「マップ」と読ませていた例が多いような気がしてきました。気がしただけですけどね(確かめてないです)。

地名の起りは十勝川の岸のニトオマプという小川の名で、ニトのある川ということであるが、
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.222 より引用)
「ニト」とは一体何でしょう? 手元の辞書で調べても見つからなかったのですが……。

ニトはこの地方で葛のことをそう呼ぶと芽室の老婆に教えられた。葛の蔓は昔縄の代用とて重要なものであった。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.222 より引用)
なるほどー。ただ、異説もあるようで、

永田氏はニト゚は「寄木」であるという。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.222 より引用)
永田氏とは永田方正のことですが、確かに「──地名解」には「ニト゚ オマㇷ゚」であるとして「寄木川」と記しています。残念ながら nitu を「寄木」と解釈する例を辞書類には見つけられなかったのですが、tu は「峰」という意味もあるので、ni-tu で「木・峰」と考えることは可能かもしれません。

結論ですが、今日の所は両論併記で(汗)。更科説だと nito-oma-p で「葛・そこにある・もの」、永田説だと nitu-oma-p で「寄木・そこにある・もの」となりそうです。

2020/8/15 追記
「シトマップ」という記録がありますが、これを素直に {si-tu}-oma-p で「{山の走り根}・そこに入る・もの(川)」と解釈できることに気がつきました。人舞の西に巨大な台地があるのですが、これを situ と考えることができそうな気がしています。

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