2013年11月2日土曜日

北海道のアイヌ語地名 (155) 「鬼脇・清川・二石」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものである)

鬼脇(おにわき)

onne-i-ewak-i??
長じた・者・そこに住む・所
(?? = 典拠あるが疑問点あり、類型未確認)
利尻島には「利尻町」と「利尻富士町」の二つの市町村があるのですが、もともとは「沓形町」「仙法志村」「鴛泊村」そして「鬼脇村」がありました。鬼脇村は利尻島の東側に面しているのですが、北に面している鴛泊村と合併して東利尻村(のち町制)となり、現在は利尻富士町となっています。

さて、その意味ですが、まずは更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」を見てみましょうか。

昭和三十一年鴛泊村と合併して東利尻町になり、その町役場支所所在地となっている。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.204 より引用)
ちなみに、当時の「鬼脇村役場」は、現在は「利尻島郷土資料館」という名前で健在です(鬼脇支所は近くに移転したのかも知れません)。

鬼という当て字をした北海道の地名の多くは、川口(オ)に木(ニ)のあるというのに使われているが、
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.204 より引用)
そうですね。たとえば猿払村の鬼志別なんかもその一例ではないかと言われています。

この場合の鬼はオンネのなまつた(ママ)ものであって、歳老いた大事なという意味の言葉で、松浦武四郎の地図にはヲンネワキ、最初の五万分の地図にもオンネワキとなっている。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.204 より引用)
あらら、違いましたか(汗)。なるほど、onne ですか……。

ワは「淵」または岸の意で、キはケでところの意味かと思われるが、オンネワケで「大事な岸の所」では何の意味かはっきりしない。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.204 より引用)
ふーむ。onne-wa-ke で「長じた・岸・所」ですか。確かに意味が良くわかりませんね。

更科さん自らが「はっきりしない」と認めてらっしゃるので、セカンドオピニオンとして山田秀三さんの「北海道の地名」を見てみましょうか。

蝦夷地名解(幕末)には「オンネ・イワキなり。オンネとは老たる,又は大きなると申義。イワキとは在すと申事。老たる者の在る所と申す義」と書いてあった。イワキは iwak-i(住んでいる・処)。あるいは「大きい住地」,「もとからの住地」のような意味だったのでもあろうか。
(山田秀三「北海道の地名」草風館 p.157 より引用)
なるほどー。onne-iwak-i だったらまだ納得がいきますね。意味は「長じた・そこに住む・所」でしょうか。あ、もしかしたら onne-i-ewak-i で「長じた・者・そこに住む・所」のほうが適切かもしれませんね。

清川(きよかわ)

yam-nay
冷たい・川
(典拠あり、類型あり)
鬼脇の北東に位置する集落の名前です。まぁ、これも見るからに和名っぽいのですが……。引き続き更科さんの「──地名解」を見てみましょうか。

 鬼脇港から少し北へ行ったところ、利尻山麓をめぐる環状道路が大きくカーブを描いている部落名である。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.205 より引用)
石崎灯台のあるところから、少し南西に向かったところに涸れ川があるのですが、本来はこのあたりの地名のようです。

古くはヤムナイといったところで、それも元来はここにある小川に名付けたものであった。現在ヤムナイ橋という橋の架っている小川がそれである。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.205 より引用)
ふむふむ。確かに「止内橋」という橋が現在も架かっています。yam-nay は「冷たい・川」という意味です。「清川」だと peken-nay あたりになりそうなものですが……。

ヤム・ナイは水の冷たい川の意味であって、この水がこの辺で一番冷たくておいしく、また当然清らかであるので、清川としたものであろう。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.205 より引用)
なるほど。ちょっと都合のいい解釈にも思えてしまいますが、まぁ、根雪が融けた水は当然の如く清らかだったということで、納得しておきましょう(笑)。

二石(ふたついし)

(chi-)tukan-sirar??
(われら・)射る・岩
(?? = 典拠未確認、類型あり)
石崎灯台を過ぎたあたりから、少し北に進んだあたりの地名です。これもアイヌ語の音では無いように思えますが……。今回も更科さんの「──地名解」より。

清川から二キロほどの海岸線の道を北に行ったところに、山手に赤い鳥居の神社のある細長い村落がニツ石である。古くはチエネシララといったところである。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.206 より引用)
ふむふむ。やはりアイヌ語起源の地名が別にあったということですね。

シララはいくどもでてくるが、岩礁であり、二ツ石のことであるが、チエネでは二つという意味にはならない。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.206 より引用)
そうですね。sirar は「岩礁」のことですが、「チエネ」は意味が良くわかりません。「チセネ」であれば chise-ne-sirar で「家・のような・岩」になるんですけどね。

松浦武四郎の地図によれば、チカニシララと記している。「吾々の金岩」というべきだと思うが、
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.206 より引用)
ふーむ。更科さんは素直に chi-kani-sirar と読み解いたようですが、ちょっと意味不明な感じがします。例によって私案ですが、(chi-)tukan-sirar という可能性は考えられないでしょうか。意味は「(われら・)射る・岩」です。白滝の「チトカニウシ」と同じで、矢を射て弓占を行う岩でもあったのではないかな、と……。

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