2013年10月27日日曜日

北海道のアイヌ語地名 (154) 「野中・メヌウショロポン山・オタドマリ沼」

やあ皆さん、アイヌ語の森へ、ようこそ。
(この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものである)

野中(のなか)

nociw?
(? = 典拠あり、類型未確認)
利尻町の仙法志崎から少し東に行ったところの地名です。このあたりは段丘状の地形が続くのですが、野中のあたりだけは例外で、三方を山に囲まれた谷のような地形です。

「野中」は一見、和名にしか見えないのですが……、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」には次のように記されています。

東利尻と利尻町の南端の境界の鬼脇から八メートル(ママ)はなれた部落、近くにチカプエワキと古く呼ばれた地名があるが、それは利尻町の方に入っている岬のあたりのもので、鳥の棲んでいるところの意味。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.205 より引用)
「8 メートル」はいくらなんでも近すぎだろう……と思ったのですが、一番境界に近い建物は確かに 8 メートルくらいしか離れていません。まぁ、それはいいとして……。なるほど、もともと chikap-ewak-i という地名があったのですね。「鳥・住んでいる・ところ」という意味です。

さて、「チカプエワキ」がどう「野中」になったのだろう、という話ですが……

野中の意味は、それらの地名を訳したものではなく、
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.205 より引用)
あら(汗)。続きを見てみましょうか。

チカプエワキの反対鬼脇寄の海中の岩にノチウというのがあり、このノチウに野中の当て字をしたので、
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.205 より引用)
ほほう。「ノチウ」は nociw、即ち「」という意味です。今は「野中」を「のなか」と読みますが、昔は「のっちゅう」と読んだのだとか(!)。

ノチウは星のことで、この岩は昔天からおちた星だという伝説によるものであろう。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.205 より引用)
うーむ。地名で「ノチウ」が出てきたのは、多分これが初めてです。とても珍しい地名なのですが、これが気がついたら「野中」になってしまっているというところが面白いというか、勿体ないと言うか……。

メヌウショロポン山

mun-(us-)usoro???
草・(多くある・)湾
(??? = 典拠なし、類型未確認)
利尻町仙法志から少し東に行ったところに、利尻富士町南浜というところがあるのですが、南浜集落の近くに「メネウショロポン山」があります。このあたりは「──ポン山」という山のオンパレードなのですが、この pon は「小さい」という意味です。従って「ポン山」は「小さな山」という意味になりますね。

ということで、あとは「メヌウショロ」の意味を読み解けば良さそうです。usor-o は「湾」の人称形なので、あとは「メヌ」って何? バッハ? という話なのですが……。

あ、ちょうどいいところで更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」に記述が見つかりました。

南浜は南にある浜の意味で、新しい命名であって、元はメヌウシヨロといったところである。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.205 より引用)
あ、やっぱり。「よってこのあたりの地名は『メヌウショロ』だったと思われる」と推論を書こうとしていたところだったので、助かりました。さて、「メヌ」の意味ですが……。

最初の五万分でもメヌウシヨロとなっているが、メヌの意味が明らかでない。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.205 より引用)
あららら。同じところで引っかかってしまいました。

メムなら清水のわく池をいうが、ウショロは湾のことであるのでおかしい。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.205 より引用)
そうですよねぇ。

松浦武四郎の地図では、ウエンモヨロとあるのがこのあたりらしい。この悪い入江の意味のウェン・モヨロが、メヌシヨロとなったとも思えないが。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.205 より引用)
……ということなのですが、更科さんもここまでで筆を措いてしまったままです。あうあう……。

「メヌウショロ」=「南浜」であることは更科さんが記している通りなので、南浜あたりの地形を鑑みて意味を考えてみることになるのですが、南浜の集落の北側には、かつて大きな(今のオタドマリ沼と同じくらいの)沼があったと思われるのですね。

もともと湾だったところが砂嘴によって海と切り離され、その後は土砂が堆積して埋まってしまったと推測できるのですが、そこは今では草の生い茂る野原になっていると考えられます。そう考えると、mun-(us-)usoro で「草・(多くある・)湾」……と考えられないかなぁ、と。

オタドマリ沼

ota-tomari
砂浜・泊地
(典拠あり、類型あり)
南浜から少し北東に行ったところにある沼の名前で、近くに「沼浦」集落があります。この「オタドマリ沼」も、先ほどの「メヌウショロ」と同じく、もともとは湾だったものが砂嘴によって海と切り離されて、その後大半が埋まってしまい、現在は「オタドマリ沼」と「三日月沼」にその痕跡を残す……といった感じです。

素直に読み解くと ota-tomari で「砂浜・泊地」となるのですが、さて、どうでしょうか。更科源蔵さんは次のように記しています。

 南浦(ママ)からマタチポヤンの岬をかわした鬼脇よりの部落で、おそらく昔は海の波を寄せてせきとめたと思われる沼が一つあり、現在三日月沼と呼ばれているので、このの(ママ)沼のあるところから新たに沼浦と呼ばれるようになったもの。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.205 より引用)
「南浦」は「南浜」の勘違いである可能性が高そうです。それと、三日月沼よりも明らかに大きい「オタドマリ沼」が出てこないのは不思議……ですね。続きを見てみましょうか。

アイヌ語ではヲタ・トマリといったところで、砂浜の舟人澗・の意味。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.205 より引用)
あ、やっぱりこう解釈するほかありませんよね……(笑)。

前の記事続きを読む

www.bojan.net
Copyright © 1995- Bojan International


0 件のコメント:

コメントを投稿