2014年8月12日火曜日

道東の旅 2013/春 (64) 「小利別駅跡」

懐かしい小振りの案内板

「ちほく高原鉄道ふるさと銀河線」(長いよね)の「小利別駅」はこちら! という看板に吸い寄せられて、ふらふら~っとやってきました(まるで蚊だね)。駅の近くで、再度案内板を見かけたのですが……
見えますか? 一応念のためにクローズアップしたものも。
このデザインと褪色具合、これは国鉄池北線の頃からここに立っていたものでしょうね。駅は廃止されてしまいましたが、小振りの案内板は今も残されたままです。

小利別駅

残されているのは案内板だけではなく、ご覧のように駅舎もしっかりと残っています。この駅舎は比較的新しそうに見えるので、おそらくは「ちほく高原鉄道」に移管された後で建て替えられたものでしょうね。
誰もいない廃駅舎の中に入ってみました。パンフレット立てには「雑記帳(旅の便り)」と記されたノートなどがそのまま置いてありました。
一見すると「駅名標かな?」と思わせるこの金属板(ホーロー板ですかね?)は、植樹記念のモニュメントのようですね。そして、床には掃除された形跡がありますね。
この駅舎は見た感じバス停としての機能も有していないようなので、完全に用途の無い建物と化しているようなのですが、それでもこうやって掃除をしている人がいるというのは幸せなことですね。

時刻表もそのまま残されていました。一日 6 往復で、うち 1 本は帯広直通の快速だったのですね。小利別駅は快速停車駅だったようです。
壁の前には木製の長椅子が。ちょうど大人が横になれそうなサイズですね。夏場はこっそり野宿する人もいるのかも……。
壁面には地図などが貼られているのですが、「2007 晴雨表入り 年間予定表」なるものも。

「晴雨表」という言葉は初めて聞いたのですが、その日の天気を書き込んでいくタイプのカレンダーなのですね。川の水量や土砂災害のリスクを把握するのには便利なのかもしれません。なぜ駅の待合室に? という疑問は残りますが……。

静かに自然に還りゆく

駅舎からホームに出てみました。駅名標の姿はもうありません。
小利別駅は交換設備のある駅だったようですが、ホームの前、即ち本来は線路が通っていた筈のところにも木が生えているのが見て取れます。「ふるさと銀河線」が廃止される前から交換設備は使用されなくなったのかな? と思ったのですが、どうやら国鉄時代の 1986 年に交換設備は廃止されていたみたいです。
陸別駅は「現役の駅」のままでしたが、同じ町内でも小利別駅は、完全に「廃線の駅」になってしまっていました。

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