(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
フモンケ
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
安平町西部の川名・旧地名。一見「???」となってしまいそうな地名ですが、果たしてその由来は……。我らが「角川──」(略──)に記述がありましたので、早速見てみましょう。とみおか 富岡 <早来町>
〔近代〕昭和32年~ 現在の早来(はやきた)町の行政字名。もとは早来村の一部, フモンケ・トアサ・早来・安平・シアビラ・追分など。苫小牧のビビ(美々)地区の住人により開発が進められ, 早来では最も早く開かれた地域。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.986 より引用)
ふむふむ。一見「フモンケ」とは何の関係も無さそうに見えますが……続きがあります。もとはフモンケと呼び, アイヌ語のフムンケイで,「鳥のとびたつ音」との意(早来町のアイヌ語地名/早来町史) のちに富門華の字が当てられる。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.986 より引用)
ほほう(驚)。なるほど、そういうことですか。それにしても、「フムンケイ」を「鳥のとびたつ音」と解するのは少々難解なのですが……。とりあえず、手がかりはできたのでもう少し深掘りしてみましょうか。明治29年の「北海道地形図」を見てみると、現在の「フモンケ川」と思しきところに「フモソケヘエ」とあります。「ソ」は「ン」の誤読あるいは誤記かな、と思いますが、「ケヘエ」が何のことやら……ですね。高田屋さんでしょうか(違います)。
一方で、東西蝦夷山川地理取調図には「フムンケイ」という川の存在が見て取れます。これらの情報を総合すると、hum-un-ke-i で「音・出す・ところ」とでもなるのでしょうか。
un-ke を「ある・ところ」と解釈してしまうと -i が良くわからないことになってしまうので、-ke は「自動詞について他動詞をつくる」ほうの意味だと解釈しました。うまくニュアンスが出せているかは不明ですが……。
それにしても、「フムンケイ」あるいは「フモンケ」に「富門華」という文字を充てたのは素敵だと思うのですが、やはり読みづらかったんでしょうかね……。
真々地(ままち)
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
千歳市中心部、千歳 IC 近くの地名。「ママチ川」という川もあります。この地名がアイヌ語に由来するかどうかは少々疑わしいのですが……。山田秀三さんの「北海道の地名」には、次のようにあります。ママチの意味はよく分からない。鮭がたくさん捕れてそれを焼魚にしたからマ・マチ(ma-machi 焼く・女)というとの説も聞いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.55 より引用)
どうやら、この「焼く・女」説がメジャーなようですね。まだ続きもあります。千歳の長見義三氏はメモチ「mem-ot-i 泉池・だらけの・もの(川)」かとも書かれた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.55 より引用)
ふむふむ。こちらのほうが地形の特長を客観的に示しているということでより地名っぽく感じられるのですが、果たしてどうでしょうか。ひとつ面白い符合があるのですが、真々地の西、千歳 IC の入口のあたりは「泉沢」という地名なのだそうです。実際に泉のように湧き出る沢があるのであれば、mem-ot-i という地名も俄然真実味を帯びてきますね。内別川(ないべつ──)
(典拠あり、類型あり)
千歳市蘭越のあたりで千歳川と合流する支流の名前です。合流部に程近いところには「苗別橋」もあります。では、今回も「北海道の地名」から。
苗別川 ないべつがわ
千歳市街から支笏湖への道を少し上って行くと苗別橋があり,小さな苗別川が右から流れて本流に入っている。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.55 より引用)
あ、現在の地形図には「内別川」と書いてありますが、やはり旧名は「苗別川」と書いて「ないべつがわ」と読ませていたようですね。ナイとべッを並べたみたいで,時々同好者から質問される。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.55 より引用)
あはは(笑)。そうですよね。nay も pet も、どちらも「川」と訳される場合があります。「ないべつがわ」であれば「川川川」となる可能性すら出てきます。永田地名解は「ナイプトゥ nai-putu。沢・口。此小川は無名にして唯沢口のみナイプトゥの名あり。此沢口は鮭多し。故に此名を附したるならんと云」と書いた。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.55 より引用)
なるほど。nay-putu で「沢・河口」なのですね。ということは、千歳川との合流部(即ち「内別川」の河口)に「苗別橋」があるのは実に適切なロケーションだということになりますね。この川は無名の沢だったために、本来は合流部を指す nay-putu がそのまま川の名前になってしまった、ということのようです。
(この背景地図等データは、国土地理院の地理院地図から配信されたものである)
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