(この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものである)
召国(めしくに)
(典拠あり、類型あり)
礼文島の西部、「澄海岬」のある西上泊から南に行ったところの地名です。国土地理院の地形図で見ると 9 棟ほどの建物が海岸に点在していますが、自動車が通行できる道は無く、また港も存在しないため、ここは内国郵便約款第80条指定の「交通困難地」とされています(郵便物を届けることはできません)。さて、このあたりの地形を Google Map で見てみると、「召国ノ岬」があり、その北麓の字名が「メシコニ」、そして岬の南側の字名が「メシコタイ」となっています(ちなみにどちらも「交通困難地」に指定されています)。「ニ」は「木」で、「タイ」は「林」なのですが、「メシコ」って何でしたっけ……? タコスが美味しいあの国のことではn(ry
気を取り直して、更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」を見てみましょう。
鉄府から西上泊を越えて南に下ったところに、やはり西に日本海に向かった入江の南に山を背負って風をさけているような集落がある。この集落から見ると点々と岩礁が岬の先に並んでいて、ここをカムイアパトマリと古い地図に記名されている。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.218 より引用)
はい。更科さんは「召国」=「カムイアパトマリ」と認識されていたため、「召国」の項目に「カムイアパトマリ」の説明が含まれています。実際に「メシコニ」の旧名が「カムイアパトマリ」である可能性も十分考えられるのですが、なんとなーく別項目にしてしまいました(すいません)。最初から同一項目にしておけば良かったんですが……。当方のミスということでご容赦を。
さて、肝心の「メシコニ」の意味ですが……
召国の語源はこの入江のあたりにメシコニ(ネシコニで胡桃の木)が沢山あったので、ネシコ・ウㇱ(胡桃の林)と呼んだりネシコニと呼んでいたのが召国となってしまったのである。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.218 より引用)
ふむふむ、なるほどー。nesko-ni で「くるみ・木」ということですね。「メシコタイ」は nesko-tay で「くるみ・林」ということになりそうです。タンネトンナイ
(?? = 典拠未確認、類型あり)
礼文島西海岸、礼文岳から真西に進んだあたりの地名です。Google Map によると、「タンネトンナイ」と「タネトンナイ」が南北に並んでいます。ちなみに、国土地理院の地形図を見ると、このあたりは完全な「空白地帯」となっています。誰も住んでいないばかりか、番屋すらも存在しない、ということなのでしょうね。さて、タンネトンナイです。「タンネ」は tanne、即ち「長い」といった意味です。そして「トンナイ」ですが……あれ? どこかで聞いたことがあるような。
そうそう。礼文島一番の繁華街(何か違うような気も)である「香深」のあたりの旧地名が「トンナイ」でした。おそらく to-un-nay で「沼・そこにある・川」ではないかと思われるのですが、香深には沼があったようには思えないから変だよね、という話になっていたかと思います。
北海道のアイヌ語地名 (143) 「津軽町・フンベヲマトマリ・手然」と北海道のアイヌ語地名 (144) 「エコキナイ・ヲパシトロマナイ・起登臼」も併せてどうぞ。
もちろん、「海」全般を指していたのではなく、何らかの状態を表していたのだと思いますが……。
2021/6 追記
tanne-{tun-nay} で「長い・{谷川}」と解釈するのが自然かな、と思われます。
笹泊(ささどまり)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
「召国ノ岬」と「宇遠内」の間にある地名……なのですが、地形図を見た限りでは建物が見当たりません。いや、建物がなければ地名じゃ無い、なんて話は無いと思いますが……。では、今回も更科さんの「アイヌ語地名解」から。
行政面で礼文町合併前の礼文郡船泊村大字神崎村といった当時、字笹泊はあった。だが古い地図にはササトマリはない。ただ宇遠内の集落から少し南に行った所に、古くシャトマリと呼んだところがあり、宇遠内まで一キロたらずだが、絶壁続きで陸路が全然ないので、舟の便を頼るだけの集落である。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.219 より引用)
さすが更科さん、文章が長い……(そこか)。えーと、事実誤認があったら困るので、最初に確認なんですが、国土地理院の地形図で見たところでは、「笹泊」の場所は「宇遠内」の南ではなく北です。「アナマ川」の北に川があり、その河口の北側に砂浜が広がっているのですが、そのあたりに「笹泊」と書かれています。「陸路が全然無い」というのは、更科さんが記した通りです。さて、肝心の地名解を見てみましょうか。
ルシヤがササになったとすれば、ルシヤはルシャニのなまったもので、浜に降りて行く路のあるということになり、絶壁からおりられる路のあったことを示す地名である。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.219 より引用)
ふむふむ。「ルシャ」と言えば知床にもありますが、あれは ru-e-san-i が訛ったもの、という話でした(「道・そこで・浜のほうに出る・ところ」)。実際のところ、笹泊のあたりには道は無いのですが、西上泊のあたりから尾根や沢に沿ったルートで「けもの道」があるようなのですね。そして、その「けもの道」は、笹泊とアナマ岩の間で尾根伝いに海沿いまで降りる形となっています。これは確かに「ルエサニ」と呼ぶに相応しい地形かも知れません。
ただ、「ルエサニ」が「ササ」に転訛したというのが、個人的にはちょいと引っかかっています。「ササ」の音に近い地名が無いかなぁ……と考えてみたのですが、たとえば sat-sa-tomari で「乾いた・浜・泊地」といった解釈は考えられないでしょうか。笹泊のあたりは、この辺では比較的珍しい砂浜状の地形のようで、尚且つ川も流れていないようなのです(砂浜の最北端には川がありますが)。とりあえず、現時点では試案の一つということで。
というわけで
長らくご愛顧いただきました(?)「礼文シリーズ」はこれにて終了となります。次回からの「利尻シリーズ」をお楽しみに!www.bojan.net
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