(この背景地図等データは、国土地理院の電子国土Webシステムから配信されたものである)
江戸屋(えどや)
(典拠あり、類型あり)
礼文島北西部の地名です。音の雰囲気からは和名っぽい感じですが……。更科源蔵さんの「アイヌ語地名解」を見てみましょうか。これも古い地名ではなく江戸屋という親方の漁場のあったのが、そのまま地名になったものらしい。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.217 より引用)
む。そのまんまでしたね。あと猫八さんは関係無かったみたいです。ちょっと残念。大正十二年の五万分図にはヱンドヤとなっているが、明治三十年代のものではカンペオトマリという地名になっている。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.217 より引用)
「カンペオトマリ」とは、これまた意味不明な……。カンペオという意味は明らかでないが、松浦武四郎の地図にはカンベオトマリのあたりにヤンヘンナイという地名があり、最初の五万分の一地図がヤンヘヲマナイをカンペオトマリと間違ったかとも思われる。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.217-218 より引用)
ふむふむ。どうやらそのようですね。確かに Google Map でも江戸屋のあたりを「ヤンベヲマナイ」としています。yam-pe-oma-nay で「冷たい・水・そこにある・川」なのでしょう。確かに江戸屋のあたりを地図で見てみると、このあたりでは割と大きな沢状の地形になっています。源流は北斜面なので、割と遅い時期まで冷たい水が流れるのかもしれませんね。
白浜(しらはま)
(典拠あり、類型あり)
白浜は江戸屋の北隣の地名です。どう見ても和名なんですが、実はこのあたりの字名は「レタリヲタ」と言うらしく……。あっ(汗)。既にネタバレした感も微かに漂いますが、今回も更科さんの「アイヌ語地名解」から。
白浜はアイヌ語の訳で古くはレタロオタ(明治三十年の五万分一地図)とか、レタリヲタ(松浦武四郎地図)といったところで、レタルは白いこと、オタは砂または砂浜のことであるから、レタル・オタを直訳すると白い浜となるので、他ではピリカ・オタ(美しい砂浜)とか、ペケレ・オタ(明るい砂浜)などというところも、これと同じように白くて美しい砂浜というのである。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.217 より引用)
はい、まさに仰るとおりでございます。それにしても……文章長すぎですよね(笑)。「レタリヲタ」は retar-ota で、「白い・砂浜」となります。須古頓(すことん)
(? = 典拠あるが疑問点あり、類型あり)
須古頓は、礼文島最北端の「スコトン岬」のすぐ手前にある地名です。こちらは見るからにアイヌ語っぽい感じですが、果たしてその意味は……。更科さんの「アイヌ語地名解」を見ていきましょう。現在は白浜の直ぐ近くの部落をそう呼んでいるが、もとは海馬島に向かって突き出た岬をもっぱらスコトン岬と呼んでいた。然し実際はこのどっちでもなくて、古い地図を見るとスコトン岬の西側の船入澗についた地名であるらしい。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.217 より引用)
ふむふむ。割とどうでもいいツッコミを入れておくと、「海馬島」はサハリン沖の「モネロン島」のことではなくて、スコトン岬のすぐ北にある「海驢島」のことです。続きを見てみましょうか。
古い五万分の地図ではここをシコトントマリと記し、松浦地図にはシュトントマリとなっている。シコトンがシコツ・ウンであれば大きなくぼ地のあるという意味になり、シコトントマリでは大谷のある入江ということになるが、現在小学校のあるあたりから西北にあたる入江のところに名付けたとすればうなづけないこともない。
(更科源蔵「更科源蔵アイヌ関係著作集〈6〉アイヌ語地名解」みやま書房 p.217 より引用)
ふむふむ。概ね妥当な解釈のように思えます。松浦氏の「シュトントマリ」という音からは sut-un-tomari (「根もと・そこにある・泊地」)という解釈もできそうですが、あるいは「シュ」は「シコ」の誤読かも知れません。「シコトントマリ」であれば、si-kot-un-tomari で「大きな・窪地・そこにある・泊地」となりますね。須古頓の西海岸には、確かに海に面した窪地があるので、それを指していたという説には首肯できそうです。
2021/6 追記
si-tu-un-tomari で「主たる・岬・そこにある・泊地」と考えると実際の地形に即した形になるのでは、と考え始めています。
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