2014年7月17日木曜日

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道東の旅 2013/春 (47) 「狩勝峠の想定ルートは三つあった」

 

狩勝第 1 トンネル

トマム IC を通過して南富良野町に入ると、程なく「狩勝第 1 トンネル」が近づいてきます。
さすがに、今更「道東道のトンネル特集」をすることになるとは思っていなかったので、きちんと写真は撮れていないのですが……
長さは 2,350 m だったようです(ボケボケの写真で申し訳ありません)。

狩勝第 2 トンネル

トンネルを抜けると、1 km ほど先に次のトンネルが見えてきます。
ルウオマンソラプチ川を越えると、トンネルの入口は目の前です。新得町のカントリーサインが見えますね。
道東道は、この「狩勝第 2 トンネル」で日高山系の山を越えます。トンネルの長さは 2,580 m ということで、決して短くはありませんが、ここまでに 4 km 級のトンネルを通ってきているだけに、もう「長大トンネル」という感じもしなくなっているので困ったものです。

狩勝峠の想定ルートは三つあった

さて、今更ではありますが、狩勝峠の地形を確認しておきましょう。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
と十の間の峠なので「狩勝峠」なのですが、この名付け親も田辺朔郎だと言われています。田辺は旭川から帯広に鉄道を敷設するにあたって最適なルートを確かめるために、このあたりも実地踏査したと言われていますね。

このあたりのエピソードも、田村喜子「北海道浪漫鉄道」に詳しいです。

田辺は、落合から新得に抜けるルートとして、(1) 佐幌岳の北側を迂回する、(2) 狩勝峠(国道 38 号)沿いを通る、(3) ペケレベツ岳の南側を抜ける、という三案を検討していたと言われます。

「北海道浪漫鉄道」によると、事前に腹心の部下に (1) と (3) を探索させたところ、いずれも「鹿と地元民しか通らないけもの道」だとして鉄道敷設は不可能である、との結論に達していたとのこと。一縷の望みを繋ぐべく、田辺自らが (2) のルートを踏破したところ、線路を敷設するに有力なルートであると認められたため、最終的に北海道官設鉄道は狩勝峠沿いに敷設されることになります。

その後、狩勝峠越えは勾配が急すぎるとして、南側に掘削された「新狩勝トンネル」を通るようにルート変更されました。現在の根室本線・石勝線のルートです。

第三ルートの謎

ここで気になるのが「ペケレベツ岳の南側」を抜けるルートです。ペケレベツは清水町の語源ともなっている川の名前で、日勝峠の南側に位置する標高 1,532 m の山の名前でもあります。

ただ、地図で見てみると、ペケレベツ岳の南側は、落合と帯広を結ぶルートとしてはあまりに不自然です。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
これはどうしたことだろう……と「北海道浪漫鉄道」を読み返したのですが、どうやら田辺の構想にあった「ペケレベツ岳」は、現在のペケレベツ岳とは全く別の山を指していたようです。具体的には、地図の上側に赤い円がありますが、このあたりの山を「ペケレベツ岳」と呼んでいたと考えられます。

つまり、田辺が構想した「ルート (3)」は、現在の道東道のルートとほぼ同一だった、ということになります。確かに、たった(!)2.6 km のトンネルで日高山系を越えられるのですから、現代の掘削技術で建設する高速道路のルートとしては、非常に優秀なのだと言えそうですね。

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