2014年5月27日火曜日

道東の旅 2013/春 (8) 「京の街路に歴史あり」

ジュリー(沢田研二のほう)

ふらふら~っと銀閣寺のほうにやってきてしまいましたが、右折して、白川通を南下していきましょう。
確かこの辺に、ジュリー(沢田研二のほう)の実家があるんですよね。そうそう、京都で「ジュリー」と言えば「河原町のジュリー」という有名な方もいらっしゃいました。
その後は丸太町通を西へ。同じメーカーの車を見つけるとつい嬉しくなってしまいます。

街路の「格付け」

御所(京都御所)の南側で信号待ちです。
ご存じの通り、京都の中心部の道路は碁盤の目状になっていて、交差点は通りと通りの名前を掛け合わせた形で呼ばれます。丸太町通(横の通り)と柳馬場通(縦の通り)が交わる交差点は「丸太町柳馬場」(まるたまちやなぎのばんば)となります。
ところが、丸太町通と烏丸通が交わる交差点では「烏丸丸太町」(からすままるたまち)となります(間違えても「からすまるまるふとるまち」と読んではいけません)。
どちらが前に来るかは、通り自体の「格付け」に左右される……なんて話もありますね。南北を貫く「烏丸通」はかなり「格付け」の高い通りなので、「烏丸御池」「烏丸五条」といった感じで前に来ることが多いのですが、祇園の八坂神社から西に延びる「四条通」には敵わないのか、「四条烏丸」になってしまいます。

もっとも、この「格付け」説も怪しいところがあって、この説で行けば京都市内で一番格の高い通りは「西大路通」になってしまうんですよね。

太極殿の跡

府庁の前を通って、千本丸太町にやってきました。千本通と丸太町通の交差点ですね。
何の変哲も無い、ちょっとしなびた感じの交差点ですが、実はこのあたりに「平安京」の中心地、太極殿がありました。平安京を東西に分ける大通りは「朱雀大路」ですが、これは今の千本通に相当します。

現在の京都駅の真ん前に伸びる道路は「烏丸通」ですが、平安京における烏丸通は「烏丸小路」に過ぎず、実はかなり東の外れだったんですね。

というわけで、その「朱雀大路の」のなれの果てである千本通を北上します(厳密には、このあたりは「内裏跡」の筈なので朱雀大路は通ってなかった筈ですが)。雑然とした町並みですが、後に「西陣」として栄えたあたりですね。
千本今出川の交差点を左折します。おっ、噂をすれば「百万遍」行きの 201 系統のバスの姿が見えますね。

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