2014年1月19日日曜日

「日本奥地紀行」を読む (33) 春日部 (1878/6/10)

引き続き、1878/6/10 付けの「第六信」(本来は「第九信」)を見ていきます。

粕壁の宿屋

東京を出て、農村を観察し、茶屋で一服した後、イザベラ一行は粕壁(春日部)に到着しました。

私たちはよく人の往来する街道に沿って粕壁まで水田の間を一日中旅をした。粕壁はかなりの大きさの町ではあるが、みじめな様子をしている。その大通りも、東京の最も貧弱な街路に似ている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.77 より引用)
粕壁の街の印象は、「みじめな様子をしている」「最も貧弱な街路に似ている」とコテンパンですが、まぁ、率直な印象としてそうだったのだろうな、と思います。これは、粕壁がダメなのではなくて、横浜や東京が精一杯「おめかし」をしていたのだと考えるべきなのでしょう。鹿鳴館は欧米諸国から失笑を買うこともあったでしょうが、国家の存亡をかけて必死に背伸びしていた、というのが本当の所だったのでしょうね。

イザベラは、粕壁の「旅館」に投宿しました。その部屋についてのインプレッションが、様々な視点から語られます。

この家の二階正面は、一つの長い部屋で、横と正面しかないが、不透明の壁紙が貼ってある襖を敷居の溝にはめれば、直ちに四つの部屋に分けることができる。背面も即席で作られる。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.77 より引用)
さすがに最近は、この手の旅館や民宿は少なくなったと思いますが、宴会場や会議場では「壁を取っ払って二部屋連結」といった仕組みになっているところもありますよね。壁面を設けずに柱と引き戸(あるいは襖)だけの構造が成り立ってしまうのは、柱にすべての荷重を担わせる日本家屋ならではなんだなぁ、と改めて思います。この構造は、風通しが良くて開放的なものなのですが、

しかしこれは、私たちのティツシューペーパーに似た半透明の紙を貼った障子で、ところどころに穴や裂け目があった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.77 より引用)
こうなってしまうのもお約束ですよね。破れていたのが障子なのか襖なのか……という話もありますが、いずれにせよ紙でできた間仕切りは、こういった被害からは逃れることができないということでしょう。ただ、逆に言えばこまめにメンテナンスをすることで、常に最新の状態を保つことができるとも言えますね。「──とタタミは新しいほうがいい」なんて話もありますが、日本人は過去のケガレを「洗い流す」ことが得意なのかもしれません。

「旅館」の和室については、次のような印象を持ったようでした。

部屋には、かぎ、棚、手摺など何か物をかけるものが、一つとしてなかった。部屋は要するに空っぽで、畳(マット)しか敷いてなかった。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.77-78 より引用)
これはまぁ、そうだったのでしょうね。今の日本の旅館だと、部屋の真ん中に座卓と座布団があるのが一般的ですが、温泉旅館のような逗留型の宿ではなく、あくまでビジネスホテルのような「旅の宿」だったのであれば、畳だけだったとしてもそれほど不思議では無かったのかもしれません。

ただ、イザベラはこの「畳」には好意的で、

マットという言葉を使ったが、誤解されると困る。日本の家のマットは、タタミと呼ばれて、最もりっぱなアックスミンスター絨毯と同じほど、清潔で優雅で柔らかい、床の敷物である。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.78 より引用)
「アックスミンスター絨毯」というものを詳しく知らないのですが(汗)、アックスミンスターは現在でも著名な絨毯の産地のようですね。毛織物である絨毯と、イグサを編んだものである畳の間には、その触感やデザインなどに結構な違いがあると思うのですが、清潔さと、板間には無い「やさしさ」に感銘を受けた、といったところでしょうか。

一方で、イザベラはこんな「発見」もします。

寺院や部屋はふつう、その中にある畳の数によって大きさが測られる。部屋に合わせて畳を裁断するのではないから、畳数に合わせて部屋を作らねばならない。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.78 より引用)
これも、日本人にとっては当たり前のことなんですが、イザベラにとっては驚くべきことだったのでしょうね。結果的に、各々の部屋のサイズはどこも画一的になるわけで、「他と同じ」ことが大好きな日本人にとってはありがたい物だったのかも……。

イザベラは、ここに来て「畳」に相当感銘を受けたようで、次のようにも記しています。

畳は柔らかで弾力性があり、質の良いものはとても美しい。畳は最上のブラッセル絨毯ほど高価であり、日本人は畳を非常に誇りにしている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.78 より引用)
えーと……。「ブラッセル」はベルギーの「ブリュッセル」のことですよね。なるほど、「畳は高いんだよ」という話の比喩として用いられているのですね。現代の感覚だと、和室に畳があるのは当たり前のような感じがするのですが、あまり裕福で無い家だと、土間の上にゴザ敷き、なんてこともあったんでしょうかね。「ハレ」と「ケ」という二元論で考えると、立派な畳が敷き詰められた客間は「ハレ」の空間であったのだろうな、と思わせます。

だから心ない外人たちが汚れた靴で畳の上に踏みこむようなことがあればたいそう困ってしまうのである。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.78 より引用)
ちょっと話がずれるのですが、フィリピン人は(頬を)ビンタされることを最大限の屈辱、恥辱とするのだそうですね。そこまで強烈なものではないかも知れないにせよ、土足で客間を汚されたりすると、似たような感情が惹起されるのかも知れませんね。もちろん、相手の無知・無理解によるものだということは悟っているでしょうから、感情を表に出すことは無かったでしょうけど。

……と、ここに来て「タタミ Love」をカミングアウトしたイザベラさんでしたが、

不幸なことだが、畳には無数の蚤がついている。
(イザベラ・バード/高梨謙吉訳「日本奥地紀行」平凡社 p.78 より引用)
あうあうあう……。これは確かにとっても不幸なことですね……(汗)。

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