2013年11月3日日曜日

次の投稿 › ‹  前の投稿

北海道のアイヌ語地名 (156) 「オサツルナイ川・アフトロマナイ川・鰊泊」

 

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものである)

オサツルナイ川

o-sat-ru-nay?
川尻・乾いた・道・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
利尻富士町二ツ石から少し北に行くと「石崎」集落がありますが、石崎集落のあたりに向かって東流する川の名前が「オサツルナイ川」です。

今回も例によって、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」から。

 鬼脇港から四キロほど北、小学校と中学校のある部落である。石崎という地名は、全く新しくつけられたものかどうか明らかでないが、二ツ石にも石崎橋という橋がある。石崎と旭浜との間にも同じ名の橋があって、何処が地名の起こりか明らかでない。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.206 より引用)
はい。これを見た感じでは、「石崎」はアイヌ語地名では無さそうですね。

現在、小学校のあるあたりはオサッナイといったところで、御幸内とも書き川尻(オ)の乾く(サッ)ナイ(沢)という意味であった。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.206 より引用)
ふむふむ。o-sat-nay で「川尻・乾いた・川」ですね。大体合っているのですが、これだと「オサツルナイ」の「ル」が見当たりません。

「ル」を含めた形で地名を考えてみると、o-sat-ru-nay で「川尻・乾いた・道・川」となりそうなのですが、オサツルナイ川の流れが道として活用されたとも考えづらいところもあるので、ちょっと疑問が残ります。

そうですね……。o-sat な川は季節によって涸れ川になることが多いのですが、もしかしたらこの川は、雨でも降らない限り、河口部に流れを見ることが無かったのかも知れません。ru は、川に沿ったものではなく、河口部が「道」として常時使用できる、という意味なのかも知れませんね。

アフトロマナイ川

{at-utur}-oma-nay?
{山向こう}・そこにある・川
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
石崎と旭浜の間、オサツルナイ川の北を流れる川の名前です。先ほどのオサツルナイ川とは違って、利尻山の中腹部に源を発する、利尻島では長い部類に入る川です。

今回も引き続き、更科さんの「──地名解」を見てみましょう。

 旭浜(あさひはま)
 現在は石崎から二キロ近く北にあたっているが、もとはここを石崎と呼んでいたようだ。さらに昔はアツトルオマナイと呼んでいたところである。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.206 より引用)
ふむふむ。「アツトルオマナイ」であれば、at-utur-oma-nay で「おひょう(楡)の樹皮・間・そこにある・川」となりますね。なんで utur が入るのかが少々疑問ではあります。

その前に、現在の地名は「アフトロマナイ」で、「アツトルオマナイ」とは随分と違いがあるように思えるのですが……。続きを見ておきましょうか。

五万分の地図ではアフトロマナイと間違つて(ママ)いる川の名から出たもので、現在、流水橋という橋のかかつて(ママ)いる流れである。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.206 より引用)
あ、やはり「アフ」は「アツ」の見間違いだった可能性があるんですね。やはり元々は「アツトルオマナイ」だったと考えておいて良さそうです。

2021/6 追記
一般的な?音韻変化の法則からは若干外れていますが、at-uturar-utur が転訛したものと考えたほうが自然かと思われます。{ar-utur}-oma-nay であれば「{山向こう}・そこにある・川」となりそうです。

鰊泊(にしんとまり)

net-chan-tomari???
漂流木・棚・泊地
(??? = 典拠なし、類型未確認)
日本海は鰊(ニシン)の好漁場で、明治・大正から昭和初期にかけて鰊漁で財を成した網元がこぞって「鰊御殿」を建てたことでも知られています。当時は獲れた鰊を食べるだけではなく、鰊を煮たものを圧搾して「鰊粕」という肥料にしていたと言うくらいで、いかに鰊が良く獲れたかを物語っていますね。

さて、そんな「鰊」の「泊」と書いて「鰊泊」なのですが、果たしてその由来は……。引き続き更科さんの「──地名解」を見てみましょう。

地名の起こりはアイヌ語鰊とは関係がなさそうである。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.206 より引用)
あらら(汗)。珍しく前振りを頑張ったのに……。

古い地図ではニチ・トマリとかニツチントマリとあり、松浦武四郎の地図にはニチエントマリと記されている。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.206 より引用)
うーむ。なかなかピンと来ない名前が並びますが、「ニチエントマリ」であれば net-chan-tomari で「漂流木・棚・泊地」と考えられないでしょうか。net-chan は、知里さんの「地名アイヌ語小辞典」によれば、次のような意味だとされます。

net-chan, -i ねッチャン 【トカチ; クシロ; キタミ; テシオ】流木や塵芥が川の表面に溜って魚類の隠れ場をなしている所。[<net(漂流木)san(棚)]
(知里真志保「地名アイヌ語小辞典」北海道出版企画センター p.65 より引用)
ちなみに、更科さんは「鰊泊」の語源について、次のように記しています。

このどれが語源に近いかはつきり(ママ)しないが、ネッ・ウェン・トマリがなまつた(ママ)のではないかと想像される。ネッは漂木のことで、それが風で寄せられて邪魔になる舟入澗を、ネッ(漂木の)ウェン(悪い)トマリ(入江)と呼んだかとも思う。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.206-207 より引用)
なるほど。net-wen-tomari という可能性も考えられそうですね。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International

0 件のコメント:

新着記事