(この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものである)
東雲(とううん)
(典拠あり、類型あり)
日本には「東雲駅」が三つあるらしいのですが、上川町の「東雲駅」は唯一「とううん──」と読ませる駅です(残りはいずれも「しののめ──」)。言われてみれば、「トーウン」と書くとどことなくアイヌ語っぽい雰囲気も醸し出すような気もしますが、果たして……?ということで、今回は「角川──」(略──)を見てみましょう。
とううん 東雲 <上川町>
〔近代〕 昭和14年~現在の行政字名。はじめ上川村,昭和27年からは上川町の行政字。もとは上川村の一部。江戸期はフヨマナイと称した地域にあたる。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.923 より引用)
ふむふむ。もともとは「フヨマナイ」という地名だったのですね。そう言われてみると、確かに「パンケフエマナイ川」「パンケフェマナイ橋」といった名前を地形図に見ることができます。で、この「フヨマナイ」ですが、どうやら puy-oma-nay で「穴・そこにある・沢」という意味なのだとか。「穴」は「熊の穴」とされていますね。石北本線の「東雲駅」は「安足間駅」の隣にあるのですが、昔から繋がりが強かったようで、
同43年安足尋常小学校分教場が設置され,大正11年上安足尋常小学校に昇格。昭和2年東雲(しののめ)尋常小学校と改称。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.924 より引用)
なるほど。……あれ? 当時は「東雲」と書いて「しののめ」と読ませていたのですね。同14年字東雲が成立し,学校名も「とううん」と改称。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.924 より引用)
これは「昭和14年」のことなのですが、このタイミングで「東雲」という字ができて、ついでに「とううん」と読ませるようになった……ということですね。まとめますと、ここは元々 puy-oma-nay という地名で、「しののめ」という和名に改称後、より平易な読みの「とううん」に再度改めた、ということのようです。「東雲」の由来については不明のままなのですが、もしかしたら「安足間」から見て東にあったからなんでしょうか。現在の行政区分では、安足間は愛別町で東雲は上川町なので、ちょっと変な気もするのですが……。
ヌッパオマ川
(? = 典拠未確認、類型多数)
愛別町にある「旭川国際カントリークラブ」の北側を流れる小河川の名前です。「ヌッパオマナイ」という川は道内各所にあるのですが、さて、どんな意味でしょう?他の「ヌッパオマナイ」の例から考えると、この「ヌッパオマ川」も nup-pa-oma-nay だと考えられます。「野・かみ・入っていく・沢」と解釈できますね。ヌッパオマ川は愛別川の支流ですが、下流から遡ってみた場合、しばらく平野部を流れて、やがて山の中に入っていきます。いや、大抵の川がそうなので、だからどうだという訳ではありませんが……(汗)。
要腰内(よーこしない)
(典拠あり、類型あり)
愛別町にはカートランド(レーシングカートのコース)があるのですが、カートランドの近くを流れている川が「ヨーコシナイ第三川」という名前です。「第三川」があるということは「ヨーコシナイ第二川」も「ヨーコシナイ川」もあるのですが、残念ながら「要腰内」という地名は既に過去のもののようです(現在は字「金富」に含まれるとのこと)。さて、その「要腰内」の意味ですが……。我らが「角川──」(略──)を見ていきましょう。
要腰内(ヨーコシナイ)は「鹿などを待伏せて狙い射つのを常とする沢」「鹿の越える沢」の意(アイヌ語地名解)。
(「角川日本地名大辞典」編纂委員会・編「角川日本地名大辞典 1 北海道(上巻)」角川書店 p.989 より引用)
ふむふむ。yoko-us-nay であれば「狙う・いつもする・沢」となりますね。これは知里さんの「上川郡アイヌ語地名解」に記されている解そのものです。一方で「鹿の越える沢」という解があるのですが、これの出典はどこなのでしょう?(更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」では無さそうなのです) おそらく yuk-us-nay (鹿・多くいる・沢)という解釈なのだと思いますが、yuk-us という地名はあまり耳にしない気がするので、やや疑問符が残ります。www.bojan.net
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