2014年3月21日金曜日

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「日本奥地紀行」を読む (35) 春日部 (1878/6/10)

 

引き続き、1878/6/10 付けの「第六信」(本来は「第九信」)を見ていきます。

警官の姿

粕壁(春日部)の宿屋に泊まることになったイザベラですが、騒がしい同宿者や幾度となく繰り返される覗き見に辟易しつつ床につきます。しかし、そこでも「事件」が起こっていたのでした。

私のベッドは、二本の横木に釘づけした一片の麻の粗布にすぎない。私が横になると、その粗布は下方の釘の列から裂け目を作りながら破れてしまい、だんだん身体が沈んで、ついには二組の架台を結びつけている棒の鋭い背中に横たわって、蚤や蚊の犠牲者となり、全くお手あげの状態となった。私は三時間の間、身動きもせずにじっと横になっていた。動けばベッドが全部崩れてしまう、と思ったからである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.80 より引用)
……。もはや悪い冗談としか言いようのない状態だったようですね。しかし、そんな状態のイザベラに対して、更に恐怖心を抱かせることが起こります。

そのとき障子の外の伊藤が声をかけた。「バードさん、お目にかかってお話ししたいことがあります」。こんどはどんな恐怖だろうか、と私は思った。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.80 より引用)
伊藤の口からは、意外な来訪者の名が告げられます。

彼はつけ加えて「公使館から使いの者が来ました。それから二名の警官があなたにお話ししたいそうです」と言ったが、私の不安はおさまらなかった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.80 より引用)
夜更けにも拘わらず、イザベラを訪ねて警官がやってきたと言うのです。イザベラの不安は頂点に達します。

私は到着したときに正しい手続きをとっていた。宿の亭主に旅券を渡し、彼は規則に従ってそれを宿帳に書き写し、その写しを警察署に送ったはずであった。だから、このように真夜中近くになって部屋に侵入されることは、不当であると同時に理解しがたいものであった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.80-81 より引用)
イザベラは、未踏の地を訪れるにあたって、合法的・遵法的に旅ができるように公使サー・ハリー・パークスらのサポートを得ていました。投宿する際にも日本のルールに則って行動していたのに何故? という気持ちだったのでしょうね。

しかし、イザベラの不安も、警官の姿を見た途端に急に安心に変わったようです。

それにもかかわらず、制服を着た二人の警官が現われたとき、すぐに私はほっとした。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.81 より引用)
得体の知れぬ不安が突如として安心に変わったのは、次のような理由があったようです。

というのは、彼らの出現によって、私の名が登録されて彼らに知られているという事実を確認できたからである。それから日本政府も、特別な理由により、外国人に政府の全知全能ぶりを印象づけたいと思っているから、私の安全に対して責任があるのである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.81 より引用)
何とも合理的な思考です。要するに、日本は国としてのメンツをかけてイザベラを「VIP 待遇」で遇する *筈である* と考えたわけですね。この考え方は確かに正しいのですが、ほんの十年前までは「江戸時代」で「攘夷」の風があり、「生麦事件」などの血なまぐさい事件が起きていました。そういった状況下での「深夜の警官訪問」だったのですから、不安に駆られない方がおかしかったのでしょうね。

江戸からの便り

ところで、伊藤は「公使館からの使いの者」と「二名の警官」がやってきたとイザベラに伝えたのですが、「公使館からの使いの者」はイザベラに何を伝えに来たのでしょうか。

彼らが彼らの暗いランプの光で私の旅券を書き写す間に、私が東京からの小包みを開けると、中にレモン砂糖漬一缶、サー・ハリー・パークスからのたいそう親切な手紙、それからあなた(妹)からの手紙一束が入っていた。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.81 より引用)
なるほど。公使館経由で国際郵便(電報かも)が届いていたのですね。イザベラは人力車で移動していますから、飛脚や馬であれば追いつくことも可能だったということでしょうか。

イザベラを恐怖に陥れた警官たちと伊藤はやがて退去していったのですが、「ほっとした」筈のイザベラは、その後一睡も出来ずに夜を明かしたと言います。その時のことを次のように記しています。

今では私は、そのときの恐怖や不幸なことを笑いとばすことができる。旅行者というものは、自分の経験を贖わなければならない。成功するのも失敗するのも、主として個人的特性によるものである。多くの問題も、旅を重ねるにつれて経験を積むことにより改善されるであろう。そして安心して旅行をする習慣が身につくことであろう。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.81-82 より引用)
これはつまり、「旅行とは何事も経験だ」と纏めることができそうですね。様々な経験を積むことで多くの問題を乗り越えることができる……ということでしょう。しかしながら、経験だけではどうにもならないものの存在もあったようです。

しかし私的生活(プライバシー)の欠如、悪臭、蚤や蚊に苦しめられることは、これから先も直らない弊害ではないかと思われる。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.82 より引用)
これらは「経験」というよりは「慣れ」の問題ですからね。これからの旅の中で、イザベラがこれらの苦難を乗り越えていけるのか否かが気になるところです。

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